第七十章:剥がれ落ちる虚飾と、冥府の真実
鶫が暫く自室のデスクで幸子の残した言葉を反芻していると、静寂を切り裂くような規則正しいノックが三回、部屋に響き渡った。
扉を開けると、そこには昨日、彼岸を連行していったあの屈強な4人のスーツ男たちが、彫像のように無機質に立っていた。
鶫は小さくお辞儀をして彼らを迎え入れるが、男たちは言葉を交わさず、ただ「こちらです」とだけ短く促した。
彼女は彼らの背中に従い、見慣れたはずの冷たい廊下を静かに歩き出した。
やがて一行は、かつて彼岸と共に無心で内職に励んだあの思い出の部屋を通り過ぎ、これまで一度も足を踏み入れたことのない重厚な扉の前で足を止めた。
「プシューッ」という密閉が解けるような駆動音と共に扉が滑らかに左右へ開き、鶫はその奥に広がる異質な空間を凝視した。
そこは、磨き上げられた大理石の床が照明を反射する、社長執務室のような洗練された部屋であったが、物が極端に少なく、どこか非現実的な空虚さが漂っている。
中央に据えられた大きなガラステーブルを挟んで、二つの高級な革張りソファーが置かれ、その奥側には長い黒髪を流し、漆黒のスーツを纏った閻魔の仮面を被る女性が、足を組んで静かに座っていた。
鶫はその威圧感に気圧されそうになりながらも、一歩前へ出て丁寧にお辞儀を捧げた。
「ごきげんよう。……さあ、そちらのソファーにかけて下さい」
閻魔の声は、モニター越しに聞いていたものよりもずっと深く、そして耳元で囁かれているかのような艶かしさを帯びていた。
「失礼します。」
鶫は短く答えてソファーに腰を下ろし、深く沈み込む感覚に身を委ねながら、仮面の奥にあるはずの視線を探った。
「今日まで、本当にお疲れ様でした。あなたにとっては、地獄のような数日間だったことでしょうね」
「……はい。」
鶫の返答は短く、感情を押し殺したような平坦な響きであった。
閻魔は仮面を僅かに傾け、射抜くような沈黙の後に、単刀直入な問いを投げかけてきた。
「……私を恨んでいますか?」
「いいえ。」
迷いのない鶫の回答に、閻魔は仮面の下で小さく喉を鳴らした。
「予想通りの回答ですね。あなたは誰も恨んでいない。もし恨む対象がいるとするならば、それは周囲の悪意をただ受け入れることしかできなかった、あなた自身なのでしょう? 違いますか?」
図星を指された鶫は、膝の上で握りしめた拳に僅かな力を込めた。
「鶫さんは、御自身を恨んでいますか?」
「恨んではいません。……ただ、自分がどうしようもなく無力だと、そう感じているだけです。」
鶫の瞳に宿る静かな絶望を見て、閻魔は「フッ」と柔らかい吐息を漏らした。
「巨大な力の前では、あなた一人だけの力など、確かに無力に等しいでしょう。けれど、死の淵にあっても自分を失わず、他者のために祈ったその心意気、そしてその在り方は称賛に値します。私は素直に、あなたを尊敬していますよ、音無鶫さん。」
閻魔はそう告げると、スッと右手を高く掲げた。
その合図と共に、背後に控えていた4人のスーツ男たちは、一言の発声もなく機械的な動作で部屋を退出していった。
「ガチャンッ!」という重厚な施錠音が響き、密閉された空間には二人きりの、凍てつくような静寂が降り積もる。
そして、閻魔はゆっくりと、儀式的な所作で両手を自分の顔へと伸ばした。
指先が冷たい仮面の縁に触れ、固定されていた留め具が外れる微かな音が室内に響く。
「これが、私の真実です」
静かな宣言と共に剥がれ落ちた仮面の下から現れたのは、この世の者とは思えないほどに完成された、神秘的な美女の素顔であった。
陶器のように滑らかな白い肌、濡れたように輝く長い睫毛、そして深淵を思わせる理知的な瞳。
その美しさは、鶫がこれまで見てきたどのような人間の容姿ともかけ離れた、神々しくも禍々しい、圧倒的な「支配者」のそれであった。
---




