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カエル天気予報  作者: ミノ ヨウスケ
カエル天気予報 第一部 カエル天気予報編
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第1章「雨の世界の日常」 第5話 美濃さんの一日


「美濃さんって、ちょっと怖いよね」


莉莉は、その言葉を聞いた。


聞くつもりはなかった。


昼休み。


廊下。


教室へ戻ろうとしていたところだった。


曲がり角の向こうから、知らない女子の声が聞こえる。


「分かる。なんか大人っぽい」


「そうそう。あんまり喋らなそう」


「でも綺麗じゃない?」


「綺麗だけど、近寄りにくい」


莉莉は立ち止まった。


誰の話だろう。


「カエル術使えるんでしょ?」


「ああ、美濃さん?」


自分だった。


莉莉は少し考える。


怖い。


大人っぽい。


喋らなそう。


近寄りにくい。


どれも、自分のことを言われている感じがしない。


そのまま角を曲がった。


女子生徒が三人いた。


莉莉を見る。


三人とも止まった。


莉莉も止まった。


「あ」


一人が言った。


「あ」


莉莉も言った。


気まずい。


たぶん、向こうはもっと気まずい。


「こんにちは」


莉莉が言った。


「あ、こんにちは」


「こんにちは」


「……こんにちは」


三人から順番に返ってくる。


莉莉はその横を通り過ぎた。


数歩歩く。


後ろから小さな声が聞こえた。


「聞かれたかな」


聞こえている。


でも振り返らなかった。


別に怒ってはいない。


ただ。


――怖いって何だろ。


少しだけ気になった。


~~~


教室へ戻る。


美羽が莉莉の机に座っていた。


「遅い」


「どいて」


「第一声それ?」


「私の席だから」


「冷たい」


「いいからどいて」


美羽が渋々立ち上がる。


莉莉は椅子を引いて座った。


隣では、紬が端末を見ながらパンを食べている。


「ねえ」


莉莉が言った。


「なに?」


美羽が答える。


「私って怖い?」


美羽が莉莉を見た。


紬も顔を上げた。


数秒。


美羽が吹き出した。


「何それ」


「笑うな」


「だって莉莉が怖いって」


「言われた」


「誰に?」


「知らない人」


美羽は笑いながら椅子を持ってきて、莉莉の前に座った。


「莉莉、自覚ないの?」


「何の」


「黙ってると、ちょっと近寄りにくい」


「失礼」


「すましてるっていうか」


「すましてない」


莉莉は紬を見る。


「紬」


「ん?」


「私すましてる?」


紬は少し考えた。


「知らない人の前では」


「なんで?」


「緊張してるからじゃない?」


莉莉は眉をひそめた。


「私が?」


「うん」


「しないけど」


「してるよ」


即答だった。


美羽が笑う。


「ほら!」


「二対一ずるい」


「多数決です」


「三人しかいないじゃん」


「民主主義」


「そういう使い方じゃないでしょ」


紬がパンを食べながら言った。


「あと、莉莉は黙ってると大人っぽく見える」


「ほら!」


美羽が背筋を伸ばした。


表情を消して、少し顎を引く。


「……何?」


莉莉は見ていた。


「誰それ」


「美濃さん」


「私、美濃だけど」


「外から見た美濃さん」


「絶対違う」


紬が笑っている。


「ちょっと似てる」


「紬まで」


「でも」


紬が言った。


「五分一緒にいれば違うって分かる」


「でしょ?」


莉莉は少し安心した。


「三分かな」


「短くなった」


「一分でもいいかも」


「どっちなの」


美羽が笑った。


「口開いたら終わりってこと」


「何が終わるの」


「美濃さん」


「だから私、美濃なんだけど」


二人が笑う。


莉莉には、やっぱりよく分からなかった。


