第十五章:共鳴する魂と、不殺の静寂
食堂の澱んだ空気とは対照的に、内職の作業部屋は驚くほど静謐な空気に包まれていた。
案内された部屋の机の上には、色鮮やかな玩具や精密なフィギュアのパッケージが山のように積み上げられており、その指定された枠内へ一枚ずつシールを貼り付けていくのが、今回の彼らに与えられた任務であった。
当初は慣れない手つきで慎重に作業を進めていた二人であったが、元来の器用さと集中力も相まって、いつしか体はそのリズムを完璧に記憶し、機械のように素早く正確な動きを刻み始める。
指先が勝手に動き出すほどの余裕が生まれると、閉ざされていた沈黙の壁に、鶫の小さな問いかけが風穴を開けた。
「あの……彼岸さんは、この企画がどうなると思いますか?」
鶫はシールの位置を寸分違わず調整しながら、隣の席で穏やかに手を動かす彼岸へと視線を向けた。
「さて、私には何とも。どうなる事やら、と言ったところですかねえ。」
彼岸は淀みない動作でフィギュアの箱を整えながら、いつもの慈愛に満ちた笑顔で答えた。
そのあまりに超然とした態度に、鶫は胸の奥に燻っていた熱い感情を、吐き出すように言葉に乗せた。
「私は、この企画そのものが反対です。でも、だからこそ選ばれたのかもしれません。命を弄ぶようなこんなシステムに異を唱えるような思想の持ち主だから、あえて排除するために……。邪魔な人間を消すための、巧妙な罠なんじゃないかって。」
家族がお金の為に自分を差し出したという予感はしていたが、それは現段階においては不確実な想像でしかないので、自分の思っている事、この企画に対する意見と思いを話す鶫。
鶫の言葉は、これまで奪われ続けてきた者特有の、鋭利な不信感に満ちていた。
「もしそうなら、確かに私も異を唱える側の者ですから、同じ理由で御縁あったのやも知れませんねえ。」
彼岸は、シールの粘着面が指に触れることすら厭わない丁寧な所作で、ゆっくりと頷いた。
その穏やかな肯定に勇気を得たのか、鶫は作業の手を止め、まっすぐに彼岸を見つめた。
「私は、そもそも人の命を『選定』とか、選別とか、そんなの傲慢だと思うんです。誰かが生きる権利を、他人が勝手に選ぶ事じゃない。死を強いる権利なんて、この世の誰にもあるはずがないんです。」
「私も同じ意見ですし、同じ思いです。」
彼岸は作業の手を休めることなく、けれどその声には深い共鳴が宿っていた。
彼はまるで、眼前の空中に浮かぶ見えない真理を見つめるように、細めた瞳をさらに深く沈めた。
「そして、誰かの死を選定する事は、それすなわち、殺生であると私は思うのです。直接手を下さずとも、その死を望み、選ぶ行為は魂を汚す凶行に他なりません。」
彼岸の言葉は、静かな水面に投げられた石のように、鶫の心に波紋を広げていった。
「この企画は、誰かを殺生する者がいる事によって成り立ちます。私は、殺生と言う悪業をなす人と、それによって絶命する人が確実に現出するこの企画には、心底反対なのですがねえ。人が人を裁き、屠る光景など、地獄以外の何物でもありませんから。」
彼岸の表情に一瞬だけ、社会の底辺で無数の理不尽を観てきた者特有の、悍ましい深淵のような影が差した。
「でも、個人の力ではどうにもなりませんよね。私たちはただ、この濁流に飲み込まれるしかない……。」
鶫が絶望に沈んだ声を漏らすと、彼岸は作業を終えた一箱を丁寧に脇に置き、優しく微笑みかけた。
「ええ。願わくば、その事に気づき、企画者側が止めてくれる事を、ただ願う事に御座います。慈悲の心が、この漆黒の施設に届くことを信じてね。」
自分と同じ、いや、それ以上に深い倫理観と不殺生の信念を持つ彼岸の存在に、鶫は凍りついていた心が溶け出すような安堵を感じていた。
この人は信じられる。
この狂気の世界で、唯一、魂の汚れていない味方なのだと。
だが、安堵の直後、鶫の脳裏に一つの疑問が鎌首をもたげた。
これほどまでに殺生を忌み嫌い、選定を傲慢だと断じる彼岸は、果たして投票の際に誰の名を書くのだろうか。
鶫は、彼岸が誰かを選定するのか、あるいは自分が今考えている事と同じ選択をするのではないか。
あるいは、他者の罪を背負うために、自分自身を……。
漠然とした不安と予感が、シールの粘着力のように彼女の心にべったりと張り付き、剥がれなくなっていた。
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