第四十六章:無垢なる献身と、無慈悲なる審判
「それでは最後に。鶫さん、あなたの意思を」
閻魔の促す声が、静まり返った円卓の間に死の宣告のように響き渡った。
鶫は震える手で、しかし確かな意志を込めて、黒い袋から最後の一枚となるフリップボードを引き抜いた。
彼女がそれを円卓のテーブルに静かに、重々しく置くと、隣り合う五人の男女は一斉に身を乗り出し、その文字を凝視した。
そこに刻まれていたのは、誰もが予想しなかった、あまりにも残酷で純粋な三文字――「音無鶫」。
それは、彼女自身の名前であった。
「なっ……!?」
翼が、慎介が、そして幸子が、彼岸の名前を書いた5人は、信じられないものを見たという驚愕に目を見開いた。
これまで彼岸一人が背負わされていた死の十字架を、この少女は自らの肩へと無理やり引き受けようとしたのである。
「……どういうことか、伺いましょうか。」
モニター越しに響く閻魔の言葉には、皮肉や嘲笑ではなく、純粋な困惑と、隠しきれないほどの興味が混じっていた。
「私は私を選定します。これで私が選定される、それじゃ駄目ですか?」
鶫は、射抜くような強い眼差しでモニターの閻魔を真っ向から見据え、言い放った。
「票数では、たった一票しかありません。でも、自らの意志で選定される事を志願したならば……。多数決で無理やり選ばれるより、ずっと重い意味があるはずです」
彼女の細い肩は微かに震えていたが、その声には一切の迷いも、命を惜しむような卑屈さも微塵も感じられなかった。
「……ほんと、なんでこんな胆力も根性もある子が、いじめと言う卑劣な暴力と犯罪の餌食になるのか、理解に苦しみます。あなた、少なくともここにいるボンクラ5人よりも、人間的な強さは圧倒的ですよ。」
閻魔は深く、重苦しいため息を吐くと、どこか慈しむような響きで言葉を継いだ。
そして、パチパチ、とモニターの中から乾いた拍手の音が聞こえてくる。
「ですが鶫さん。それでは、この企画の趣旨が変わってしまいます。ここは自死願望のある人の願いをかなえる場でも、ましてや英雄的な自己犠牲を称える場でもないのです」
閻魔の声は、次第に温かみを失い、いつもの事務的で冷徹な色へと戻っていく。
「誰かを助けるために、自分自身の尊い命を差し出す。その美しい心意気と不屈の根性は、見上げたものですがね。……ですが、これは選定という名の『審判』です。」
閻魔の声は鶫にとって、死神の足音のように不吉な響きであった。
「そんな……。」
鶫の唇が戦慄し、微かな絶望が瞳に滲む。
「まさか、七人中二人も、中間選定と最終選定の両方で、これほどイレギュラーな事をするとは思いませんでした。……残念ながら、何も書かないという白紙の意思表示と、自分自身の名前を書くという志願は、どちらもルール上『無効』です。却下します」
閻魔の非情な一喝が、鶫が必死に手繰り寄せた唯一の希望を容赦なく打ち砕いた。
「そんな……! このままじゃ、彼岸さんが……。このままじゃ、何も変わらないじゃないですか!」
鶫が魂を振り絞るように叫び、身を乗り出した、その瞬間であった。
彼岸がスッと静かに、それでいて有無を言わせぬ所作で手を挙げ、鶫の激昂を制したのである。
「有難う御座います。」
彼岸は鶫を真っ直ぐに見つめ、春の陽だまりのような温かい笑みを浮かべて、ただ一言、そう囁きかけた。
その瞳には、自分の代わりに死のうとしてくれた少女への、言葉では尽くせないほどの深い慈しみと感謝が湛えられていた。
「…………っ。」
鶫は、自分の無力さを思い知らされ、激しい悔しさと悲しみで胸が張り裂けそうになった。
自分を肯定してくれた、たった数日の間に尊敬の念を抱くようになった、たった一人の大切な人すら救えない。
彼女は溢れ出す涙を止めることができず、唇を血が滲むほど強く噛み締めながら、悔しさをかみしめる事しか出来なかった。
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