第十一章:暁の修練と、静寂の報恩
翌朝、外界から遮断された施設の窓からは朝日を拝むことは叶わなかったが、鶫の体内に刻まれた精密な体内時計は、いつも通り早朝の訪れを告げていた。
静まり返った廊下を進み、昨日の探索で見つけておいたトレーニングルームへと向かう。
重厚な自動ドアが左右に開くと、そこには既に先客の姿があった。
「お早う御座います、鶫さん。」
黒い作務衣から、各室に用意されていた黒のトレーニングウェアに着替えた彼岸が、額に薄っすらと汗を浮かべて立っていた。
一通りの筋力トレーニングを終えた後のようで、彼は鶫の姿を認めると、いつものように穏やかな笑顔を浮かべて静かに合掌し、深々とお辞儀をした。
「お早う御座います。早いんですね。」
「ええ、いつもの癖でしてね。体を動かさないと、一日が始まった気がしなくて。」
彼岸は朗らかに笑うと、並んで設置されたランニングマシンの上へと軽やかに飛び乗った。
鶫もまた、幼い頃から親戚の家での労働やロードワークを欠かしたことがなかったため、無言で隣のマシンに足をかける。
パタパタパタパタ……。
規則正しくベルトコンベアを叩く二人の足音だけが、無機質な部屋に反響する。
30分ほど、無心に汗を流し、互いに一定の距離感を保ちながら並んで走る時間は、この殺伐とした施設において、奇妙なほど純粋で平穏なひとときであった。
トレーニングを終えた二人は、軽く会釈を交わしてそれぞれの自室へと戻っていった。
鶫はシャワーで汗を流し、再び支給された清潔な黒のトレーナーとカーゴパンツに袖を通すと、身支度を整えて食堂へと向かった。
扉が開くと、既にキッチンには作務衣を着用した彼岸の姿があり、和食独特の香りが室内に満ち始めていた。
それから暫くして、眠気と不安を顔に張り付かせた他のメンバーたちが、重い足取りで次々と食堂に姿を現した。
この日の朝食は、主催者サイドから提供された彩り豊かな和食の膳であった。
艶やかな白米、湯気を立てる味噌汁、絶妙な焼き色の鮭、そして小鉢に盛られた煮物。
豪華な食事を前にしても、参加者たちの間には、昨晩の罵り合いの余韻が冷たい澱のように沈殿し、箸を手に取るのを躊躇わせるような重苦しい空気が漂っている。
「われここに食をうく、つつしみて天地の恵みと人々の労を謝し奉る」
静寂を破ったのは、席に着いた彼岸の凛とした声であった。
彼は昨日同様に合掌し、一言一句を噛み締めるように食前の言葉を称える。
続いて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……と、一定の充足感を持って十回の念仏を唱え始めた。
鶫もまた、彼の落ち着いた所作に習うように、そっと手を合わせ、念仏の部分だけを小さな声で一緒に称えてから、深くお辞儀をした。
「御光のもとにて感謝して頂きます。」
「頂きます。」
鶫の挨拶を合図にしたかのように、他の面々も力なく箸を動かし始めた。
咀嚼の音と、食器が僅かに触れ合う音だけが響く異様な朝食。
互いのプロフィールを読み込み、それぞれの「醜さ」を知ってしまった彼らの間には、もはや安易な談笑が入り込む余地などなかった。
誰もが黙々と、出された食事を胃の腑へと流し込んでいく。
やがて、全員が食べ終えるのを見届けると、彼岸は再び姿勢を正し、静かに目を閉じて手を合わせた。
「われ食を終わりて、心豊かに力身に満つ。おのがつとめにいそしみ、誓って御恩に報い奉らん。」
その力強くも慈しみ深い声は、絶望に沈む者たちの心を、僅かに地上へと繋ぎ止めるような響きを持っていた。
彼が再び十回の念仏を唱え終えると、鶫も同様に念仏を添え、深く頭を下げた。
「御馳走様でした。」
「ああ、御馳走様……。」
笠原や智弘たちが、毒気を抜かれたようにぼそりと呟く。
鶫と彼岸は協力して手際よく空いた食器を回収し、洗い場へと運んでいった。
素早い手つきで片付けを終えると、彼岸は慣れた動作珈琲を沸かし、全員のカップに丁寧な所作で琥珀色の液体を注いでいく。
トクトクトク……。
立ち上る湯気と、珈琲の深い苦みが室内に広がる。
ようやく温かい飲み物を手にした参加者たちは、食後の珈琲を一啜りし、束の間の安らぎと共に、深く息を吐き出した。
しかし、その安堵も長くは続かない。
壁に設置されたモニターが、冷酷な光を放ちながら再起動するその瞬間を、彼らはどこかで予感していた。
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