第二十二章:孤高の決意と、祈りの眠り
シンクに跳ねる水の音が止み、三人は最後の一枚まで丁寧に磨き上げられた食器を乾燥機へと納めた。
静まり返った食堂を出る際、村井幸子は不意に足を止め、隣を歩く鶫の肩を抱き寄せるようにして低く、しかし力強い声で耳打ちした。
「鶫ちゃん。アタシは鶫ちゃんの事は絶対に選ばへんから。それだけは信じて、安心しいや」
幸子の瞳には、昼間の打算とは異なる、どこか年上の女性としての情念が混じっているように見えた。
「……有難う、御座います」
鶫は小さく頭を下げ、その言葉を胸の奥へと仕舞い込んだ。
この施設に連れて来られた瞬間から、自分が真っ先に「選定」されるという確信に近い予感があった彼女にとって、その言葉は砂漠で見つけた一滴の水のように、僅かな安堵をもたらしたのは事実である。
だが同時に、極限状態に置かれた人間の心がいかに脆く、一晩の葛藤で容易に裏返るものであるかも、彼女はこれまでの過酷な人生経験から痛いほど理解していた。
幸子の言葉を全くあてにしていないわけではないが、それを命綱にするほど、鶫はもはや幼くはなかった。
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「それでは、明日。おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい、鶫さん。良い夢を」
食堂を出てから、彼岸のいつもの穏やかな、全てを包み込むような微笑みに見送られ、鶫は自室へと続く廊下を独り歩いた。
部屋に戻り、冷たい電子ロックの音が響くと、そこには外界から隔絶された静寂だけが横たわっていた。
殺風景な部屋の、飾り気一つないデスクの上。
そこには、まるで死刑執行の宣告書のように、真っ白なフリップボードと黒のマジックペンが置かれていた。
鶫は迷うことなく椅子に腰を下ろすと、躊躇うことなくペンを走らせる。
キュッ、キュッというマジック特有の乾いた音が、無機質な部屋に響き渡った。
彼女がそこに刻んだのは、この「死者選定」という理不尽な遊戯に対する、彼女なりの一つの答えであった。
ベッドに入り、薄い毛布に身を包んで目を閉じると、意識は緩やかに深い闇へと沈んでいく。
まどろみの中で、鶫は淡く、そしてあまりにも脆い希望を、祈りのように胸の内で反芻した。
(明日、もしもみんなが……同じ文字を書いてくれたなら。この悍ましい光景も、少しはマシな方向に変わるかもしれないのに)
それが叶わぬ夢であることを誰よりも理解しながらも、彼女は微かな微熱のような希望を抱いたまま、深い眠りへと落ちていった。
明日の朝、その扉が開かれた時、彼女がボードに記した「真実」が、果たしてどのような波紋を呼ぶのか。
施設の夜は、ただ静かに、そして残酷に更けていった。
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