~~~


午後。


英語。


莉莉は机に突っ伏していた。


分からない。


本当に分からない。


先生が何か説明している。


単語は分かる。


たぶん。


文章になると分からなくなる。


どうしてだろう。


数学なら分かる。


理科も好きだ。


興味があることなら、自分で資料を探していくらでも調べられる。


なのに英語だけは、頭に入ってこない。


「美濃」


嫌な予感がした。


顔を上げる。


「はい」


「寝るな」


「寝てません」


「その姿勢で?」


「考えてました」


「何を」


莉莉は少し考えた。


「人生」


教室が笑った。


先生は笑わなかった。


「十三歳にはまだ早い。教科書二十八ページ」


「はい」


教科書を開く。


隣から小さな声がした。


「美濃さん」


莉莉は横を見る。


美羽が笑いを堪えている。


「何」


「大人っぽい」


「うるさい」


「人生考えてるもんね」


「あとで覚えてろ」


美羽が机に突っ伏した。


「美羽」


先生が言った。


「そんなに面白いなら、続き読んでみろ」


「えっ」


今度は莉莉が笑った。


「がんばって」


「莉莉のせいじゃん!」


「美濃、静かに」


「はーい」


少し離れた席で、紬も笑っていた。


~~~


授業が終わった。


「無理」


莉莉は机に額をつけた。


「何が?」


美羽が訊く。


「英語」


「莉莉、数学できるじゃん」


「関係ない」


「カエル術使えるじゃん」


「もっと関係ない」


「英語曲げれば?」


莉莉は顔を上げた。


「何それ」


美羽が指をくねくね動かす。


「英文をこうやって曲げて、日本語にする」


「できたらやってる」


紬が言った。


「クーパーさんに教えてもらえば?」


莉莉は黙った。


「……嫌」


「なんで?」


「絶対喜ぶ」


「いいじゃん」


「よくない」


祖父の顔が浮かぶ。


たぶん嬉しそうに教材を用意する。


頼んでもいないのに、学習計画まで作る。


そして何より。


『りーりー、英語やるの?』


絶対、あの顔で言う。


嫌だ。


「絶対言わない」


「何その意地」


「分かんない」


美羽が莉莉を見る。


「カエル術使えて、頭もいいのに英語できないんだ」


「喧嘩売ってる?」


「神様ってちゃんとしてるね」


「何が」


「バランス」


「殴るよ」


「怖い、美濃さん怖い」


「美羽」


紬が静かに言った。


「そろそろ本当に殴られるよ」


「紬まで!」


三人で笑った。


~~~


放課後。


三人で廊下を歩いていると、


「美濃さん」


声をかけられた。


莉莉が振り返る。


知らない男子だった。


いや。


見たことはある。


昨日の男子の友達だ。


たぶん。


「はい」


「昨日さ」


「あ」


「ごめん。あいつ、変なこと言わなかった?」


「別に」


「結構へこんでて」


「そうなの?」


「うん」


莉莉は少し困った。


へこまれても困る。


「ごめんって言っといて」


「いや、美濃さんが謝ることじゃないけど」


「じゃあ言わなくていい」


男子が笑った。


「なんかイメージ違うね」


「何が?」


「もっとクールな人かと思ってた」


「そう?」


「うん」


後ろで美羽が何かに耐えている。


絶対笑っている。


「じゃあ」


男子が言った。


「うん」


「また」


「うん」


男子が去っていく。


三秒。


莉莉は振り返った。


美羽が壁に手をついていた。


「……美濃さん」


「やめろ」


「クールな人」


「やめろ」


「紬、聞いた?」


「聞いた」


「クールな人だって!」


「美羽」


紬が静かに言った。


「走って逃げた方がいいよ」


美羽が走った。


「待て!」


莉莉も走る。


「校内走らない!」


先生の声が飛んできた。


二人とも止まった。


紬だけ普通に歩いてくる。


「怒られた」


「美羽のせい」


「追いかけたの莉莉じゃん」


「逃げるからでしょ」


紬が二人の横を通り過ぎる。


「帰るよ」


「はーい」


「待って」


三人で昇降口へ向かった。


~~~


外は雨だった。


当たり前だけれど。


美羽が傘を開く。


紬も開く。


莉莉も開いた。


「今日、黄色だって」


紬が言った。


「朝は橙じゃなかった?」


「下がった」


「第七も?」


「少し下がったみたい」


莉莉はスマホを見る。


確かに昨日より少し低い。


「ほんとだ」


美羽が莉莉を見る。


「莉莉がやった?」


「何を」


「雨」


「そんなのできない」


「ちょっとはできるじゃん」


「ちょっとだけ」


「じゃあ今弱くして」


「やだ」


「なんで!」


「めんどくさい」


「能力の無駄遣い!」


「使ってないんだから無駄遣いじゃないでしょ」


紬が笑った。


三人で歩く。


雨は傘を叩いている。


昨日ほど強くない。


莉莉は何となく手を傘の外へ出した。


雨粒が指に当たる。


このまえ感じた妙な重さ。


今日はない。


普通だった。


「莉莉?」


紬が言った。


莉莉は手を戻した。


「何?」


「また雨?」


莉莉は一瞬だけ黙った。


「うん」


「変?」


「今日は普通」


「そっか」


それだけだった。


紬はそれ以上聞かなかった。


美羽が前から振り返る。


「何の話?」


「何でもない」


「私だけ仲間外れ?」


「違うよ」


「じゃあ教えて」


「雨」


「雨?」


美羽は空を見る。


「降ってるね」


莉莉と紬が同時に笑った。


「何!」


「いや」


「何で笑うの!」


「美羽が雨降ってるって言ったから」


「降ってるじゃん!」


「毎日降ってる」


「今日は今日で降ってるでしょ!」


「それはそうだけど」


三人で笑った。


