第五十九章:当事者の轍と、闇に溶ける真意
透き通る紅い液体が揺れるカップを両手で包み込み、鶫は静かに顔を上げた。
幸子の潤んだ瞳の奥に宿る、決して消えることのない「影」を見つめながら、彼女は確かな確信を持って言葉を紡いだ。
「幸子さんには、当事者としての自覚があるんですね。自分が一人の人間を死へと追いやった……その中心にいたという、重い自覚が。」
「うん……一生、この責任を背負わなあかんにゃろね。忘れたらあかんのやと思う。自分が生き残るために、誰かの命の灯火を消したっていう事実は、墓場まで持っていかなあかん重大な荷物なんやわ」
幸子の声は、深夜の底に沈むように重苦しかった。
「……はい。私も、この凄惨な企画に参加し、その結末を目の当たりにした当事者として、一生涯、この記憶と共に歩んでいきます。逃げることはしません。」
鶫は、自らの内に芽生えた鋼のような決意を噛み締めるように言った。
「彼岸さんは、最後に私へ『生きて欲しい』と言って下さいました。その願いを、私は絶対に無碍にはしたくありません。……私、これまでに数え切れないほど『死ね』と言われ続けて来ました。でも、もう負けません。彼岸さんに救って頂いたこの命を、最後まで引き受けて、泥を啜ってでも生きていきます。」
鶫の瞳に宿ったのは、絶望を燃料にして燃え上がる、静かだが激しい生命の炎であった。
幸子は、その眩しすぎるほどの決意に圧倒されたように、呆然と彼女を見つめた。
「……鶫ちゃんは、本当に強い子やね。ほんま、閻魔さんが言うてたけど、なんで翼君や学校の子らからいじめられてるんか、アタシには理解できひんわ。あんたみたいな子が、なんでそんな目に遭わなあかんのやろ」
幸子は、痛ましさと感嘆が入り混じったような複雑な微笑みを浮かべた。
「ふふ、私にもわかりませんよ。そもそも、いじめとか理不尽な暴力になんて、正当な理由なんて最初からありませんから。理解しようにも、土台がないんでしょうね。」
鶫は自嘲するのではなく、客観的な事実を述べるように、ふっと柔らかく微笑んだ。
「ふふ、ちょっとだけやけど、やっと笑ってくれたね。その顔が見られただけで、今日は声をかけて良かったわ。」
幸子は少しだけ肩の力を抜き、安堵のため息を漏らした。
「もう大丈夫そうやね。ほな、アタシは部屋に戻るわ。紅茶のカップはそこに置いとき。アタシがまとめて洗っとくさかいに。」
幸子の心遣いに、鶫は小さく頭を下げた。
「有難う御座います。それじゃあ、お言葉に甘えて……失礼しますね。」
鶫は、空になった紅茶のカップを幸子に託すと、椅子を引く音を立てて立ち上がり、食堂を後にした。
「カツッ、カツッ」と、自分の足音だけが規則正しく響く無機質な廊下。
部屋に戻る道のりは、昨日よりもずっと長く、そして深く感じられた。
鶫は、壁に映る自分の影を見つめながら、先ほどの会話を反芻していた。
(当事者意識、か……。ひょっとして、この忌まわしい企画の目的は、それを私達に刻み込むことだったのかな。)
人は誰しも死から逃れられないという残酷な真実。
たとえ直接手を下さずとも、システムの歯車として誰かの死の「当事者」になり得るという、恐ろしい連鎖の自覚。
閻魔は、自分勝手な理屈で他者を排除する者達に、その「重み」を一生背負わせるために、この劇薬のような実験を仕組んだのだろうか。
(それとも……もっと別の、私の想像も及ばないような冷徹な目的があるのかな。)
鶫は暗い廊下の先にある自室の扉を見つめ、答えの出ない問いを闇の中に投げかけた。
彼女の背後には、ただ冷たい沈黙と、消えることのない「彼岸」という名の残響だけが漂っていた。
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