第七十四章:微睡みの揺籠と、再会の停車場
鶫が案内されたのは、施設内の無機質な廊下からは想像もつかないほど、清潔感に溢れた綺麗な医務室であった。
室内には3名の女性ドクターが白衣を纏って控えており、彼女たちは鶫を認めると、威圧感を感じさせない柔和な笑みで迎え入れた。
血圧や心拍数といった基本的な健康状態を測定するため、鶫は促されるままに真っ白なシーツが敷かれたベッドに横たわる。
背中に伝わる適度な弾力と、微かに漂う消毒液の香りが、かえって彼女の張り詰めていた神経を緩ませていく。
「退屈で眠くなったら、遠慮なく寝てもいいですからね。」
一人のドクターが、次の検査機材を準備しながら、母親が子に語りかけるような優しい口調で笑い掛けた。
「あ、その前に水分補給をしておいてくださいね。スポーツドリンクです。少し口にするだけでも楽になりますよ。」
別のドクターが、透明なコップを差し出した。
中には、ほんのりとした甘い香りを漂わせるスポーツドリンクが少量注がれている。
「有難う御座います。」
鶫は短く礼を言い、受け取ったコップをゆっくりと傾けて中身を飲み干した。
再びベッドに横たわると、身体の芯から急速に力が抜けていくのを感じた。
ここ数日間の、息もつけないほどの緊張。
彼岸を失った絶望と、枯れるまで流し続けた涙。
それらすべてが重石となって、鶫の意識を深い微睡みの底へと引きずり込んでいく。
「ずっと緊張していた上に、泣き疲れていたみたいだから、眠くなるのも無理もありません。今は、ゆっくり休んで良いですよ。後はもう、帰るだけだから。」
その穏やかな言葉を最後に、鶫の意識は完全に途絶え、穏やかな寝息へと変わっていった。
鶫が深い眠りに落ち、何があっても起きないことを慎重に確認すると、ドクターは表情を引き締め、壁に設置された通信デバイスを操作した。
「無事に眠りました。」
ドクターが報告すると、デバイスの向こう側から「有難う御座います。」という、閻魔の凛とした声が返ってきた。
直後、医務室の重厚なドアが音もなく開き、あの4人組の男性スタッフが入室してくる。
彼らは使い古された部品を扱うかのような無機質さを捨て、壊れ物を扱うかのような手つきで、丁寧に鶫をストレッチャーへと移し替えた。
「決して起こさないように、優しく車に乗せて下さい。彼岸さんが先に到着している喫茶店まで、彼女をお連れして下さい。安全運転でお願いしますよ。」
閻魔の声が、デバイス越しに静かな命令を下す。
「プツン」という音と共に通信が切れると、スタッフたちは一言も発さず、鶫を乗せたストレッチャーを押し、施設の外へと向かった。
屋外には、既に漆黒の塗装が施された大型のワゴン車が、アイドリングの振動すら殺して待機していた。
鶫は眠ったまま、後部座席のフラットなスペースへと運び込まれる。
扉が閉まり、車がゆっくりと動き出す。
彼女が次に目を覚ます場所は、もはや鉄格子の嵌まった監獄ではない。
黒いワゴン車は、少女の新たな人生という名の「報酬」を乗せて、静かに街へと走り去っていった。
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