第七十七章:不適合者への報奨と、琥珀色の契約
カサリ、と厚みのある茶封筒の封を切る音が、静かな喫茶店の中に重く響いた。
鶫と彼岸が慎重に中身を取り出すと、そこには数枚の公的な書類と共に、一冊の通帳、朱肉の香りが微かに残る印鑑、そして通帳とリンクしているであろうキャッシュカードが収められていた。
「まずは、通帳の中身を確認してください。」
タブレット越しの閻魔が、冷徹ながらもどこか期待を込めたような声で指示を出す。
二人は顔を見合わせ、同時に入力されたばかりの真新しい印字に目を落とした。
彼岸の通帳に刻まれていた数字は、10億円と1000万円。
そして鶫の通帳には、1000万円という数字が並んでいた。
「……っ!?」
鶫は思わず目を見開き、信じられないものを見るかのように数字を凝視した。
一方で彼岸は、その天文学的な数字を前にしても驚く風もなく、ただ困ったような、どこか途方に暮れたような苦笑いを浮かべている。
「鶫さんの金額は、例の内職の正当な報酬です。そして彼岸さん、あなたの金額は本来、選定された者の『家族』が受け取るはずの報奨金を、そのまま入金してあります。」
閻魔が事も無げに、淡々と説明を続ける。
「おやおや、私は不適合者だったという事から、こうして元気に生存しておるのですがねえ。死んでいない私に、死の対価とはこれいかに。」
彼岸が穏やかに疑問を呈すると、閻魔は鼻で笑うような気配を見せた。
「結果として生きてはいらっしゃいますがね。ライブ配信では、あなたが絶命したように見える場面までが全国に放送されました。公式記録上、今のあなたは死者です。現段階で彼岸さんが生きていると知っているのは、ごくごく一部の人間だけですよ。いわば、今のあなたは社会的に抹殺された存在です。その不便さへの対価だとでも思ってください。」
閻魔の声が、僅かに熱を帯びる。
「そして、通常であれば選定された者の家族は10億円を受け取れますが、あなたには身寄りがいない。そうなると、この10億円は宙に浮いてしまう。よって、彼岸さん本人が受取人と言う事で着地させました。異論は認めません、大人しくこの大金を押し付けられてください。」
「……さぞかし重い荷物になりそうで御座いますなあ。」
彼岸は溜息を吐くように笑った。
閻魔はそれを見透かすように言葉を重ねる。
「恐らく彼岸さんの事ですから、この金には手を付けず、暫く放置してそのまま忘れ去るか、あるいはどこかの寺院や慈善団体へ殆ど寄付する等して、自分の為には一銭も使わないのでしょう。ですが、受け取るだけは受け取っておいてください。」
鶫は隣で、全く同じことを考えていた。
この人はきっと、この大金があっても、明日からも変わらず作務衣を着て、穏やかに念仏を称えて生きていくのだろう。
「それでは、有難く頂戴いたします。有難う御座います。お心遣い、感謝申し上げます。」
彼岸は笑顔で掌を合わせ、静かに合掌してお辞儀をした。
「あの……。」
鶫が震える指先を通帳に向けたまま、恐る恐る口を開いた。
「彼岸さんが受け取られる報酬については納得できます。でも、私が頂いたこの1000万円は、流石に多すぎませんか? シール貼りの内職だけで、これほどの金額になるなんて……。私が知らないだけで、これが世間一般の内職の相場なのでしょうか。それとも、あの製品はとんでもなく高価な物だったとか?」
「ふふ、シール貼りだけでそんな金額になるはずがないでしょう。それには『参加料』としての意味も含まれています。それに、御二人はやらなくてもいい仕事を率先してやってくれましたからね。」
閻魔の声が、少しだけ優しさを孕んだ。
「あのクソガキを始めとしたボンクラ共が、豚のように食い散らかしやがった食器の後片付けや、珈琲の給仕、掃除……。本来はこちら側のスタッフがこなすべき仕事を、あなた方は淡々と、当然のように引き受けてくれた。あれは強制された労働ではなく、あなた方の善意による行動です。あの極限状況下において、人としての品位を保ち、率先して家事をした事への報酬です。胸を張って受け取りなさい。」
その言葉は、鶫の胸に深く、温かく突き刺さった。
あの日々の中で、彼岸と共に過ごした「当たり前の生活」が、閻魔には正しく評価されていたのだ。
「……はい。有難う御座います。では、有難く頂戴致します。」
鶫は彼岸に倣うように深く頭を下げた。
手元にある1000万円という数字は、ただの金銭ではなく、地獄のような場所で自分たちが守り抜いた「人間としての誇り」の証に思えた。
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