第三十六章:砂上の楼閣と、孤立無援の静寂
「企画の、目的……?」
鶫は、その言葉をなぞるように小さく呟いた。
義彦は、自らの見識の深さを誇示するように満足げに頷くと、諭すような口調で言葉を継いだ。
「そや。鶫ちゃんは知ってるか? 有名な思考問題の『トロッコ問題』っていうのを。」
義彦は、組んだ腕を指先でトントンと叩きながら、悦に入った様子で解説を始めた。
「五人が死ぬか、それとも一人を犠牲にして五人を助けるかを選ばなあかんっていう究極の選択問題なんやけど、もし詳しく知りたかったら、ここを出てから検索してみいや。すぐに見つかるで。儂らは今、まさにその実証実験の場に立たされとるんや。」
「ああ、なるほど。あ、それだと『カルネアデスの板』だったっけ? 他人を犠牲にして自分だけが助かった時、それが罪に問えるかどうかとか。そういう法哲学的な話の方が、今の状況には近くないか?」
慎介が腕を組みながら、理屈っぽい口調で義彦の言葉に補足を入れた。
「なるほどね。つまりは大規模な社会実験って事かよ。ったく、俺達は知らぬ間に国家予算を投じたモルモットにされたってわけか。」
智弘は吐き捨てるように言いながらも、その瞳には「実験なら死なない」という淡い期待が混じり始めていた。
「じゃあさ、『仮にこういう極限状況なら、誰を死者として選ぶか』のデータを取るための実験であって、実は誰も死なないんじゃねえの? 最後に『ドッキリでした!』なんてオチがあったりしてな。」
翼が少しだけ声を弾ませてそう言った、その瞬間であった。
不気味な電子音と共にモニターが再び点灯し、閻魔の面が冷たく映し出された。
「おめでたいクソガキの希望的観測、乙。」
たった一言、猛毒のような嘲笑を投げ捨てると、モニターは即座に再び消灯した。
「な、あいつ、まだいやがったのかよ!? ……でも、今のあいつの言い方……。つまり、俺が言ったことが希望的観測って事は、やっぱ選ばれたら、本当に死ぬって事かよ……?」
翼は先ほどまでの威勢を失い、目に見えて震え上がった。
「いや、でも閻魔は実際に人が死ぬとも断言しなかったぞ。義彦さんの説がもっともありそうな話じゃないか。恐怖心を煽るのも実験の一部なんだろうさ。」
智弘は自らに言い聞かせるように言葉を返す。
それに慎介も強く頷いた。
「確かにそうだ。それに、国家規模でライブ配信されるんだろ? 流石に放送禁止になるような無茶な殺人を、政府主導で大っぴらにやるとは思えないからね。」
「そや。大体、昨今の世の中は、人が実際に死ぬところとか、放送事故みたいなもんを動画サイトにアップしたら、即座に運営に削除されるやんか。そやから、選ばれたとしても、ほんまに死ぬとは限らへん。形だけの『追放』という希望も、まだあるわけや。」
義彦は、自らの不安を誤魔化すように、どこか無理のある笑みを浮かべて場を収めようとした。
「まあ、確かにそう言われたらそんな感じもしてきたわ。誰かが死ぬなんて、現実離れしすぎてるもんな。」
幸子もその楽観的な空気に縋るように相槌を打つ。
「まあ、とにかくだ。明日で全てが終わるんだから、今日はさっさと寝るよ。」
吐き捨てるように言うと、翼は逃げるように食堂を出ていった。
それに引きずられるように、他の四人もまた、薄氷の上を歩くような覚悟で自室へと戻っていく。
賑やかだったはずの食堂には、瞬く間に冷たい静寂が降りてきた。
広大な空間に取り残されたのは、中間選定で真っ白なフリップを出した彼岸と、抗議を続けた鶫の二人だけであった。
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