第十章:澱の読後感と、夜の修練
鶫は、部屋の机の上に置かれていた「死者選定参加者プロフィール」と題された冊子を手に取った。
指先に伝わる紙の質感は意外なほど滑らかで、その無機質な白さが、これから目にすることになる人間の泥濘のような本性を際立たせている。
ページを捲るたびに、先ほど食堂で罵り合っていた内容が、公的な文書のような冷徹な筆致で、事実として裏付けられていくのを目の当たりにした。
笠原が手を染めていた詐欺まがいのコンサルティングの実態や、智弘が客を見下し傲慢な態度を繰り返してきた経緯。
さらには、美馬義彦がかつて「会社のため」という大義名分の下で、どれほどの人間を絶望の淵へ追いやり、嘲笑ってきたのか。
それらすべてが、逃げようのない現実として刻まれていた。
最後に開いた彼岸の項目には、社会の歪みに翻弄され続けた一人の男の、空虚な足跡が記されていた。
就職氷河期の直撃を受け、何十社という面接で拒絶され続けた日々。
ようやく手にした平穏を、不況や世界的感染症という、個人の努力ではどうにもならない巨大な暴力によって何度も奪われてきた記録。
目立った功績もなければ、誰かを傷つけたという前科もない。
笠原が「生産性がない」と切り捨てたその経歴を、鶫はしばらく見つめ続けた。
「それって人畜無害って事じゃない。見方と言い方で、こんなにも違う印象を植え付けられるのね。」
鶫は、独り言のように静かに呟いた。
誰かを害することなく、ただ誠実に生きようとして、それでも報われなかった男の人生。
それを「価値がない」と断じる権利など、誰にあるのだろうか。
ふと、冊子にあった義彦の項目と、彼岸の苦闘の時代が重なった。
もしかしたら、かつて彼岸が必死に頭を下げた面接会場に、冷酷な笑みを浮かべた義彦が座っていたのではないか。
彼岸を「不要」と切り捨て、その心を深く傷つけた主犯の一人が、今この円卓に座っているのかもしれない。
そう考えると、この「選定」という場が、単なる殺し合い以上の、因果が渦巻く呪縛の地に見えてくる。
鶫は重い溜息をつき、冊子を静かに閉じた。
そのままベッドの脇に立ち、日課としているサーキットトレーニングを開始した。
腕立て伏せ、スクワット、そして腹筋と背筋。
親戚の家での労働や、学校でのいじめに耐えるために、いつしか体が勝手に覚えた生存のための習慣である。
明日には命を奪われるかもしれないという極限の状態にあっても、染み付いた習慣は、彼女の体を淡々と動かし続けた。
心拍数が上がり、額に薄っすらと汗が滲む。
筋肉の痛みだけが、自分が今、確かにこの場所で生きていることを教えてくれた。
トレーニングを終えて、濡れタオルで汗を拭いた後、清潔な寝床に入ると、心地よい疲労感が意識を霞ませた。
目を閉じると、先ほど目にした7人の顔が暗闇の中に浮かび上がる。
一癖も二癖もある、欲望とエゴに塗れた人物たち。
鶫は、自分が親戚一同に「10億」という対価のために売り払われたことを、冷めた確信を持って受け入れていた。
では、他の者たちはどうなのだろうか。
やはり誰かの都合で、あるいは「推薦」という名の抹殺を受けてここに連れて来られたのだろうか。
「でも、それだと彼岸さんは、何でこんな企画に参加することになったんだろう。」
彼のような、誰の恨みも買わず、誰の邪魔もせずに生きてきた人間が、なぜこの地獄に招かれたのか。
誰かの身代わりになったのか、それとも、この理不尽な世界が本当に「ランダム」という名の気まぐれで彼を選んだのか。
思考の糸は、答えの出ないまま複雑に絡み合い、次第に深い眠りの淵へと吸い込まれていった。
無機質な個室に、規則正しい寝息だけが静かに響き、長い夜の静寂が施設を包み込んでいった。
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