第三章:無機質な檻と二人の足音、美食の聖域と奇妙な共犯者
運命の重みに耐えかねるように、7人の男女はそれぞれの個室へと吸い込まれていった。
分厚い金属製の扉が重厚な電子音と共にロックされ、外界との繋がりは完全に遮断される。
そこにあるのは、逃げ場のない自分自身と、刻一刻と迫る死の足音だけであった。
案内された部屋は、驚くほど清潔でありながら、同時に吐き気を催すほどに殺風景な空間だった。
白い壁と、最低限の機能だけを備えた家具。
スマートフォンやタブレットといった、現代人が片時も離さない情報の生命線は全て没収され、娯楽の類も一切排除されている。
唯一の救いは、個室に備え付けられた温水洗浄便座付きの綺麗なトイレと、ゆったりとした浴槽を備えた浴室があることだろう。
しかし、その過剰なまでの清潔さは、かえってこの場所が「生贄を管理するための檻」であることを強調しているようにも感じられた。
音無鶫は、静まり返った室内をゆっくりと見渡した。
「簡素で落ち着いた部屋だな」
学校での苛烈ないじめや、親戚の家での冷遇に晒されてきた彼女にとって、この無機質な孤独は、皮肉にも束の間の平穏を意味していた。
ふと、ベッドの上に置かれた竹製の籠に目が留まる。
そこには、この施設で着用するための衣類が整然と収められていた。
用意されていたのは、全く同じデザインの黒いハイネックのトレーナーと、機能性に富んだ黒のカーゴパンツ。
そして、鶫の身体のラインに合わせたサイズのスポーツブラとスパッツが、丁寧に畳まれて添えられている。
ふと横を見ると、男性用と思われるトランクスも予備として含まれており、この施設があらゆる性別の参加者を効率的に管理しようとしている意図が透けて見えた。
鶫は、汚れの目立つ学校の制服を脱ぎ捨て、黒一色の機能的な服へと袖を通す。
肌を包む新しい生地の感触に、自分もまた、この「死のゲーム」の正式な駒になったのだという実感が込み上げてきた。
少しだけこの場所を知っておこう。
鶫はそう決意し、着替え終えた姿で静かに部屋を後にした。
ひっそりとした廊下を進むと、前方から見覚えのある影が近づいてくる。
黒い作務衣を翻し、穏やかな笑みを湛えた男、彼岸であった。
彼岸は鶫の姿を認めると、立ち止まって静かに合掌し、深々とお辞儀をした。
その所作に誘われるように、鶫も思わず手を合わせ、同じようにお辞儀を返す。
「彼岸さん、でしたよね。彼岸さんも施設内を見て回っていらっしゃるのですか?」
鶫の問いかけに、彼岸は瞳を優しく細めた。
「ええ。どこに何があるのか知っておこうと思いましてねえ。備えあれば、というやつですよ」
その声は、死の選別を待つ身とは思えぬほどに落ち着いており、鶫の強張っていた心を微かに解きほぐした。
「では、彼岸さんと御一緒しても宜しいでしょうか? あ、私の事は鶫でいいですよ」
「では、そうしましょうか、鶫さん。」
彼岸は快く応じ、二人は並んで無機質な廊下を歩き始めた。
カツーン、カツーン……。
冷たい床に響く二人の足音だけが、死神の巣窟のような施設内に反響する。
いくつもの角を曲がり、重厚な自動ドアを潜り抜けた先で、二人は広大な空間に辿り着いた。
そこは、ホテルの一角かと見紛うほどに美麗な食堂であった。
磨き上げられた長テーブルが並び、厨房からは高級な食材の香りが漂っている。
「ここが、閻魔さんが仰った、食べ放題飲み放題の場所、ですか」
鶫が呟きながら一歩踏み出すと、背後で重厚な扉が再び閉じ、美食と死が同居する異様な空間の静寂が二人を包み込んだ。
扉の向こうに広がっていたのは、ここが命を懸けた選定の場であることを忘れさせるほどに清潔で、機能美に溢れた食堂だった。
