第四十一章:五観の偈と、静寂の三昧
一同が食卓に着き、鶫がいつものように彼岸と共に食前の言葉を称えようとしたその時、彼岸が穏やかに制するように口を開いた。
「精進料理ですから、食前の言葉は禅宗で称えられている『五観の偈』をお称え申し上げると致しましょうかねえ。今日という特別な朝に相応しい、命の重みを感じる言葉で御座います」
彼岸は深く目を閉じ、朗々と、しかしどこか透き通った声音で五観の偈を称え始めた。
「一には、功の多少を計り彼の来処を量る。二には、己が徳行の全欠を忖って供に応ず。三には、心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。四には、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。五には、成道の為の故に今此の食を受く」
静まり返った食堂に、古より伝わる智慧の言葉が重々しく響き渡る。
彼岸は最後に「感謝して頂きます」と、掌を合わせたまま丁寧にお辞儀をした。
鶫は五観の偈を詳しく知らなかったが、彼岸と過ごす中で自然と身についた十回の念仏を心の中で唱え、その後に「御光の元にて感謝して頂きます」と言葉を添えて、彼岸の所作に倣うように深く頭を下げた。
「頂きます」
他の五人も、空腹に促されるように一斉に挨拶をして精進料理を食べ始める。
しかし、その静寂はすぐに翼の不満げな声によって破られた。
「おいおい、なんか味が薄いなこれ。出汁も効いてねえし、育ち盛りの俺向きじゃねえや。もっとガツンと肉の味がするもんが食いたいぜ」
翼は鼻で笑い、不機嫌そうに御粥を口に運ぶ。
鶫はその無作法な物言いを嗜めようとしたが、ふと隣の彼岸に目を向けて言葉を飲み込んだ。
彼岸は周りの喧騒など一切耳に入っていないかのように、ただ一点の曇りもない所作で黙々と食事に向き合っていた。
箸の運び方、咀嚼の回数、器を置く音の一つに至るまでが、まるで洗練された儀式のように美しい。
その姿を観た鶫は、内職の時に教わった「三昧」という言葉を思い出した。
(……きっと、一言も発さずに、ただ目の前の食べ物と向き合い、よく噛んで集中するのが精進料理の食べ方なんだ)
彼女は翼への怒りを静かに鎮め、自分もまた「食事三昧」になるべく、目の前の膳に全神経を集中させることにした。
一口運んだ御粥からは、これまで気づかなかった米本来のほのかな甘みが、噛むほどに優しく広がっていく。
添えられた沢庵を噛み締めれば、わずかな塩の味が舌の上で鮮やかに弾け、素材が持つ力強い生命力を伝えてくる。
豆腐が入った味噌汁の温かさが喉を通るたびに、自分の内側にある生命の灯火が静かに燃えているのを感じた。
外の世界の理不尽も、数時間後の死の宣告も、今の彼女にとっては遠い幻影のようだった。
ただ今この瞬間に存在し、命を頂いているという実感。
鶫は丁寧に、そして深く味わうことで、自分の心が研ぎ澄まされていく不思議な感覚に包まれていた。
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