ホテルは『ラストパラダイス』 2
2人が地球人専用のメニューの中から注文した品は前菜のスープにオニオンスープとクリームスープ、メインがサイコロステーキにミックスベジタブルを添えたもの、デザートはコーヒーゼリーとソフトクリームだった。
今その通りの品々が全部揃ってテーブルに並べられ暖かい料理からは湯気が、冷たい飲み物を入れたガラス容器の表面には水滴が付いて食欲を誘っている。
「いただきます」
「頂きます」
私はつい釣られて食前の挨拶をしてしまう。
こんなに楽しい食事は何十年ぶりだろうか。
2人して黙々と口に放り込みほぼ食べ終わった頃になってアイリーンが話し始める。
「なかなかに素晴らしい1日だったわねお兄ちゃん、それでもうちとしては今日の内に片付けておきたい事があと一つ残っているの、覚えているかしらそろそろドクターイノマンの事を教えてもらえますか」
アイリーンから出ているオーラが怖い、シャンプーの事を根に持っていないことを願う。
イノマンの事は後々の為に正直に話しておこうと決意する。
「僕が冥王星で事故にあった時にこのクローンの体を貰ったって言ったよね」
「まあ、そんな感じだったわね」
「基地での検査で僕がドクターイノマンのクローンだったってのが分かったんだ。それから精密検査をしたんだけどイノマンのDNA以外は何も見付からなかった。僕は石井光一のままだったんだよ」
「お兄ちゃんがイノマンって人のクローンならイノマンの記憶があっても良かったのにね」
「それこそがイノマンの研究の極致だと思うよ、生命の神秘を解明し自在に操れる様になることを目指していたんだと思う。彼の研究は肉体より離脱させた幽体を別の肉体へ入れて複製を誕生させる。彼は自分のクローンを用意してそれを実際に行っていたんだけどね。脳だけを真っ白い状態にして培養した記憶を持たないクローンにオリジナルの脳を完全コピーする事で過去の知識を失うことなく再生できる。幽体と脳を同時に一つのクローンにコピーすれば年寄りの知識と経験を積んだ若いクローンが誕生する。大量生産させた若いクローンを冷凍保存させておいて必要に応じてコピーを繰り返せば永遠に生き続けられると考えたんじゃないかな。何しろ何を考えているのかが分からないからマッドサイエンティストなんて呼ばれて指名手配までされているんだから僕たちには想像も覚束無いと思うよ」
光一が話し終わって少し間が空く。
「う~ん、全然ダメだね分からないよ……いや全くその通りさ、君たちが私を理解しようなんて100年以上早いな」
アイリーンの発する言葉の音程が少しづつ低くなっていく。
それと連動する様に口の端が吊り上がり雰囲気も変わった。
口角を吊り上げたまま言葉を続ける。
「フハハハアどうだ、娘の真似事なんぞ他愛なく出来るのだぞ」
(ドクターイノマン、一体いつから入れ替わっていたんだ、それにしても……いやらしくないか『晩ご飯を一緒に食べたいのか?』なんては聞かないけどさ)
「何を訝しく見ている言ったではないか『アイリーンの中からアイリーンの世界を見ている者だ』と、私は何時もここにいるこの娘の中に、こんなまどろっこしい説明などせずとも私が直接全てを話してやろうか、さてどうする、素晴らしい覚醒が待っているかも知れないのだぞ、さあ今すぐ決断しろ」
「やめてくれ何が素晴らしい覚醒が待っているだ、あんたも最悪の結果を恐れているじゃないか。(精神崩壊したらどうするんだ!)そうでなきゃ早々にあんたはやっているよ、それを僕が望んでやらせたみたいに誘導しても無駄だからな、さっさと帰ってくれ!」
「それは残念で仕方がない。しかしお前も私のDNAを受け継ぐ者いつか分かる時が来るはず。そう遠くない未来に」
「気色悪い言い方しないでさっさと意識をアイリーンに戻して、下さい……お願い致します」
「ほう、目上に対する物の言い方を思い出したようだないい事だ。しかしもう少しましな食事を用意したらどうかね……そして赤ワインは絶対必要だ。忘れるな」
「仰せのままに」
(素直に消えてくれるなら何だって言うさ!)
