第四十章:浄土への供物と、冷え切った日常
運命を分かつ審判の朝が、無機質な照明の点灯と共に訪れた。
鶫は早朝に目を覚ますと、重い心を引きずるようにしてトレーニングルームへと向かったが、そこには既に彼岸の姿があった。
鶫より僅かに先に来ていたのか、彼は静謐な空気の中で、一つひとつの関節を確かめるように丁寧に準備運動をこなしている。
「お早う御座います。」
鶫が声をかけると彼岸は動きを止め、朝日のような温かい微笑みを返した。
「お早う御座います、鶫さん。今日という日を迎えられた事、感謝せねばなりませんねえ。」
そうして、鶫は彼岸からボクシングの細かな技術を叩き込まれる。
シュッ、シュッという鋭い呼気と共に拳を突き出し、仕上げに二人でランニングマシンに乗って30分程、無言のままロードワークをこなした。
ズ、ズ、ズ、ズ……と一定のリズムを刻むマシンの音が室内に響き、鶫の体温をじわりと引き上げていく。
トレーニングを終えた後、2人は別れてそれぞれの自室へ向かう。
自室に戻った鶫は、一旦熱いシャワーを浴びてから、すっかり肌に馴染んだ黒のトレーナーとカーゴパンツを着用し、決意を秘めた面持ちで食堂へと向かった。
食堂へ足を踏み入れると、この日の朝食はこれまでの豪華なものとは打って変わり、静かな佇まいの和食が人数分並べられていた。
温かな湯気を立てる御粥、一切れの沢庵、豆腐の味噌汁、そして小皿に盛られた和え物と胡麻豆腐。
肉も魚も一切ない、極めて質素ながらも美しく整えられた膳である。
彼岸はその一皿一皿を慈しむように見つめ、静かに合掌してお辞儀をした。
「精進料理ですね、有難や有難や。実に心が洗われるようで御座います。」
「精進料理ですか? 確か、お坊さんが食べるという料理だと聞いたことがありますけど。」
鶫が尋ねると、彼岸は穏やかな笑顔で頷き、その由来を説明し始めた。
「ええ。動物性食材や香りの強い野菜を使わない料理を、応量器と言う器によそって、感謝と共に頂く料理の事です。仏道修行の一環でも御座いますよ。」
説明を終えた彼岸は、ふと遠くを見つめるような瞳になり、あっさりとした口調で言葉を継いだ。
「まさに、浄土へ行く際に、娑婆で最後に頂く料理として相応しいという、閻魔さん達からの御配慮でしょうかねえ。ははは、心憎い演出で御座います。」
「そんな……。」
あまりにも平然と「死」を前提にした言葉を口にする彼岸に、鶫は絶望に近い悲しみを覚え、ガックリと肩を落とした。
そこへ、他の5人もぞろぞろと食堂へやって来る。
鶫と彼岸が「お早う御座います。」と挨拶を向けると、彼らは目を合わせようともせず、形式的に「お早う。」とだけ返してそれぞれの席に着いた。
「なんだよ、今日は和食か。しかも、なんか量少なくねえか? ステーキとかサンドイッチの後にこれじゃ、腹にたまんねえよ。」
翼が膳を覗き込み、露骨に不満そうな声を上げる。
「精進料理の様ですからねえ。量よりも、その精神を味わうもので御座いますよ。」
彼岸が笑顔で宥めるように言うが、翼は鼻で笑って肩をすくめた。
「何だそりゃ? まあいいや、足りなかったら冷蔵庫からなんか適当に食えばいいや。それに、菓子類も食い放題だからな!」
翼はゲラゲラと下品に笑いながら着席する。
鶫は、これから一人の命を奪おうとしている者たちが、目先の食欲や私欲にばかり囚われている姿に激しい憤りを感じた。
何か言い返したかったが、今はまず食事を済ませ、心を落ち着けることが先決だと思い直し、彼女は黙って席に着くことにした。
これから始まる「最終選定」という名の断罪を前に、食堂には嵐の前の静けさのような、冷え切った空気が漂っていた。
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