第10話「血塗られた伝令と凍てつく決意」
雪の上に倒れ込んだ兵士の身体から、濃密な血の匂いが冷たい風に乗って周囲へと広がっていく。
ルカは躊躇することなく雪の上に膝をつき、意識を失った兵士の身体を抱き起した。
分厚い革鎧の表面には、腹部から流れ出した大量の血がすでに黒々とした氷の結晶となって張り付いている。
裂けた布地の隙間から覗く傷口からは、生暖かい鮮血が今もなお脈打つように溢れ出していた。
金属の匂いと内臓の青臭い匂いが混ざり合ったひどい悪臭が、ルカの鼻腔を容赦なく突き刺す。
兵士の顔は蝋のように青白く、呼吸はひどく浅くて早い。
広場に集まっていた領民たちは、突如として突きつけられた凄惨な現実に完全に言葉を失い、石像のように立ち尽くしていた。
子供たちの無邪気な笑い声は完全に消え失せ、誰かが息を呑む微かな音だけが冷たい空気を震わせている。
ルカの背後で、巨大な聖獣であるシロが鼻先に深いしわを寄せ、喉の奥から地鳴りのような低いうなり声を上げた。
シロの全身の純白の毛が逆立ち、黄金色の瞳が南の山脈の方角を鋭く睨みつけている。
ルカは震える両手に力を込め、兵士の傷口を自分の外套の裾で強く圧迫した。
「誰か、急いで戸板を持ってきてください」
ルカの口から発せられた声は、自分でも驚くほど低く、そして静かに響き渡った。
その声に弾かれたように、硬直していた数人の村の男たちが我に返り、近くの家屋から木製の頑丈な戸板を外して駆け寄ってくる。
ルカの指示に従い、男たちは兵士の身体を水平に保ったまま慎重に戸板の上へと乗せた。
「この人をすぐに城の医務室へ運びます。皆さんは各家の暖炉の火を消し、手分けして食料と毛布を持ち出し、城の地下にある大広間へ避難してください」
ルカは立ち上がり、不安に顔を歪める領民たちの顔を見渡した。
「慌てず、子供たちや足の悪いお年寄りを優先して誘導してください。城の壁の中にいれば、絶対に安全です」
ルカの迷いのない視線と毅然とした態度に、領民たちの瞳に宿っていた恐慌の色が少しずつ理性的な光を取り戻していく。
男たちが力強く頷き合い、村中に避難を呼びかける大声が次々と上がり始めた。
ルカは兵士を乗せた戸板を運ぶ男たちに並走し、雪の積もったなだらかな坂道を引き返して地下の大広間へと全力で駆け上がる。
冷たい空気が刃物のように肺の奥まで入り込み、呼吸をするたびに胸の奥が焼け付くように痛んだ。
革靴の裏が雪を踏み抜く鈍い音が、規則正しいリズムを刻んで耳を打ち続ける。
城の巨大な正門にたどり着くと、すでに見張りの兵士たちが事態の異常に気づき、重い鉄格子の門を滑車と鎖をきしませながら引き上げていた。
ルカは息を切らしながら薄暗い城内へと飛び込み、真っ直ぐにレオンのいる執務室の方角へと走る。
石造りの回廊には、武装を固めるために走り回る兵士たちの重い足音と、金属の防具がぶつかり合う冷たい音が反響して満ちていた。
執務室の重厚な木の扉の前に到着するや否や、ルカはノックもせずに金属の取っ手を強く押し下げる。
部屋の中では、レオンがすでに分厚い革の胸当てと鋼の肩当てを身につけ、腰に長大な剣の帯を巻きつけている最中だった。
灰色の鋭い瞳が、乱れた呼吸を繰り返すルカの姿を捉える。
「南から、魔獣の群れがこちらに向かっています。王都からの使者も、その群れに追われていると伝令が」
ルカはかすれる声を必死に振り絞り、広場で聞いた情報をすべてレオンに伝えた。
レオンの表情には微塵の動揺も浮かばず、ただ静かに頷いて腰の剣の留め具を固く締める。
「すでに物見の兵から報告は受けている。群れの規模はおよそ50。飢餓で理性を失った狂暴な個体ばかりだ」
レオンは机の上に広げられた領地の地図を一瞥し、重い足取りでルカの目の前まで歩み寄ってきた。
分厚い金属の防具から漂う古い油の匂いと、レオン自身の持つ冬の森のような冷涼な気配がルカを包み込む。
「ルカ、お前はすぐにシロと共に地下の避難所へ向かえ。扉を内側から固く閉ざし、戦いが終わるまで決して外には出るな」
レオンの言葉は低く静かだったが、そこには一切の反論を許さない強固な意思が込められていた。
「レオン様は、門の前に出るおつもりですか」
ルカの問いかけに、レオンはただ短く瞬きをするだけで答えた。
領民を城の中に入れ、分厚い城壁と強固な正門を盾にして戦えば、被害は最小限に抑えられるはずだ。
しかし、レオンの目はそれだけでは不十分だと語っている。
魔獣の群れを城壁に張り付かせれば、ルカが苦労して耕し、ようやく小さな命が芽吹き始めたあの畑が完全に踏み荒らされてしまう。
レオンは、領民の命だけでなく、ルカがもたらした土地の希望そのものを守るために、城の外で迎撃するつもりなのだ。
「どうか、ご無事で」
ルカは両手を胸の前で固く握りしめ、祈るようにレオンの顔を見つめた。
レオンは無言のまま大きな右手を持ち上げ、革手袋に包まれた武骨な指先で、ルカの冷えた頬にほんの少しだけ触れる。
「必ず戻る」
そのひと言だけを残し、レオンはひるがえる外套の音とともに執務室を後にした。
残されたルカは、頬に残るわずかな熱の感触を右手でそっと覆い、自身の果たすべき役割を果たすために、引き返して地下の大広間へと走り出した。




