エピローグ:終章3:業火の余波と、案じられる絆
「平穏な日常と言えば……。こちら側とは対照的に、平穏どころではなくなった『非日常』の真っ最中にいる連中もいますね」
閻魔はそう言うと、傍らに置いていたバッグから、あの無機質な輝きを放つタブレット端末を滑らせるように取り出した。
彼女が手慣れた仕草で画面を操作し、カウンター越しに二人にも見えるようテーブルにセットすると、そこには目を覆いたくなるような「現実」が映し出されていた。
画面に躍っていたのは、以前まで鶫が通い、翼が生前君臨していたあの学校に関するニュース記事や写真の数々であった。
「鶫さんへの暴力について、凄まじい勢いで報道陣が押し寄せたり、世間から凄惨な責め苦を受けているようですよ」
閻魔が冷淡に告げた通り、そこには鶫に対していじめという名の暴力を振るい、迫害し続けた生徒たちへの苛烈なバッシングが吹き荒れていた。
彼らを放置し、見て見ぬふりをし続けた学校組織への非難も凄まじく、SNSやコメント欄では、彼らの将来を根こそぎ奪い去らんとする大旋風が巻き起こっている。
閻魔はさらに指先を動かし、次に美馬義彦が経営していた会社についての記事を表示させた。
そこには、かつて就職面接などで義彦に人格を否定され、罵倒され、泣かされた者たちからの怨嗟の声が地鳴りのように押し寄せていた。
「死んで当然の老害」「因果応報」といった口汚い罵りの言葉が羅列され、彼の築き上げた虚飾の城は、死してなお、世間という名の炎に焼かれ続けている。
笠原慎介と智弘についても、残された家族の居住地までもが特定され、迷惑系の動画配信者たちが土足で踏み込むような突撃を繰り返して追い詰めているという。
また、慎介と智弘の法律上は詐欺としてしょっぴけないが、詐欺としか言いようがない悪徳コンサルティングの被害者からも大バッシングを浴びて、所謂「死体蹴り」としか思えない責め苦を死して尚受け続けている。
閻魔は、その惨状を眺めて一つ小さく溜息をついた。
「……そういえば彼岸さん。あなたにとっては、もう20年以上前の話になりますが、あの老害が社長を務めていた会社を受け、落とされていますよね」
不意に投げかけられたその言葉に、鶫は小さく息を呑んだ。
対する彼岸は、まるであの施設で野菜を切っていた時と同じような、どこ吹く風といった穏やかな笑顔を浮かべている。
「おや、よくご存じで。閻魔さんの情報収集能力には恐れ入ります」
そのやり取りを聞き、鶫は確信した。
施設で過ごした初日、プロフィールを読んだ時に「彼岸はかつて彼の会社の面接を受けたのではないか」という直感は、紛れもない真実だったのだ。
「結局は、当時の私が未熟であったゆえに不採用でした。今となっては懐かしい思い出です」
彼岸が淡々と微笑む。
「つまり、あの老害には人を見る目が欠片もなかったということを、自ら証明したという事ですね。滑稽な話です」
閻魔はどこか不機嫌そうに珈琲を一口含んだ。
「何はともあれ、収まるべくして収まり、落ち着くべきところに落ち着いたって事です。モニター越しに見ておりましたが、あの施設で皿洗いをしながら鶫さんに言っていましたよね、彼岸さん。『結果自然』と」
閻魔が彼岸の過去の言葉を引用して微笑む。
すると、彼岸は少しだけ残念そうに、眉を下げて合掌した。
「……出来る事ならば、皆が円満に終焉を迎え、そして穏やかな日常に戻って欲しかったのですがねえ」
「それって……彼岸さん、あの4人にも、生きていて欲しかったということですよね?」
鶫が恐る恐る尋ねると、彼岸は静かに「ええ」とだけ頷き、亡き者たちのために再び念仏を称え始め、鶫も自然と合掌する。
「これだけのヘイトを集めていれば、たとえ山で滑落しなくても、いずれ『私刑』という形で絶命していたかもしれませんよ。世間の暴走した正義感ほど、制御不能で凶悪なものはありませんから」
閻魔の冷酷な分析を聞きながら、鶫の胸の奥に、ある一人の女性の顔が浮かんだ。
施設から無事に解放された、もう一人の生き残り。
かつては反目し合い、けれど最後には共に手を取り合った幸子。
自分たちと同じく、世間の猛火に晒されているであろう彼女は、今どこでどうしているのだろうか。
あの4人のような悲劇に巻き込まれてはいないだろうか。
鶫は窓の外の闇を見つめ、幸子の身を心から案じずにはいられなかった。
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