第五十一章:鏡像の絶望と、魂の叫び
「……私も、ですか?」
鶫が震える声で問い返すと、彼岸は一切の迷いなく、慈しみに満ちた瞳で深く頷いた。
「ええ。紛れもなく、鶫さんもまた、この世の理から外れた尊き逸脱者で御座いますよ。」
その声は、彼女の心の奥底に隠していた一番暗く、冷たい場所にまで真っ直ぐに届く。
「鶫さんは、あのフリップボードに自らの名前を書かれました。一つは、心から私を救おうとして下さるお気持ちによるものでありましょう。誠に慈悲深く、感謝申し上げます。」
彼岸は一度言葉を切り、ガラス越しに深々と、そして丁寧な所作で合掌してお辞儀をした。
「ですが……それだけでは無いのではありませんか?鶫さんは、ここに来られた当初から、既に自ら死ぬつもりだったのですね。そして『選定されるのは自分であるべき』だと、心の何処かで納得していらっしゃったように見受けられます。」
彼岸は、まるですべてを見通しているかのような、諭すような柔らかな声で続けた。
鶫は大きく目を見開き、肺から空気が抜け出たように絶句した。
誰にも悟られていないと思っていた、自分自身の奥底にある真っ黒な願望を、この男はあまりにも容易く言い当ててしまった。
「自己肯定感を根こそぎ奪い尽くされ、絶望の淵に追いやられた結果、選ばれたらそのまま終わり、選ばれなくても、ここを出た後に自ら死に向かうつもりだったのではありませんか?」
彼岸の言葉が、鶫の心臓を直接掴むように響く。
鶫の瞳から、堪えていた一筋の涙が静かに溢れ出し、冷たい床へと落ちた。
沈黙が部屋を支配し、彼女の嗚咽だけが聞こえてくる。
「……私はみんなから死を望まれています。ずっと『死ね』って言われ続けて来ました。学校でも、家でも。それが嫌なら少しは人の役に立て、さもなくば死ね、と。私の価値は、誰かの役に立つか、さもなくば消える事の二つにしかなかったんです。」
鶫は、剥き出しの傷口から血を流すような思いで、これまで誰にも明かせなかった真実を絞り出した。
「そうして、いつしかご自分は死ぬべきだと考えるようになった、と。悲しい誤解を、ご自分の魂に強いてこられたのですね。」
彼岸の声には、彼女の苦しみを共に背負うような、深い嘆きが含まれていた。
「はい。でも、そんな暗闇の中で、私は彼岸さんとここで出会いました。そして、確かに私はあなたに救われた。もう私なんて死んだ方がいいんだって、本気で思っていたところに、あなたは何も求めず、ただ救いの手を差し伸べて下さいました。」
鶫は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、ガラスの向こうの彼岸を真っ直ぐに見据えた。
「こんな私を、あなたは救って下さいました。あなたは、私に初めて、生きていていいんだと思わせてくれた。そして、これからもあなたは、私のように苦しみの中にいる人を救う事が出来ます。その優しさと強さを持っている。だから、あなたこそ生きるべきなんです! 私よりも、絶対に!」
鶫は、弾かれたように椅子を蹴って立ち上がると、ガラスを叩き割らんばかりの勢いで叫んだ。
溢れる涙を拭うこともしないまま、彼女は全身の力を振り絞って、絶望的な願いを口にする。
「だから……生きて下さい……。お願いだから、死なないで……っ!」
鶫の声は、防音のガラスに跳ね返り、無機質な部屋に空虚に響き渡る。
彼女は泣き崩れそうになる膝を必死に支え、自分を救ってくれた唯一の光を、懇願するように、そして祈るように見つめ続けた。
その魂の叫びは、冷徹な実験場であるこの施設において、唯一の、そして最も純粋な「真実」として刻まれていた。
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