遺言状③
高田涼介と天音医師が不倫関係⁉ 愛妻家として知られていた涼介だ。想像もしていなかったが、言われてみれば、まあ、お似合いだ。今日、この日に香織さんが来ていなかったことは、涼介にとって幸いだっただろう。
「ば、馬鹿な!」と涼介が立ち上がった。「いくら警察官でも、根も葉もない話は止めてもらいたい。名誉棄損で訴えますよ」
「訴える? 訴えるとなると、全てを白日の下に晒す覚悟が必要になりますよ。私は、憶測でものを言っている訳ではありません。然るべき裏を取って話をしているのです」
意外に強い口調で安達が反論した。
「うぐぐ・・・」と涼介が唇を噛む。
「もうよろしいでしょう。涼介さん」と天音医師が口を挟んだ。「認めますので、ここだけの話にしてください。涼介さんが結婚する前の、昔の話です。確かに涼介さんとの関係を利用して、アゼリさんに売り込んだ過去があります。昔の話を蒸し返されて、色々、言われるのは不本気ですが、だからと言って、志功さんを殺したりしません。ねえ、涼介さん」
「うむ」と涼介が小さく頷いた。
ひとつ分かった。橋本弁護士が会社に天音医師のスパイがいると言っていた。それが涼介であることだが分かった。だから、天音医師は志功の女性トラブルについて知っていたのだ。
「そうですね。まあ、この話はここだけの話にしてもらいましょう。よろしいですね、皆さん」と安達は俺たちの顔を見回した。
自分でバラしておきながら、調子の良い。そして、安達は「橋本弁護士」と矛先を橋本弁護士に転じた。
「僕ですか」と橋本弁護士は闘志満々の表情で頷く。
「志功氏より顧問弁護士から外されかけていたみたいですね」
「そんなこと、ありません。こうして遺言の執行を依頼されていたくらいですから」
「志功氏の財産を横領していた疑いがあるとか?」
「横領なんてとんでもない。それ、示談金のことでしょう。あれは、志功氏の名誉の為に、秘密裡に処理しただけです。私の懐には一銭だって入っていません」
この辺りは前に聞いていた話だ。だが、次の安達の話には驚いた。
「橋本弁護士、あなたには妹さんがいらっしゃいますよね?」
「妹? ええ、いますけど、それが何か?」
「既に結婚されていて、橋本姓ではない」
「そうですよ」
「随分、株で儲けていらっしゃるようですね」
「・・・」橋本弁護士が黙り込む。
「あなた、会社の顧問弁護士を勤めている。仕事上で、志功氏から相談にあずかることが多いはずです。会社の経営状況を知り得る立場にあった。インサイダー取引、当然、ご存じですよね」
インサイダー取引とは関係者しか知り得ない情報を利用し、株を売買して利益を図る不正行為のことだ。会社経営者、社員は勿論、会計士や弁護士なども、対象となる。
「妹さん名義にしておけば、バレないと思いました? 志功氏は疑っていたようですよ。最近、あなたが妙に会社の経営状況を知りたがると周囲に漏らしていました。弁護士であるあなたがインサイダー取引をしていたとなると、一大事ですよね」
「・・・」橋本弁護士は沈黙を守ったままだ。
迂闊に口を開けば、大怪我を負いかねない。そのことが分かっているのだ。こういう時は黙秘に限る。
「まあ、あなたのことだ。証拠を残す――なんて、馬鹿なことはしていないでしょう。でもね。どうでしょう。妹さん、犯罪だってことが分かって協力しているのでしょうかね」
「・・・」橋本弁護士は答えない。
これは黒だ。うさん臭いやつだと思っていたが、やっぱりだ。やることは、ちゃんとやってやがった。
安達は両手を広げてお手上げのポーズをして見せてから言った。「まあ、いいでしょう。さて、阿舎利志功氏の死亡推定時刻ですが、先週、土曜日の十二時から午後二時の間と見られています。皆様方がこちらにいらっしゃった時間と重なっています」
ここにいる全員が容疑者だという訳だ。
「志功氏が殺害されたのは書斎だと考えて間違いありません。遺体を動かした形跡はありませんでした。犯人はこの屋敷にやって来て、書斎にいた志功氏を殺害した。一見、単純に見えるこの事件を複雑にしているのは、一階の廊下に設置された防犯カメラです。
書斎の窓には鍵がかかっていた。ですが、ドアには鍵がかかっていなかった。密室ではなかったのですが、一階の防犯カメラが書斎の入り口を映していた。この為、書斎に入った人間は防犯カメラの映像に記録されることになります。密室ではありませんでしたが、一種の密室となっていたのです」
事件のおさらいだ。遺体を動かした形跡がなかったこと以外、知っていることばかりだ。
「さて、一種の密室となっていた書斎に出入りした人物、それが犯人なのかもしれません」と安達が言うと、「待て、待て、待て。俺と志尊が怪しいと言っているのか⁉」と隆俊叔父が口を挟んだ。
防犯カメラの映像から、書斎に入った人物が俺と隆俊叔父の二人であることが分かっている。常識的に考えて、二人の内、どちらかが犯人の可能性が高いだろう。
「先ほど、申しました通り、阿舎利志功氏の死亡推定時刻は十二時から午後二時の間です。志尊氏は二時過ぎに書斎に入っています」
俺はセーフだということか。
「俺が書斎にいたのは、一分くらいだったぞ。ちらりと中を見て、志功がいないと思った。机の後ろに倒れているなんて思わなかったからな。一分で志功を殺害することができるのか⁉」
もっともな主張だ。一分だと流石に苦しい。
「我々も最初、そう思いました。一分で殺害は無理だろうと。ところが、防犯カメラの映像をよく見ると、阿舎利さん、あなた、最初にリビングのドアを開けて中に入っている。その間、ドアは開けっ放しでした。約五分、ドアを開け放したままで、部屋の中を確かめるにしては、少々、長すぎる気がします」
「そうか?」
「あなたがリビングに入っている間、ドアが邪魔になって、書斎が見えないのです。リビングのドアを開けたままにして、書斎に忍び込み、志功氏を殺害した。そして、廊下に出ると、一旦、リビングのドアを閉めて、書斎のドアを開け、中を確認する振りをした。どうです。これで防犯カメラに映らずに、書斎に入ることが出来ました」
「ほう~」という歓声が何処からか上がった。
安達という刑事、なかなかの切れ者のようだ。だが、その場合、犯行に使われた凶器がどうなったのか、説明できていない。
惜しかったなと思った、その時、隆俊叔父が一瞬、俺の顔を盗み見た後で、「刑事さん。参りました。私がやりました。私が志功を殺しました」と言ったものだから驚いた。
どういうことだ。何故、隆俊叔父が犯人だと名乗り出るのだ。
志功を殺したのは俺なのに。




