第十四章:卑劣なる合議と、泥濘の祝杯
嵐のような二人が去った後の食堂には、澱んだ空気と、冷めかけた珈琲の苦い匂いだけが取り残された。
残された五人は、申し合わせたかのように同時に珈琲を一口啜り、その温もりで辛うじて理性を繋ぎ止めているかのようであった。
沈黙を破ったのは、椅子の背もたれに深く体重を預け、下卑た笑みを浮かべた清水翼であった。
「なあ、あんたらってさあ。もう誰を『選定』するか、腹の中じゃ決めてんの?」
翼の直球すぎる問いかけに、他の四人の指先が僅かに震える。
「翼君は、鶫ちゃんを選んでるんとちゃうん? さっきもあんなに言い合ってたし。でも、あの子は可哀そうやし、できればやめといてあげや。」
村井幸子が、道徳心を装った歪な笑みを浮かべて翼を諭そうとした。
「……最初は、俺も鶫を選定しようかとか思ってたんだけどさあ。」
翼は身を乗り出し、獲物を追い詰める爬虫類のような瞳を細めてニヤリと笑った。
「プロフィールを隅々まで読んだらさ、あの彼岸っておっさん、今はもう天涯孤独の一人身らしいじゃんか。もしもあのおっちゃんが『選定』されたら、例の10億って、一体どうなると思う?」
翼の言葉に、詐欺的な集金で生きてきた笠原慎介の眉がピクリと跳ねた。
「確かに、どこに行くんだろうな、その10億円は。受け取るべき家族がいないとなれば、権利そのものが無効になるか、あるいは受取人不在でどこにも支払われない可能性が高い。あわよくば、生き残った者達で山分けなんてのもあったりするのかな?」
「そうだろう? それに俺、思ったんだよね。一人身であのおっさんが死んだところで、誰も悲しまないし、誰も困らない。どうせ、あんな生産性のない空っぽな人間は、いてもいなくても世の中は何も変わらないんだろ?」
翼は確信に満ちた表情で、毒蛇が這うような粘りつく笑みを浮かべた。
「確かにそうさだよな。正直、ここで互いに牽制しあってギスギスと神経を削り合うより、さっさと誰か一人にターゲットを絞って、残りは平和に、安全にやり過ごすのが一番効率的かもしれないな。」
智弘も、翼の提案に潜む「自分たちの安全」という甘い蜜に惹きつけられたように、冷酷な笑みを浮かべて同意した。
「同感だ。元々僕は、ああいう得体の知れない、何を考えているのかわからない人間は気味が悪くて仕方がなかったんだ。あんな自分が無い『虚無』のような男は、丁度いい『選定』の対象だと思うよ。」
慎介は、自分の優位性を誇示するように、カップを弄びながらほくそ笑んだ。
「生産性のない者が淘汰される。それはビジネスの世界でも当然の理だからね。」
「そやな。彼岸さんを全員で選ぶっちゅうなら、満場一致で話も早い。儂も、無駄な争いは好まんからな。」
美馬義彦も、数多の人間を切り捨ててきた冷徹な経営者の顔を取り戻し、満足げに頷いた。
「私も、彼岸さんの選定やったら反対せんけど。でも、鶫ちゃんはどうするん? あの子、妙に彼岸さんに懐いてるやんか。」
幸子はそう言いながらも、自分が守られる確信を得たのか、隠しきれない愉悦に口元を歪めていた。
「あいつが都合よく席を外している今だからこそ、こうして話してるんだよ。あいつがいたら、馬鹿正直に絶対反対して騒ぎ立てるからな。あいつの意見なんて、最初から数に入れてねえよ。それに、鶫を差し引いた所で、5票集まってるんだ。もう決まりじゃねえか。」
翼は勝ち誇ったように言い放ち、円卓の中心を指差した。
「よし、決まりだ。俺たち五人は、満場一致で彼岸を選定対象にする。」
「でも、今のこの会話も、あの閻魔とか言うのに筒抜けで聞かれとるんやろな。大丈夫なんか?」
義彦がどこかにあるであろうカメラを気にするように視線を泳がせたが、翼はそれを鼻で笑い飛ばした。
「別に聞かれていようがいまいが関係ねえよ。誰を『選定』するか、事前に相談しちゃいけないなんてルールは無かったしな。今もモニターに閻魔が映ってねえってことは、主催側も口出しはしないってことだろ?」
翼の言葉に、五人の間には共犯者特有の、どす黒い連帯感が生まれた。
自分たち以外の、たった一人の「他者」を犠牲に捧げることで得られる、偽りの安寧。
彼らはまるで、勝利を確信した戦士のように、白磁のカップを中央に掲げた。
「……それじゃ、選定される事が確定した彼岸さんに。」
誰かが呟いたその言葉を合図に、五人は祝杯を挙げるかのように、同時に珈琲を飲み干した。
その味は、かつてないほどに甘美で、そして取り返しのつかないほどに腐り落ちた悪意に満ちていた。
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