第12話「崩れ落ちる巨体と紅い雪」
鉛色の雲から粉雪が舞い散る城の正門前で、黒い血と白い雪が入り混じる凄惨な死闘が繰り広げられていた。
レオンは分厚い鋼の長剣を両手で握りしめ、襲いかかってくる灰色の魔獣を次々と両断していく。
魔獣の体毛は泥と自身の排泄物で固くこびりつき、あばら骨が浮き出るほど痩せ細っているが、その分だけ動きは異常なほど素早く狂暴だった。
黄色く濁った眼球は完全に理性を失い、口からは凍りつく前に糸を引く粘ついた唾液が絶え間なく垂れ流されている。
四方八方から飛びかかってくる鋭い爪と牙を、レオンは最小限の動きで紙一重でかわし、反撃の刃を正確に獣の急所へと叩き込んでいく。
剣が骨を断ち切る硬質な音と、獣の断末魔の悲鳴が、冷たい風の音を掻き消して響き渡っていた。
レオンの背後では、屈強な領地の兵士たちが盾を並べて防衛線を構築し、城壁の内部への侵入を完全に阻んでいる。
兵士たちの足元のすぐ後ろには、ルカが丹精込めて耕し、緑の芽が吹き始めた黒い土の畑が広がっていた。
レオンは剣を振り抜いた遠心力を利用して身体を反転させ、背後から迫っていた別の魔獣の首を正確に刎ね飛ばす。
動脈から噴き出したどす黒い血が雪原を扇状に染め上げ、強烈な鉄の匂いが冷気とともに鼻腔を突き刺した。
戦況は、完全にレオンたちの優勢で進んでいた。
王都の温室で育った貴族たちが想像もできないほど、北の辺境を守る兵士たちの練度は高く、何よりレオンという個人の武力は図抜けている。
群れの半数以上がすでに雪の上に屍をさらし、残る魔獣たちの間にも明確な恐怖とためらいの空気が広がり始めていた。
あと少しで、この群れを完全に退けることができる。
誰もがそう確信したその瞬間、森の奥の暗がりから、他の個体とは比較にならないほどの巨大な影が飛び出してきた。
***
それは、群れを統率する頭目の魔獣だった。
体長は馬を優に超え、全身には過去の戦いで負った無数の古い傷跡が白く刻み込まれている。
頭目の魔獣は一直線にレオンに向かうのではなく、防衛線の一角を担っていた若い兵士の死角に向かって、信じられない跳躍力で飛びかかった。
若い兵士が頭上の脅威に気づき、慌てて盾を構えようとした時には、すでに巨大な牙が兵士の首元へと迫っていた。
「退がれ」
レオンの低く鋭い声が響いた直後、レオン自身の巨体が若い兵士を突き飛ばすようにして間に割って入った。
鋼の長剣を下から上へと力強く振り上げ、魔獣の分厚い下顎を下から脳天に向けて突き刺す。
剣の刃が硬い骨を砕き、 獣を完全に絶命させる鈍い音が響き渡った。
しかし、死の直前に魔獣が振り下ろした丸太のような太い前足の爪が、レオンの無防備になった左の脇腹を容赦なくえぐり取った。
分厚い革の胸当てと鋼の留め具が、紙きれのように無惨に引き裂かれる鋭い音が鳴る。
レオンの身体が大きく宙に浮き、雪の上に重い音を立てて叩きつけられた。
魔獣の巨体は完全に絶命し、レオンのすぐ横に崩れ落ちて動かなくなる。
「レオン様」
兵士たちの悲鳴に近い叫び声が上がる中、レオンは剣を杖代わりにしてゆっくりと膝立ちになった。
引き裂かれた左の脇腹からは大量の鮮血が溢れ出し、純白の雪を瞬く間に真っ赤に染め上げていく。
レオンの顔からは急速に血の気が失われ、口の端からは細い血の糸がこぼれ落ちていた。
それでもレオンは立ち上がり、残った魔獣たちに向けて鋭い眼光を放つ。
頭目を失い、圧倒的な気迫を前にした残兵の魔獣たちは、ついに完全に戦意を喪失し、悲鳴を上げながら森の奥深くへと逃げ去っていった。
戦いが終わった静寂の中、レオンを支えていた最後の気力が限界を迎え、その巨大な身体が前方にゆっくりと傾く。
硬い氷の地面に倒れ込む寸前、何者かがレオンの身体を必死に抱きとめた。
「レオン様、しっかりしてください。目を開けてください」
それは、地下から飛び出してきたルカだった。
ルカの衣服はレオンの身体から流れ出す血ですぐに真っ赤に染まったが、ルカはそんなことを気にする様子もなく、震える手でレオンの傷口を強く押さえつける。
指先から伝わってくる血の温度は恐ろしいほどに熱く、それに反比例するようにレオンの肌の温度は急速に失われつつあった。
レオンはわずかに目を開け、焦点の定まらない灰色の瞳でルカの顔を見上げる。
「なぜ、外に、出た」
かすれ、血の混じった微かな声がレオンの唇から漏れた。
「地上の音が止んだから。あなたが、どうなったか心配で」
ルカの視界は溢れ出す涙で完全に歪み、声はしゃくり上げるように震えていた。
自分の腕の中で命の灯火が消えかかっているこの男を、絶対に失いたくない。
冷たい雪と土の匂いに混じって、レオンの血の匂いを強く感じながら、ルカは自分がすでにこの不器用な男を心の底から深く愛していることを、その極限の恐怖の中で完全に自覚していた。
レオンの大きな右手がわずかに動き、ルカの涙に濡れた頬にそっと触れる。
その指先の触感は凍りつくように冷たかったが、ルカにはそれがどんな火よりも温かく感じられた。
「泣く、な。お前の顔が、見えないだろう」
微かに口角を上げ、不器用な微笑みを浮かべた直後、レオンの腕から完全に力が抜け、雪の上へと力なく滑り落ちた。
ルカの張り裂けるような悲鳴が、鉛色の空の下、雪に覆われた辺境の地にどこまでも響き渡っていった。




