第六十三章:沈黙の真意と、拈華微笑の残光
豪華なソファーに深く腰を下ろした彼岸は、目の前で自分を「不適合者」と断じた仮面の主を見つめ、どこか楽しげに口角を上げた。
「やはり、私のような冗談も通じない面白みのない者では、派手なエンターテインメントにはなり得ませんでしたかな。期待外れで申し訳ない」
彼が自嘲気味に笑うと、閻魔は仮面の奥で鼻を鳴らし、組んだ足をゆったりと組み替えた。
「興味深いという意味では、あなたと言う人間の面白みは最高レベルですがね。ただ、エンターテインメント性が皆無であるのは確かです。……なるほど、どうやらあなたは既に、この企画の残酷な趣旨を完全に把握し、理解しているようですね。」
「完全に理解できているかどうかは怪しいところではありますが。以前、慎介さんや義彦さんが、声高に『トロッコ問題』や『カルネアデスの板』の話をされた時、もしやそうではないかと直感しておりました。もしこれが、高尚な倫理観を問う場ではなく、単なる娯楽としての見世物であるならば、あのような思考実験の正解など一切関係がないという事に思い当たりましてねえ」
彼岸の淡々とした指摘に、閻魔は「くくっ」と喉を鳴らして笑い声を上げた。
「流石、聡明な方です。あのコンサルタントを名乗る詐欺師と、老害が的外れな御高説をぶち上げた時、裏で観ていた私は大爆笑でしたよ。知ってます? 慎介さんは他のコンサルタントを『的外れだ』なんて偉そうに批判していましたが、最も的外れなのは彼自身なんです。……まあ、そんなことはどうでも良いのですが」
閻魔は椅子の背もたれに深く寄りかかり、モニターの向こう側を嘲るように言葉を継いだ。
「最初に『死のエンターテインメント』であると丁寧に説明してあげたというのに、思考実験がどうだのと、本当に何を言っているんだかって話です。そして……だからこそ、彼岸さん。エンターテイメントと言う観点からすると、あなたはこれ以上ないほどに不適合者なんです。あなたはこの状況にあって、死を全く恐れていない。淡々と運命を受け入れて、最期の瞬間まで、その仏道を歩む生き方を一切途切れさせなかった。麻酔が効いて意識が途切れるまでの、あの凛とした姿を観れば一目瞭然ですよ」
閻魔の声から温度が消え、剥き出しの「制作意図」が語られる。
「本来、この企画が求めていたのは、お互いに死を押し付け合った挙句、最後の最後まで醜く命乞いをして無様な姿をさらして死んでいく、そんなドブネズミのような人間の姿です。それを安全な場所から他人事として楽しむ側が、指を差して笑い悦に浸る……そのための演出をする予定でした。しかし、あなたは完全なまでに、見事にその真逆を行ってしまった。完全に覚悟が決まってしまっていて、死を恐れずに淡々とされては、こちらの趣旨に真っ向から反してしまいます」
閻魔は仮面を僅かに傾け、彼岸の瞳の奥を覗き込むように声を落とした。
「更に言うなら、あなたは他の人たちの死を避けるために、あの中間選定では何も書かずに黙っていたんじゃないんですか? そうすれば、『こいつは何をされても黙っている都合のいい奴だ』と周囲に思わせ、皆があなたにに票を集める可能性が格段に上がる。すべては、あなたの思惑通りになった。そうではありませんか?」
「よく見て下さっていますねえ。流石は、閻魔を名乗られるだけある」
彼岸は否定も肯定もせず、ただ春の陽だまりのような微笑を返した。
「あれって、何も言わずに微笑んでみせたのは、語り得ぬ事には沈黙を守るという『無記』とか、あるいは言葉を介さず心で伝える『拈華微笑』とか、不立文字教外別伝という仏の教えを、実際にやって見せたのですか?」
閻魔の問いに、彼岸は満足げに目を細めた。
「よくお分かりに。分かって頂ける方がいて、救われる思いですよ」
「私じゃなかったら完全に見逃していますし、一生理解出来なかったと思いますよ。少なくとも、鶫さん以外のあのボンクラ共は、一億回生まれ変わったとしても、あなたの沈黙の価値に気づくことはないでしょう」
閻魔は深い溜息をつくと、初めて一人の人間として、彼岸へ純粋な問いを投げかけた。
「……聞かせて頂けませんか? 彼岸さんが、そのように悟ったきっかけとなった転換の機について。あなたが何故、これほどまでに死の恐怖を超越した存在になったのかを」
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