第二十八章:深淵の嘲笑と、絶望の宣告
閻魔に促され、笠原慎介が冷徹な口を開いた。
「『空虚』か。まさに翼君の言う通りだ。彼岸さんは、あまりにも自分というものが無さすぎる。僕はね、確固たる自分を持たない人間というのが、生理的に嫌いでね。」
慎介は、汚物を見るかのような冷ややかな視線を彼岸に投げかけ、自らの忌まわしい「成功体験」を盾に嘲笑を深める。
「トレンドアフィリエイトのコンサルタントをしていた時もそうだったが、自分という芯が無い奴は、どれほど教えても結局一円も稼げなかった。正直に言わせてもらえば、そういう意志の薄弱な人間は、社会において存在自体が悪だと思っているよ。」
彼は鼻で笑い、自らの論理的な正しさを誇示するように胸を張った。
すると、待ってましたと言わんばかりに智弘が言葉を重ねる。
「そうそう、全くだよ。それに、その何も書いていないフリップボード……それこそが決断力の欠如、無能さの証明そのものだよね。彼岸さんは、自分の意志で何かを勝ち取ったり、選んだりすることができないんだ。ただただ、決断を人任せにするような臆病な弱虫なんだよ。」
智弘の言葉には、自分よりも下の存在を見つけたことへの歪な悦びが混じっていた。
さらに、美馬義彦が重々しく、それでいてどこか高揚した様子で追従した。
「一介の経営者として言わせてもらうけどな、決断できひん奴は、慎介さんの言う通り、自分というものが無いことに他ならんのや。」
義彦は腕組みをし、まるで教壇から生徒を見下ろすかのように彼岸を睨みつけた。
「そうやって大切なことから目を逸らし、決めることから逃げ回って。この土壇場の期に及んでまで白紙を出すなんて、彼岸さん、あんたは卑怯や。」
彼はふんぞり返り、自らの優越感に浸りながら、さらに辛辣な言葉を叩きつける。
「あんたの眼は完全に死んどる。就職活動で全敗したっちゅう話も、今なら納得がいく話や。そんな生気のない、責任逃ればかりする人間と一緒に働きたいなんて思う奴は、この世に一人もおらんで。」
説教という名の蹂ぐに悦びを見出し、義彦の口元には醜悪な笑みが浮かんでいた。
そんな中、村井幸子がどこか居心地悪そうに、けれど自分を守るための言い訳を紡ぎ始めた。
「アタシは、彼岸さんに対して、他のみんなが言う程、悪い人やとは思わへんし、まあ……自分が選ばれたくないって言うのが一番やけど。彼岸さんやったらええかなあって思うてな。」
その言葉を聞いた瞬間、鶫の体温が急速に奪われていく。
「!? 幸子さん……。」
信じていた、あるいは信じたかった一筋の光が消える。
鶫は、あまりにも悲しい、絶望に満ちた目で幸子を見つめた。
「アタシかて死にたくないもん。それにやな、みんなが言う事、もっともやん? 彼岸さんは意思表示もしてへんし。……それに、彼岸さんなら、アタシらが選んでも、怒らへんし赦してくれるかなって。そう思うたんや。」
幸子の言葉は、慈悲深い者に対する最悪の甘えであり、最も残酷な裏切りであった。
すると、翼が勝ち誇ったようにゲラゲラと笑い声を上げた。
「ハハッ! 仮にそのおっさんが怒ったところで、こんな雑魚のおっさんなんて、俺たちが力づくで黙らせる事が出来るからな! はい、決まり! もうこれが最終決定でいいだろ、閻魔さんよお!」
翼はテーブルを叩き、自分の勝利を確信したように吠えた。
「そんな……。なんで、みんな……なんでこんな酷い事が言えるの……。」
鶫はあまりのショックに言葉を失い、喉の奥が熱くなるのを感じた。
目の前に広がるのは、たった一人の善意を食い物にし、それを「無能」と断じて笑う、地獄のような光景であった。
「意見は以上のようですね。実に人間味の溢れる、醜くも興味深い弁明の数々でした。では、『中間選定』の段階では、選定される死者は、彼岸さんと言う事で決定いたします。」
閻魔の声は、モニター越しであっても、彼らの良心を凍りつかせるには十分な冷酷さを伴っていた。
「とても面白い、もとい、非常に興味深い『中間選定』でした。それでは皆様、最終選定の刻が来るまで、各々自由にお過ごしください。精々、後悔の無いように。」
冷たい宣告が終わると同時に、モニターの電源が無慈悲に切れた。
鶫は椅子に座る事も忘れ、膝の震えを止めることもできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
世界が歪み、足元の床が崩れ落ちていくような感覚。
自分を助け、導いてくれた唯一の人が、今、獣たちの群れによって崖っぷちへと追い詰められた。
その事実に、音無鶫の心は音を立てて砕け散ろうとしていた。
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