第四話 二年分の遠回り
婚約発表は、その直後の夜会で行われた。
アシュフォード公爵令息と、ヴィンセント侯爵令嬢の婚約。
社交界は驚きに沸いた。
「いつの間に」
「全然知らなかったわ」
「お二人にそんなご縁があったなんて」
あちこちで、そんな声が上がった。
その言葉を聞くたびに、私はセオドアと顔を見合わせた。
二人だけが知っていた。
それが二年越しの、回り道だらけの答えだということを。
婚約発表の翌日、私はセオドアの屋敷の庭にいた。
薔薇が満開だった。
幾度となく、二人でこの庭を歩いた。
その時はまだ何も言えなかった。
どれほど近くを歩いていても、私たちの間には名前のない距離があった。
「何を考えている」
隣に来たセオドアが聞いた。
「最初の日のことを。あの時はまだ、こうなるとは思っていなかったから」
「俺は思っていた」
「え?」
「どうすればエレノアが俺を選ぶか、ずっと考えていた」
「……あなたって、どうして考えるばかりで言ってくださらなかったのですか」
呆れたように笑うと、セオドアは少し不服そうな顔をした。
「怖かったと言っただろう」
「公爵令息ともあろう方が」
「関係ない。好きな人間を前にしたら、誰だって怖い」
その顔を見ていると、胸の奥が温かくなった。
こんな表情をする人だと、昔の私は知らなかった。
静かで、完璧で、誰にも揺らされない人だと思っていた。
けれど本当は、不器用で、臆病で、優しすぎる人だった。
「……そうですわね。私もそうでしたもの」
薔薇の香りに誘われるように、セオドアが私の手を取った。
今はもう、それが当たり前の動作になっていた。
隠す必要もない。
離す理由もない。
「後悔しているか?」
彼がふいに言った。
「二年、遠回りしたことを」
「……少しだけ」
私は正直に答えた。
「もっと早くわかっていれば、と思う夜もありますわ。言ってしまえばよかった、と。あなたの手を離すふりなどしなければよかった、と」
セオドアの指が、私の手を包み込む。
「でも、あの二年があったから、あなたのことをよく知れた気もします。あなたの静けさも、不器用な優しさも、たまに見せてくれる笑顔も全部、あの時間の中で好きになったのだから」
セオドアは何も言わなかった。
ただ、私の手を握る力が少しだけ強くなる。
言葉よりも雄弁に、彼の気持ちが伝わってきた。
かつて婚約を失った時、私は自分の未来が壊れたのだと思った。
けれど、違ったのかもしれない。
あの日壊れたのは、私が本当に欲しいものに気づかないまま進むはずだった未来だった。
二年分の遠回りは、消えてなくなるわけではない。
言えなかった夜も。
笑って別れた朝も。
胸の奥で痛んだ沈黙も。
すべて確かに、私たちの間にあった。
けれど今は、そのすべてを抱えたまま、同じ場所に立っている。
「セオドア」
「何だ」
「……幸せですわ」
「……俺もだ」
私はその言葉を、胸の一番大切なところにしまった。
これから少しずつ、ここには大切なものが増えていくのだろう。
春の庭で、薔薇の香りの中で。
セオドアの手を握り返しながら、私はようやく思った。
遠回りした時間さえ、いつか愛おしいものになるのかもしれない、と。
最後までお付き合いありがとうございました。
二年も遠回りした二人の、不器用で臆病な大人同士の恋のお話でした。
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