第十七章:虚無への嘲笑と、歪な連帯
食後の珈琲が放つ苦い香りが漂う中、食堂の重苦しい沈黙を切り裂いたのは、清水翼の刺々しい問いかけであった。
「なあ、鶫と彼岸さんは、この後はどうするんだ? また地味な内職に籠もるのかよ」
翼は椅子をガタつかせ、品定めをするような不快な視線を二人へ投げつけた。
彼岸はカップを静かに置き、いつもの穏やかな慈愛の微笑みを湛えながら答えた。
「私は暫く内職をした後、胃腸が落ち着いた頃にトレーニングルームで鍛錬しようと思うております。体を動かしておきませんと、鈍ってしまいますからねえ」
その淀みない返答に、笠原慎介が眼鏡の奥で濁った瞳を光らせ、冷酷な宣告を突きつける。
「……ふん、もし彼岸さんが『選定』されたら、そんな鍛錬も何の意味もなさないと思うがね」
慎介の言葉に呼応するように、智弘も鼻で笑いながら侮蔑の言葉を重ねた。
「意味ない事ばかりするから、生産性が無いって言われるんだよ。死ぬかもしれない時まで無駄な努力か。自覚が無いみたいだな、本当」
「ちょっと、そんな言い方……」
鶫が細い声を震わせ、堪らず抗議の声を上げた。
だが、当の彼岸は全く動じた様子もなく、むしろ懐かしい記憶を辿るようににこやかに話し始めたのである。
「ははは、よく言われてきた事です。ロードワークをしても意味がないとか。大学時代に授業が楽しいと言って勉強をしていれば『授業が面白い?そんなもんが面白いなんて、真面目くさって人間として面白くない奴だ』と、何度も言われてきましたかねえ。慣れっこですよ」
「確かに、言うたら悪いけど、彼岸さんって面白みに欠けると思うわ」
村井幸子が、無遠慮な笑いを浮かべながら追い打ちをかける。
それに対し、鶫は真っ直ぐに幸子を見据え、毅然とした口調で反論を試みた。
「私は、興味深いという意味で、彼岸さんは面白い方だと思います。午前中は内職をしながら、とても興味深い仏教の話をして下さいました。知らないことを知るのは、とても心が豊かになる事だと思います」
「はっ、また彼岸さんの御機嫌取りかよ。お前、媚を売るのが上手いな。ま、これで確実におっさん一人からは『選定』しないで貰えるだろうから、良かったじゃねえか」
翼の卑屈な笑い声が食堂に響き渡る。
「そういうつもりじゃないよ!」
鶫は頬を膨らませて精一杯の怒りを表現したが、それが翼の支配欲に火を注いだ。
「また俺に口ごたえかよ。お前、何時から俺にそんな口きけるようになったんだ、あぁ? 坊さんみたいなおっさんに懐いて、味方が出来たつもりになって、急に気が大きくなったのか?」
凄む翼の影が鶫を覆い尽くそうとしたその時、彼岸がスッと立ち上がった。
「さて、食後2時間くらい経過したくらいのタイミングで、私はトレーニングルームへ行きます。それまでは、また内職に励むと致します。時間は有限ですからねえ」
「あ、私も内職に行きます!」
鶫も弾かれたように立ち上がり、自分の分のコーヒーカップを手際よく洗って桶へと入れた。
去り際、鶫はテーブルに残された5人の方を一度だけ振り返り、氷のような声で言い残した。
「コーヒーカップは、自分で洗って下さいね。私たちはあなたの奴隷じゃないから」
パタパタ……と小走りに彼岸の後を追う鶫の背中を、翼は目を細めて見送った。
「けっ、よくまあ懐いてやがるぜ」
翼の唇が歪に吊り上がり、5人だけの秘密の結託を象徴する邪悪な笑みが、食堂の暗がりに不気味に浮かび上がった。
「……でも、どうせあのおっさんは、すぐいなくなるけどな」
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