第四章:毒入りの猜疑心と、静かなる食卓
広大なキッチンに、トントントンという軽快な包丁の音が規則正しく響き渡る。
彼岸と鶫は、言葉を交わさずとも互いの動きを補完するように、手際よくサンドイッチの具材を準備していった。
瑞々しいレタスを千切り、薄くスライスされたハムを丁寧に乗せていくその光景は、死の選定を待つ施設の中とは思えないほど、日常的で穏やかな空気を醸し出していた。
「手慣れていらっしゃいますねえ。」
彼岸は、鶫の淀みのない包丁捌きを眺めながら、感心したように細い目をさらに細めて笑顔を向けた。
その言葉に、鶫は一瞬だけ手を止め、どこか遠くを見るような冷めた瞳で包丁の刃先を見つめた。
「家事全般は、ずっとやってきましたから。」
親戚の家で、朝から晩まで家畜のようにこき使われ、叔父や叔母、そして傲慢な従兄の食事を黙々と作り続けてきた日々。
感謝の言葉一つなく、ただ「やって当然」と吐き捨てられてきた苦い記憶が、自嘲気味な言葉となって彼女の唇から溢れ出した。
「生活力がある事が、その所作から観て取れます。それは、何物にも代えがたい立派な生きる力ですよ。」
彼岸は、彼女の心の奥に沈殿する暗い感情を察してか、包み込むような温かい声で笑った。
「彼岸さんも手際良いですよね。料理得意なんですか?」
鶫が不器用な問いかけを返すと、彼岸は慣れた手つきでパンの耳を切り落としながら、独り言のように静かに答えた。
「一通りは出来ると言ったところでありましょうか。私は一人身で、もう家族もいませんからねえ。身の回りの事は自身でしていくうちに、自然とこうなりました。」
淡々と語るその背中には、彼が歩んできた孤独な歳月の重みが、目に見えない影となって寄り添っているように見えた。
そうしているうちに、重厚な自動ドアが開く音がし、食堂にぞろぞろと他の参加者たちが姿を現した。
彼岸と同じ世代くらいの笠原、青ざめた表情の智弘、威圧感を放つ美馬、そして不機嫌そうな幸子。
最後にやってきた清水翼は、キッチンに立つ二人を見つけるなり、鼻で笑いながら近づいてきた。
「なんだ、鶫とおっさんが晩飯作ってんのかよ。似合いのコンビじゃねえか。」
「おっさんじゃないでしょ、彼岸さんよ。」
鶫が毅然とした態度で嗜めると、翼の表情に一気に不快な色が混じり、周囲に緊張が走った。
「あ?鶫のくせに生意気だぞ?俺にたてつくと、どうなるか分かってんのか?さっそく『選定』してやろうかな。」
翼は鋭い視線で鶫を射抜き、獲物を追い詰めるような低い声で脅しをかけた。
しかし、鶫はその脅しに屈することなく、感情の抜け落ちた声で静かに言い放った。
「私が何を言っても、私を選定するつもりなんでしょ。もう諦めてるよ。」
その様子を、冷めた目で見守っていた村井幸子が、手元の冊子を思い出したように口を開いた。
「プロフィール読んだで。あんたら二人共、おんなじ高校に通ってるんやんな。鶫ちゃんが翼君に、いじめられてるだの何だの書いてあったけど。」
幸子は、疑い深い眼差しをキッチンに並べられたサンドイッチへと向けた。
「なあ、鶫ちゃんと彼岸さんやったよね、毒入れたりしてへんよな?あんたら、自分らだけ助かろうとか思ってへん?」
その言葉に反応するように、翼も身を乗り出して、二人を指差しながら怒鳴り散らした。
「そうだ!お前、俺への仕返しに毒入れたりしてねえよな!?こいつ、学校じゃずっと無視されてるかフルボッコにされてるような陰気な奴なんだ。何しでかすか分かったもんじゃねえぞ!」
あまりの理不尽な物言いに、鶫は深い溜息をつき、疲れ果てたように首を振った。
「入れるわけないでしょ。そもそも、どこに毒なんてあるの。持ってないし、探しようもないじゃない。」
「毒など入っておりませんから、ご安心を。美味しい食事こそ、これからの対話に必要不可欠ですからねえ。」
一触即発の空気を遮るように、彼岸が穏やかな笑顔で割って入った。
彼は静かに合掌し、疑心暗鬼に陥っている5人に対して深々とお辞儀をした。
「味見しましたが、とても美味ですよ。美味しいサンドイッチが出来上がりました。鶫さんの御蔭様で御座います。」
「あ、いえ、有難う御座います。あの、それじゃあ、並べましょうか。」
鶫は、彼岸の優しさに救われたような思いで小さく頭を下げた。
二人は、出来上がった山盛りのサンドイッチを大きな皿に乗せ、無機質な長いテーブルの上へと整然と並べていく。
美食の香りが広がる一方で、その場に集まった7人の間には、誰が最初にその一口を運ぶのかという、抜き差しならない沈黙が横たわり始めた。
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