壁一面を占める大型の冷蔵庫には、色とりどりの新鮮な食材が所狭しと並べられ、棚には数え切れないほどの種類のカップラーメンが整然と積まれている。
本格的なオーブンやコンロが完備された厨房は、今すぐにでもレストランとして営業できそうなほどに完璧な設備を誇っていた。
さらに、ファミレスにあるようなドリンクバーまでもが完備されているのを目にし、鶫は思わず感嘆の声を漏らす。
「……すごい。これなら、みんなここに入り浸ることになるかもしれませんね」
隣に立つ彼岸は、相変わらずの柔和な笑みを浮かべながら、静かに頷いた。
「ええ。皆さんも、こちらに来る頻度が高くなるか、あるいは、ずっといらっしゃる方もいるかもしれませんねえ」
「あ、私も同じことを考えてました」
ふと漏れた言葉と共に、鶫の口元に僅かな笑みがこぼれた。
「やっと笑顔になられましたねえ」
彼岸は、慈しむような眼差しで鶫を見つめる。
「……死ぬ者として選ばれるかもしれない場所に来たら、誰だって笑顔は消えちゃいますよ。彼岸さんはそうじゃないみたいですけど」
鶫が少しだけ自嘲気味に言うと、彼岸は細めた瞳をさらに深く沈めた。
「円卓の部屋で観た、笑顔ではない鶫さんの表情に、どこかほっとした観じがしたのは、果たして私の思い過ごしでしょうかねえ」
「え?」
その言葉の真意を掴みかねて、鶫は驚きに目を見開いた。
自分の表情に、どこか安堵しているという事を見出したこの男の感性は、やはりどこか常軌を逸しているのだろうか。
「こちらにパンがあります。サンドイッチが作れそうですよ。その場合、閻魔さんが仰った、御用意して下さる食事はどうなるんでしょうかねえ。もしもサンドイッチを作ったとして、夕飯も出して下さるならば、その一食分は下げられて、後日の食事に回されるのでしょうか?」
彼岸は追及を避けるように、並べられたパンを指差して話題を変えた。
「確かに。質問は受け付けていないって言ってたから、想像したり、こちらで推理するしかないのかな?」
ピッ。
不意に、食堂の壁に設置されたモニターが起動し、閻魔大王の仮面を被った女が映し出された。
「その場合は、そちらで調理されたものを夕飯にしてくれて結構です。こちらで用意することになっていた食事は、こちらのスタッフが美味しく頂きます」
閻魔は、まるで盗み聞きでもしていたかのように、淡々とした口調で答える。
「ご丁寧に有難う御座います。提供して下さる食事は、お味の方は美味しく頂ける内容なのですな。では、明日はそちらから提供して頂ける食事を頂くと致しまして、今回はこちらで作らせて頂くと致しましょうか」
彼岸は動じることなく、モニターの中の閻魔に向かって合掌し、丁寧にお辞儀をした。
「毒物の類は入れられないのはわかっていますから、ご自由に食べたいものを調理すれば良いでしょう。使った分はすぐに補充されますから」
プツン。
無機質な音と共にモニターが消え、室内には再び二人の静寂が戻った。
「有難や、有難や」
彼岸は独り言のように呟きながら、満足そうにニコニコと笑っている。
「では、メニューはサンドイッチに致しましょうか」
彼は慣れた手つきで作務衣の袖を力強く捲り上げ、調理の準備を始めた。
そのまくり上げた腕が、彼岸と言う人物のイメージとは違って、筋肉質で太い腕である事に鶫は一瞬驚く。
「あ、手伝います」
鶫もまた、自然と彼に引き寄せられるようにキッチンへと足を踏み入れた。
こうして二人は、自分たちを含めた7人の参加者全員のためのサンドイッチを、一つ一つ丁寧に、そして静かに作り始めたのである。
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