第十六章:共鳴する十念と、歪な日常の輪舞
鶫と彼岸が午前中の内職作業を終えた頃、施設内に漂い始めた芳醇なデミグラスソースの香りに誘われるようにして、7人の男女が再び食堂へと集結した。
テーブルに整然と並べられていたのは、肉厚でジューシーなハンバーグと、瑞々しい季節の野菜が彩りを添えるサラダのセットであった。
死者の選別という極限状態にありながら、昼から提供されるその豪華な洋食の膳を前に、参加者たちの瞳には一瞬だけ、抗いがたい生への渇望と食欲の火が灯る。
「われここに食をうく、つつしみて天地の恵みと人々の労を謝し奉る」
静寂を破り、彼岸がいつものように凛とした声で食前の言葉を称え始めた。
するとその隣で、午前中の内職中に教えを乞うていた鶫が、彼岸の所作に合わせて静かに掌を合わせる。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
二人の声が重なり、十回の念仏を称える「十念」が食堂の無機質な空気の中に溶け込んでいく。
最後に「御光のもとにて感謝して頂きます」と二人が深々とお辞儀をする光景を、他の5人はどこか毒気を抜かれたような表情で眺めていた。
「……いただきます」
翼や慎介達も、気恥ずかしさを隠すように短く挨拶を済ませると、堰を切ったようにナイフとフォークを動かし始めた。
ハンバーグの柔らかな食感と溢れ出す肉汁に舌鼓を打ちながら、美馬義彦が不思議そうに彼岸へと視線を向ける。
「彼岸さんの食事前と、食べ終わった後の言葉は、一体何なんや? 独特な響きがあるというか、妙に耳に残るんやが」
「浄土宗の食前の言葉と、食後の言葉です。十回の御念仏は、十念と申しましてね。仏さまへの感謝を形にしているのです」
彼岸は穏やかな笑みを絶やさず、一言一句を慈しむように答えた。
「彼岸さんってお坊さんなん? 彼岸って言う名前からして仏教やもんね。えらい信心深いんやなと思って」
村井幸子が、レタスを口に運びながら興味深そうに首を傾げる。
「僧侶ではありませんが、在家の仏教者、念仏者として仏教を学び、仏様の教えを意識して生きてはおりますよ。日々の暮らしの中に、教えがあるのです」
彼岸の淀みのない回答に、清水翼が鼻で笑いながら横槍を入れた。
「仏教ってさあ、なんか古臭いイメージしかねえよな。年寄り臭いというか、今の時代に合ってねえよ」
「若人からすると、そのように思われるかもしれませんねえ。ですが、古いものの中にこそ、変わらぬ心理が眠っていることもあるのですよ」
彼岸は翼の無作法な言葉を責めることもなく、ただ春の陽だまりのような微笑みを返し、静かに咀嚼を再開した。
やがて食事が終わり、彼岸と鶫は再び「われ食を終わりて……」と食後の言葉を称え、十念を捧げてから席を立つ。
二人は慣れた連携で全員分の食器を手際よく回収し、洗い場へと運んでいった。
素早い手つきで片付けを終えると、彼岸が珈琲を淹れ、鶫がそれをトレイに乗せて一人ひとりの前へと置いていく。
香ばしい珈琲の香りが室内に広がり、5人は当然のようにそれを受け取って一息ついた。
鶫は、給仕を終えて自分の席に戻りながら、胸の内に芽生えた奇妙な違和感に戸惑っていた。
昨日の今日で、自分たちは命を奪い合う敵同士であるはずなのに、こうして彼岸と共に家事のように動くことが、何故か心地よく感じられてしまう。
それと同時に、自分たちを「下働き」のように扱い、当然のように珈琲を待つ5人の態度が、日常的な風景として定着し始めていることに、背筋が凍るような危うさを感じていた。
それは、死の恐怖を覆い隠すための、あまりにも歪で空虚な「平和」の真似事のように思えたのである。
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