第七十二章:廃棄される血縁と、再生の報酬
閻魔は、テーブルに置いた仮面を一度だけ冷ややかに見つめると、小さく、しかし重みのある溜息を一つ吐き出した。
その美しすぎる貌には、どこか退屈さと、それ以上に深い軽蔑が入り混じった複雑な色が浮かんでいる。
「さて、鶫さん。あなたは、自分がどうしてこのような場所に連れて来られたのか、この施設に送り込まれたのか、その理由について大体の察しがついているんじゃありませんか?」
閻魔の問いかけは、静かな湖面に石を投じるかのような、逃れようのない鋭さを伴って響く。
鶫は膝の上で固く握りしめていた拳を僅かに震わせ、掠れた声で答えた。
「……親戚が、私を売ったからですか?」
「やはり察しのいい子ですね、鶫さんは。そう、あなたは10億円と言う、一般家庭からしたら大金ともいえる金額で売られました。1円の価値もないどころか、廃棄処分するにもコストがかかる程の愚物共によってね。」
閻魔は、吐き捨てるように言い放った。
「そして、結果としてあなたは選ばれず、あなたの親戚は10億円を手にすることは出来なくなりました。恐らく、このまま帰っても今よりも更に酷い日常が待っているだけでしょうね。彼奴等は金欲しさにあなたを売り飛ばしたのに、その金が手に入らなかったんですから。逆恨みの矛先がどこへ向くか、想像に難くありませんよ。」
淡々と告げられる残酷な未来を前にして、鶫の瞳に宿る光は消えなかった。
「家出でもしますか?」
閻魔が試すように、あるいは道を示すように尋ねる。
鶫は迷いのない動作で小さく頷いた。
「それもいいかもしれません。」
「……やはり、ですか。この企画への参加が決まってここに連れて来られた時、あなたはどこかほっとしていたのでしょう? 選定されようがされまいが、その後の人生を全て捨てるつもりだったからこそ、あのような平然とした態度でいられた。……そして、自分こそが選定されるべきだとも、心のどこかで思っていたはずです。」
閻魔の看破した事実は、鶫が誰にも明かさなかった魂の傷跡そのものであった。
鶫は否定せず、ただ黙ってその言葉を受け入れ、深く深く頷いた。
「選定の時にも話した通り、この企画は自死を手助けする施設ではありませんし、そのような願望がある人は不適合者です。死の覚悟が完了している者や、自らの死を希望する者程、この『生を奪い合う場』に相応しくない者はおりませんから。」
閻魔はそう言うと、ふっと慈愛に満ちた笑みを湛えた。
「ですが、今は彼岸さんへ誓った思いがあるために、生きることを決意されたようですね。彼岸さんも、さぞ喜ぶと思いますよ。」
「……はい。」
鶫の短い返事には、かつての絶望ではなく、確かな生の重みが宿っていた。
「さて、私からは以上です。鶫さんからは、何かありますか?」
閻魔の問いに、鶫は静かに首を振った。
「ありません。」
その時、閻魔の懐から短く無機質な電子音が鳴り響いた。
彼女は端末を取り出して画面を一瞥した後、再び鶫に向き直る。
「今し方、幸子さんの帰還前健診が終わり、異常無しが認められて、無事にこの施設を出ました。」
その言葉を聞いた瞬間、鶫の胸の奥を締め付けていた不安が、一気に霧散していくのを感じた。
「これから鶫さんも、医務室で健診を受けて貰います。その後で内職の報酬を受け取って貰いますから、受け渡し場所へ向かって貰います。」
「内職の……報酬?」
鶫は、閻魔の言葉にハッと目を見開いた。
この数日間のあまりにも濃密で凄惨な出来事の中で、彼岸と共に無心で取り組んだあの作業に報酬が出ると言われていたことを、彼女はすっかり忘れ去っていたのだ。
あの部屋で彼岸と交わした会話、指先に残る糊の感触、そして共に過ごした穏やかな時間。
それらが単なる記憶としてだけでなく、形ある「報酬」として残ることに、鶫は微かな驚きと共に、彼との繋がりがまだ途切れていないような不思議な温もりを感じていた。
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