57.桜の木の下で
満開の桜の木の下で、こなたちゃんが中学の制服に身を包み立っている。
大家さんちの庭の桜は、まるでこなたちゃんの入学式に合わせたように、今が盛りだ。
「じゃあ撮るよー」
レンズの向こうのこなたちゃんは、この半年でちょっぴり身長が伸びた。
今は少し大きな制服が、三年後には少し小さいくらいになっているのかな、と初々しい制服姿を見ながら思う。
少し緊張気味なこなたちゃんをカシャリとカメラに収める。
表情が硬いなぁ。
笑って、と言おうとした時、風が吹いて花びらがぶわあっと舞った。
桜の木を仰ぎ見たこなたちゃんの顔が、桜吹雪に魅せられてほころぶ。
うん、こっちのほうがいいな。
チャンスを逃さずシャッターを押す。
「こなた、そろそろ行かないと」
家の中から大家さんの声が聞こえた。
「はーい。じゃあ、行ってくるね、狭霧」
「うん。行ってらっしゃい。夜は山加外神社でお祝いパーティーだからね!」
「わかってるー!」
こなたちゃんがポニーテールを揺らしながら走ってゆくのを見送る。
東風さん、こなたちゃんはいよいよ中学生だよ。
制服を着るとぐっと大人っぽくなるからびっくりしたよ。
心の中で、話しかける。
背は少ししか高くなってないけど、顔立ちはだいぶんお姉さんらしくなった。
子どもの成長は早いなぁなんて、とっくにこなたちゃんが出て行った門を眺めながら感慨にふけっていると「いいお天気でよかったね」という声が降ってきた。
見上げると、アパートの二階の部屋から、天音さんがこちらを見ていた。
「そうだね」
おれが山加外に引っ越してきて来た日もいい天気だった。
あれからもう一年が経ったのかと時の流れの早さに驚く。
そういえば、とおれは駅で天音さんを見かけた時のことを思い出した。
あの時、天音さんにひと目ぼれしたんだ。
「一年前、駅の桜の下で、泣いてたよね?」
「駅で……?」
窓枠に肘をついた姿勢で、天音さんが首を傾げた。
「うん。でも、声をかける前にいなくなっちゃったんだけど。ずっと気になってたんだ」
んー、と少し考えてから「あ」と天音さんが声を上げた。
「思い出した?」
「うん。でも、たいしたことじゃ、ないよ。あの頃のわたしは、なんでも怖くて、なんでも哀しかったから」
「それでも、知りたいな」
「散歩をしててね。駅の近くを歩いてたら、たまたま電車がホームに入ってきて、その時思ったんだ。わたし、山加外から出たことがないから、いつか、電車に乗って、遠くまで行きたいなぁって思って。でも電車に乗るなんてわたしには無理だし、知らない場所なんて怖くて絶対に行けないなあって思って。それが、哀しかったの」
「遠くに行きたいの?」
「怖くないなら」
「怖くはないと思うけど……。バイクでよかったら、ちょっと遠出する?」
「え、いいの?」
「いいよ」
ちょうど、今日はバイトのシフトに入っていない。
大学の講義はまだ本格的に始まっていない時期だから行かなくてもいい。
パーティーの準備に間に合うように帰ってくれば問題ない。
「待ってて。すぐ着替えてくる」
天音さんの顔が、窓からひっこんだ。
天音さんを待ちながら、おれは考える。
山加外へ来てからのこの一年間のこと。
出会ったみんなと、送ったひとたちのこと。
そしてこれからのこと。
山加外に来て、天音さんに会って、おれはこれからのことが考えられるようになった。
もっとずっと、みんなと一緒に生きていたいって思えるようになった。
おれたちは妖怪で、人間の中で生きていて、生き辛いと思うことも多いけど、それ以上に生きていてよかったって思えることが多いってわかったんだ。
そしておれなんかでも、少しはひとの役に立てるかもしれないってこともわかった。
おれたち髪切りはもらってばかりだから、誰かに少しでもそれを返せるなら、ちょっとは自分にも生きる価値があるかもしれないと思える。
天音さんは、ちゃんと生きているだけで生きる価値はあるよ、と言ってくれたけど、少しでも誰かの役に立ちたいという気持ちは理解してくれていて、おれが時々梨花さんの手伝いをすることには納得してくれている。
おれにこんな出会いがあるなんて、こんなことができるなんて、あの部屋に閉じこもったままじゃあ知ることができなかった。
母さん。おれ、山加外へきてよかったよ。
おまたせ、と声がして振り返ると、そこには息を弾ませた天音さんが自分用のヘルメットを抱えて立っていた。
おれに未来があるのは天音さんのおかげだ。
だからおれは、できるだけたくさん、彼女の望みを叶えようと決めた。
雨音をさせてしまうような隙がないくらい、天音さんを嬉しいことでいっぱいにしてあげたい。
「行こうか」
「ん」
おれたちはこの山加外で、一緒に生きてゆく。
(了)