「お兄ちゃん、うちどうしちゃったんだろう少しぼーっとする。なんかいっぱい喋っていた気がするんだけど思い出せないよ」
「お水を飲むんだゆっくりと、そして思い出そうとしなくて良いから……今までもこんな事はあったかい?」
「なかったよ、お兄ちゃんに会うまでは……」
「そこは『宇宙に出るまでは』に訂正してもらわないと僕の心が悲鳴を上げちゃうよ、だからお願いします」
「わかったわそうしてあげる」
「ありがとう助かったよ」
「ああ~今日も疲れたなぁ、嫌がらせに赤ワインでも飲もうかな」
(赤ワインを目の前で美味しそうに飲んでやろうか絶体に奴の好物に違いない、悔しがればいいさアイリーンが飲めるようになるにはあと16年待たなくてはいけないんだから)
「何の嫌がらせなのさ、赤ワインってあっそうだった、今日だよ誕生日!5才になったよ、お祝いしなきゃいけないねケーキ注文してよ~、お願いだよ~」
「え~、今日が誕生日? 6月3日、そう言えば書いて……いえ何でもない、もっと早く気付けば良かったよ今からでも誕生パーティーをしようか?」
母親のアンさんから聞いていたなんてとても言えない。
私が鈴木愛鈴を保護して基地まで連れて行くのが今回の任務だなんてもっと言えない事だ。
「もちろん! お兄ちゃんありがとうございます!」
アイリーンの明るい声を聞いて私の心が晴れていく。
今は何も考えないようにしよう。
私はさっきのルームサービスレディを呼ぶためのベルを鳴らす。
(やっぱり、赤ワインも付けよう)
「おきて、起きて起きてよお兄ちゃ朝だよ、朝ごはん食べないと時間に間に合わなくなっちょうよ、今日は早く行かなくっちゃって言ってたよね、宇宙船ってうち達が乗るの待っててくれるのかなぁ」
「ああ頭が痛い二日酔い? あれだけの赤ワインで……アルコールに弱くなったとか思いたくないんだけど」
光一は室内着を脱ごうとする手を止める。
「シャワーを浴びてこようかなぁ」
「24時間たっちゃうよ~」
「大丈夫だよ多少遅れても置いていかれたりはしないから……でもシャワーは諦めて朝ごはんにしようか」
「朝ごはんブレックファーストって言うんだよね、うちが注文しちゃったけど良かったよね」
「よくできたね感心するよ、それで何を注文したんだい?」
「ベルで呼んだお姉さんがねメニューを出して説明してくれたと思うんだけど、チンプンカンプンだったよ、そう言えばうちは言葉が全然分からない事をすっかり忘れていたの、だからジェスチャーでお話ししたんだ、よくアパートで『五月蝿いよ静かにしなさい』とか言われた時にジェスチャーで訴えていたからさ上手なんだよ」
頭痛がひどくなった様な気がするのは気のせいと思うことにしておこう。
「そ、そう頑張ったんだねそれで何を注文したのかなお姉さんには通じたんだよね」
「通じたと思うんだけどうちがジェスチャーで玉子サンドとウインナーソーセージにオレンジジュースを注文したんだ、もっと注文したかったんだけどそれが精一杯だったよ、それでねお姉さん分かったー見たいな表情して戻って行ったから何か持って来てくれると思うよ。楽しみだね」
「起こしてくれたら良かったのに~」
「起こそうとしたよ『お父さんお父さん』って、耳元で3回も声を掛けたんだよでもびくともしなかったんだから」
そうだった、アイリーンは知らない人のいる所では借りてきた猫に豹変するんだった。
「それはどれくらい前の事だったんだい?」
「30分位前だと思うよ、その後お風呂で泳いでシャワー浴びて冷蔵庫の中にあった缶ジュースをさっき飲んだばかりだから、冷蔵庫の中の勝手に開けちゃったから……怒る? 怒らないよねお兄ちゃん、なんだかちょっと暑いねエアコン設定温度下げるね」
凄く嫌な予感がしてアイリーンが飲んだと言う缶ジュースの空き缶を探す。
見当たらない。
(ゴミ箱の中なんだろうか)
ゴミ箱に手を突っ込もうとした時ドアチャイムが鳴った。
アイリーンが「来た来た」と言いながら扉を開けてルームサービスを招き入れる。
光一は咄嗟に手を引っ込めて体裁を整えようとして体勢を崩し思わずゴミ箱を蹴飛ばしてしまう。
ぶちまけられたゴミがスローモーションを見るようにゆっくりと辺りに散らばっていく。
良く訓練されたルームサービスガールは見て見ぬふり、気付かない振りをして手順通りに朝食の準備を始めている。
だから光一はアイリーンの首根っこを持って問い詰める事が出来た。
「アイリーンこれを飲んだのかい?」
これはお酒ですと標準宇宙文字で書かれているレモンサワーの空き缶を見せながら聞く。




