第三十一章:歪な共犯と、砂塵を打つ拳
昼食後の穏やかなはずの珈琲タイムは、四人の男たちがぶちまける卑俗な欲望によって、ひどく濁ったものへと変質していた。
「外に出たら、まずは高級ソープに直行だな。それから一番高い寿司を食って、溜まりに溜まった鬱憤を全部晴らしてやるぜ。」
翼が下品な笑い声を上げれば、義彦が「君はまだ未成年やろが、ソープはやめとき」と笑う。
慎介や智弘も「まずは豪遊だな」「最新のデバイスを買い占めてやる」と、まるで宝くじに当選した小市民のような顔で、輝かしい未来を語り合っている。
義彦もまた、どっしりと椅子に深く腰掛け、既にこの「選定」という遊戯の勝者になったかのように、余裕の笑みを浮かべて彼らの会話に頷いていた。
幸子は、その騒々しい会話の輪の端で、所在なさげにカップを揺らしながら、時折無理に作ったような相槌を打っている。
そんな光景を、鶫は言葉にできないほどの激しい嫌悪と、ぶぜんとした表情で眺めていた。
一人の命を犠牲に捧げることで得られる、あまりにも安っぽく、そして醜悪な自由の約束。
対照的に、彼岸はそんな彼らの醜態すらも、まるで春の並木道を眺めるかのような慈しみの笑顔で見つめ、静かに珈琲を喉に滑らせていた。
やがて男たちは満足したのか、飲み終えたカップを流し台に無造作に置き去りにして、軽やかな足取りで食堂を後にした。
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「鶫ちゃん、アタシの事、憎んでる?」
残された食器を洗い始めた静寂の中で、幸子が絞り出すような細い声で問いかけてきた。
蛇口から流れる水の音が、その震える声をかき消そうとする。
鶫は洗剤の泡がついた皿を見つめたまま、しばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「……正直、ショックではありました。でも、わからなくもありません。助かりたいと思うのは、生存本能がある生物として自然な事ですから。」
その言葉に、幸子の表情がさらに歪み、視線は隣で黙々と皿を乾燥機へ並べている標的――彼岸へと向けられた。
「そう……彼岸さんは? 選定したアタシのこと、恨んでる?」
彼岸は手を止めることなく、一点の曇りもない笑顔を浮かべたまま、静かに答えた。
「私は何も。ただただ、そうであるという事で御座います。何ら、思うところは御座いません。」
その超然とした態度に、幸子は耐えきれなくなったのか、せきを切ったように言い訳をこぼし始めた。
「……ほんまの事言うとな、二人がおらん時に、彼岸さんにしようって話になったんよ。もし抵抗したら、今度はアタシが標的にされるかもしれんのが怖かったのって言うのが本心やねん。それとな、どうせアタシが拒否したところで、翼君、慎介さん、智弘君、義彦さんで4人やん?アタシが鶫ちゃんと彼岸さんの味方になったところで、アタシらは3人やから、どう考えてもひっくり返せへんやん。」
鶫の耳には、それはあまりにも見苦しい、自己保身のための言い訳にしか聞こえなかった。
しかし、自らの生命が秤にかけられているこの狂気の中では、それもまた一つの真理であることも理解できてしまう。
多数決という、民主主義を模した暴力。
幸子の言い分を肯定することも否定することもできず、鶫はただ無言で汚れを落とし続けた。
「この企画に選ばれた時点で、アタシらは不運やったんよ。そやから、アタシの事を恨まんといてや? 悪いんは、こんな残酷な企画をした方やもんな。」
幸子は自分に言い聞かせるようにそう言うと、洗い終えた手を拭き、足早に食堂を出て行った。
食堂に残された空気は、先ほどまでの喧騒が嘘のように冷え切っていた。
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鶫は自室に戻ると、感情を殺すように黒いトレーニングウェアへと着替え、逃げるようにトレーニングルームへと向かった。
扉を開けると、そこには既に彼岸がいて、静かに準備運動を始めていた。
二人きりの空間に、規則正しい呼吸の音だけが響く。
自然と、鶫は彼岸からボクシングの教えを乞う時間となり、彼女はサンドバッグの前に立った。
ドスッ! バスッ!!
鶫の放つ拳には、先ほど食堂で味わった泥のような嫌悪感、自分への無力感、そして理不尽な世界への怒りが全て込められていた。
「いいですよ。その力を、拳に乗せるのです。」
彼岸の穏やかな指導の声を聞きながら、鶫は我を忘れてサンドバッグを叩き続けた。
拳に伝わる鈍い痛みだけが、今の彼女にとって唯一、自分が生きているという確かな証明であった。
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