第七十八章:灰燼に帰した過去と、琥珀色の新居
鶫が深々と頭を下げ、タブレット端末の中の閻魔に感謝を伝えると、画面の向こうからどこか静かな、それでいて確信に満ちた声が返ってきた。
「特に鶫さんは、これから色々と大変でしょうからね。その1000万円は、あなたの新しい門出を支える重要な資金になるはずですよ。手元の書類をよく見てごらんなさい。」
閻魔に促されるまま、鶫は封筒から残りの書類を引き出した。
そこには「新居」と力強く記された一束の資料があり、どこか懐かしさを感じさせる団地のような建物の図面と、それとは対照的な、洗練されたモダンな内装写真が数枚添えられていた。
「そこが、鶫さんの新しい住まいです。外観こそ落ち着いた団地風ですが、内装はタワーマンションにも引けを取らない豪華な造りにしてあります。使い勝手も、暮らしやすさも抜群のはずですよ。若者が背伸びして住むようなギラギラしたタワマンより、今のあなたにはこうした場所の方が、心穏やかに過ごせるでしょう?」
閻魔は淡々と、しかし細やかな配慮を滲ませて説明を続ける。
「家賃はこちら持ちです。敷金、礼金、更新料も一切不要。流石に毎日の食費までは面倒を見切れませんが、あの施設で卓越した生活力を見せたあなたなら、そんな心配は無用でしょうね。」
「え……? あの、そもそも新居って……どういう事ですか? 私は、元いた家に帰るつもりで……。」
鶫は困惑し、視線を泳がせた。
10億円を手に出来なかった親戚たちの元へ帰るのは恐怖でしかなかったが、それでも「帰る場所」がそこしかないと思っていたのだ。
「あなたにはもう、物理的な意味で帰る場所がないからですよ。」
閻魔の言葉は、氷のように冷たく、逃れようのない事実として突きつけられた。
鶫が目を見開き、言葉を失って固まっていると、タブレットの画面が不意に切り替わり、一つのWEBニュース記事が写真付きで大きく映し出された。
そこには、見覚えのある場所でありながら、凄惨な光景があった。
鶫が長年迫害を受け続けてきた叔父たちの自宅が、激しいガス爆発によって木っ端微塵に大破している写真だ。
記事には、叔父と叔母、そしてその息子である親戚の兄の三人が遺体で発見されたという、衝撃的な内容が綴られていた。
「火元は台所のガスコンロ。ガスの元栓も閉めずにいたまま、何らかの原因でガスが充満しているのに、横着しつつ慣れない料理でもしようとしてやらかしたんじゃないか、そんな感じの憶測が記事の後半に書いてありませんか?」
閻魔はまるですべてを見透かしているかのように、皮肉めいた口調で告げる。
「まあ、結果としてあなただけが難を逃れたわけですから、これも何かの御縁というやつかもしれませんね。」
「そんな……。」
鶫は、自分を売り飛ばした者たちのあまりにも唐突で呆気ない最期に、ただ立ち尽くすしかなかった。
「因みに、どういうわけか鶫さんの持ち物は、爆発の前に庭先へ放り出されていたみたいですよ? あなたがいなくなった後、あの傲慢な息子があなたの部屋を占拠しようと、私物を勝手に放り出したとか、そんな可能性はいくらでも考えられます。全くもって卑しい輩ですが、そのおかげであなたの私物は無事だった。まさに結果オーライというわけです。」
閻魔は、やれやれと言った感じの声色で言い放つ。
すると、鶫の傍らに立っていたショートカットの女性スタッフが、ニュースの表示に合わせて口を開いた。
「ニュースが出ると同時に、私たちが現地へ赴いて鶫さんの持ち物はすべて回収しました。既に新居へ運び込み、整理も済んでいますのでご安心を。あ、お話の途中ですけど、私とこちらの男性スタッフにも珈琲、頂けます? 香りが良くて、さっきからずっと飲みたいと思っていました。」
その唐突な注文に、カウンターの奥で静かに話を聞いていた彼岸が、いつもの穏やかな顔で応じた。
「はい、ただいま。少々お待ちくださいね。」
慣れた手つきで豆を挽き、丁寧にドリップされた珈琲が二客、カウンターに置かれる。二人のスタッフは「有難う御座います」と短く礼を言い、一口含んで「……ふぅ」と、張り詰めた空気を溶かすようにホッコリとした表情を見せた。
鶫がまだ情報の奔流に呑まれ、唖然と立ち尽くしている中。
タブレットの画面は再び「閻魔」の仮面へと戻った。
「今度、私もそちらへお邪魔した時に、その珈琲を頂くとしましょう。楽しみにしておきますよ。」
閻魔はどこまでも淡々と、しかしこれからの鶫の人生に、自分という存在を当たり前のように組み込むような言葉を残した。
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