~~~


駅前の屋根付き通路。


学校帰りの生徒。


仕事帰りの大人。


買い物袋を持った人。


濡れた傘を畳む人。


壁の大型表示では、カエル天気予報が黄色を示している。


「ねえ、莉莉」


美羽が言った。


「何」


「明日どうする?」


「何が」


「放課後。新しい店できた」


「何の」


「クレープ」


莉莉は美羽を見る。


「行く」


「即答」


紬が笑った。


「英語のときより判断早い」


「英語関係ないでしょ」


「昨日の告白よりは遅いよ」


美羽が言った。


莉莉は止まった。


「美羽」


「何?」


「明日来なくていいよ」


「なんで!」


「私と紬で行く」


「待って!」


「紬、二人で行こう」


「私は三人がいい」


「ほら!」


美羽が莉莉の腕に抱きついた。


「離して」


「莉莉大好き」


「うざい」


「ひどい!」


「濡れてる」


「雨だから!」


「そういう問題じゃない」


「ことみちゃんみたいなこと言うね」


莉莉は止まった。


「今の取り消して」


「なんで?」


「取り消して」


「嫌」


「美羽」


「ことみちゃん莉莉」


「やめろ!」


美羽が逃げた。


莉莉が追う。


紬が後ろから言った。


「走ると滑るよ」


「美羽が悪い!」


「莉莉が追いかけるからでしょ!」


「待て!」


「やだ!」


人混みの中で、二人ともすぐ歩きに戻った。


紬が追いつく。


三人で並ぶ。


明日のクレープ。


英語の宿題。


昨日の告白。


美羽の余計な一言。


紬の妙に鋭いところ。


くだらないことばかりだった。


莉莉は、それでよかった。


~~~


電車が来た。


三人で乗る。


途中で美羽が降りた。


「明日ね!」


「うん」


「クレープ!」


「分かったって」


「忘れないでよ!」


「忘れない」


ドアが閉まる。


美羽はホームからまだ何か言っていた。


聞こえない。


莉莉は手だけ振った。


少しして、紬が降りる駅が近づいた。


「莉莉」


「ん?」


「今日」


「何」


「普通だった?」


莉莉は紬を見る。


何のことか、少し考えた。


雨だ。


「普通だったよ」


「ならいい」


電車が止まる。


ドアが開いた。


「じゃあ明日」


「うん」


紬が降りる。


「クレープ忘れないで」


「紬まで?」


紬が笑った。


ドアが閉まった。


一人になる。


莉莉は窓の外を見た。


雨。


水没した昔の街。


その上につくられた今の街。


明かり。


遠くに、カエル天気予報の表示が見える。


黄色。


今日は普通だった。


学校へ行って。


英語が分からなくて。


美羽にからかわれて。


紬に見抜かれて。


知らない人から、クールだと言われた。


莉莉にはよく分からない。


自分は自分だ。


美濃莉莉。


十三歳。


英語は嫌い。


数学は好き。


卵焼きも好き。


カエル術が少し使える。


そして明日は、クレープを食べに行く。


スマホが震えた。


美羽。


『明日クレープ忘れないで』


続けて紬。


『私も言おうと思ってた』


莉莉は笑った。


『分かったって』


送る。


すぐ既読が二つついた。


窓の外では、


今日も雨が降っていた。


それでも明日は、


クレープを食べる予定だった。


投稿初めに10話+2話の草稿を準備していたのですが、莉莉の話を少し伸ばしたくなり再構成しています。

投稿間隔があかないように頑張ります。

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