第三十章:黄金の糧と、不遜なる夢想
午前中の静かな労働を終え、心地よい疲労感を伴って二人が食堂へと足を踏み入れると、そこには既に昼食が整然と並べられていた。
今日の献立は、しっとりと肉汁を湛えたローストビーフに、瑞々しい生野菜と黄金色の卵がこれでもかと詰め込まれた、ライ麦パンのサンドイッチであった。
ライ麦特有の芳醇な香りと、贅沢に重ねられた肉の香りが、無機質な食堂の空気を一変させている。
彼岸はその一皿を愛おしそうに見つめ、いつものように柔和な笑みを浮かべて掌を合わせた。
「これはこれは、ライ麦パンのサンドイッチとは、有難や有難や。」
彼は深くお辞儀をし、食材に宿る命と、それを提供した見えざる手への感謝を捧げる。
鶫もまた、その背中を追うように自然な動作で合掌し、静かに言葉を添えた。
「用意して下さった方々に感謝いたします。」
まだ温かい珈琲が用意されていなかったため、二人は手際よく7人分のカップを並べ、琥珀色の液体を注ぎ始めた。
香ばしい香りが立ち込める中、廊下から騒がしい足音が響き、残りの5人がぞろぞろと入室してくる。
「お、すげえ豪華なサンドイッチじゃねえか! 肉がたっぷり詰まってやがるぜ!」
清水翼が真っ先にテーブルへ駆け寄り、皿の上のローストビーフに目を輝かせた。
そんな彼の無作法な様子を、鶫は氷のように冷徹な眼差しで射抜く。
「……手、洗ったの?」
その一言は思えないほどに鋭く、威厳に満ちていた。
「何だよ、お前俺の母ちゃんか何かかよ。」
翼は不満げに肩をすくめたものの、彼女の気圧されるような迫力に毒気を抜かれ、渋々と食堂の洗い場へ向かった。
彼の後を追うように、他の4人も無言で手を清め、それぞれの席へと着いた。
全員の前に湯気を立てる珈琲が行き渡り、7人が円卓を囲む。
彼岸と鶫が、もはや魂に刻まれたかのような食前の言葉を凛とした声で称え、全員で「頂きます」を唱和した。
「ローストビーフなんて豪華じゃねえか。しかもおかわりもあるなんて、飯だけはこの施設の唯一いいところだよな。」
翼が大きな口を開けてサンドイッチを頬張り、脂の乗った肉の旨味に顔を綻ばせる。
「ああ、全く同感だよ。携帯があれば、写真を撮ってSNSで自慢してやるところなのに。早くスマートフォンを返してくれないかなあ。」
智弘も咀嚼しながら、日常への帰還を夢見るように空虚な期待を口にした。
「まあ、あと少しの辛抱やで。これだけの待遇をしてくれるんや、無事に帰す算段もついとるはずやわ。」
美馬義彦は、既に自分が生き残る未来を疑うことなく、どっしりと構えて勝利者の如く笑う。
「ここでの出来事は秘密にしろとも言われていないし、機密情報については何も言われてないからな。外に出たら暴露系の動画でも撮ってみるか。相当な再生数が稼げるはずだ。」
笠原慎介もまた、他者の犠牲を前提とした「生存」を確信し、醜悪なまでの商魂を露わにした。
そんな不遜な会話が飛び交う中、村井幸子だけは視線を皿に落としたまま、時折気まずそうに顔を歪めていた。
自分たちの安全のために一人の男を崖っぷちへ追いやった罪悪感が、この豪華な食事の味を損なわせているのだろうか。
一方で、標的にされたはずの彼岸は、相変わらずニコニコと仏のような笑顔を絶やさず、一切の乱れもない綺麗な所作でサンドイッチを頂いている。
鶫は、周囲に漂う身勝手な欲望と傲慢さに胸の焼けるような居心地の悪さを感じていたが、ふと午前中に教わった言葉を思い出した。
(……三昧。今は、このサンドイッチを味わうことだけに集中しよう。)
彼女は周囲の雑音を意識の隅へと追いやり、ライ麦の力強い歯応え、肉の繊維が解ける感触、卵のまろやかな甘みを、一つひとつ丁寧に、深く噛み締めてみた。
その瞬間、汚泥のような会話に染まっていた食堂の中で、彼女の心だけが静かな凪を取り戻していくような感覚に包まれていた。
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