第4章「雨がやむ日」 第18話 雨が弱くなる
傘の音が、小さかった。
月曜日の朝。
莉莉は駅へ向かいながら、一度だけ傘を見上げた。
ぱらぱら、と細かな音がする。
「弱い」
昨日も、そんなに強くなかった気がする。
でも、珍しいことではない。
雨が弱い日はある。
莉莉はそのまま駅へ向かった。
~~~
「今日、弱くない?」
学校へ着くなり、美羽が言った。
「弱いね」
莉莉が答える。
隣で紬が鞄を机に置いた。
「昨日も弱かったよ」
「そうだっけ?」
美羽が訊く。
「一昨日も」
「何で覚えてんの」
「毎日降ってるから」
「それ答えになってる?」
「たぶん」
莉莉は椅子に座った。
美羽が自分の髪を触っている。
「でも、これくらいならいいかも」
「何が?」
「髪」
「そこ?」
「大事でしょ」
美羽が真面目な顔をした。
「朝ちゃんとしても、学校着く頃には終わってるんだから」
莉莉は美羽の髪を見る。
「今日も普通じゃん」
「今日は生きてる」
「いつも死んでるの?」
「半分くらい」
紬が美羽を見る。
「大変だね」
「他人事みたいに言わないで」
「他人だから」
「冷たい」
莉莉は少し笑った。
窓の外を見る。
校舎の向こうは灰色だった。
いつもの空。
いつもの雨。
ただ、確かに弱かった。
~~~
火曜日も弱かった。
水曜日も弱かった。
木曜日の朝。
莉莉は駅へ向かいながら、途中で傘を少し傾けた。
顔に雨が当たる。
細い。
冷たい。
でも、それほど気にならない。
傘を戻す。
前を歩く人の中には、傘を差していない人もいた。
レインウェアのフードだけを被って歩いている。
屋根のある歩廊では、そのフードさえ外している人がいる。
莉莉は端末を開いた。
カエル天気予報は通常表示。
予測も、しばらく大きな変化はない。
その下に出ているニュースが目に入った。
北日本を中心に降水量低下
複数地域で平年値を大きく下回る
莉莉は足を止めた。
記事を開く。
札幌だけではなかった。
北海道
東北
関東
ほかの地域でも、ここ数日、雨が弱くなっているらしい。
一時的な変動なのか、長期的な傾向なのかは分からない。
専門家が調べている、と書いてある。
莉莉は少し読んだ。
途中から知らない言葉が増えた。
読むのをやめた。
「また分かんないやつ」
端末を閉じて、学校へ向かった。
~~~
昼休み。
「東京も弱いんだって」
美羽が言った。
「知ってる」
莉莉はパンを食べながら答える。
「大阪もみたい」
紬が端末を見ている。
「結構広いね」
「何で?」
美羽が訊く。
「知らない」
「莉莉、カエル術使えるじゃん」
「使えるけど知らない」
「雨のこと分かんないの?」
「カエル術使える人が雨に詳しいわけじゃないから」
「そうなの?」
「そうだよ」
莉莉はパンを食べる。
美羽が少し考えた。
「じゃあ何のために使えるの」
「知らない」
「本人が一番知らないじゃん」
「うん」
紬が端末から顔を上げた。
「この前の新しいエネルギーは?」
莉莉は少しだけ反応した。
土曜日に、あやかと見たものを思い出す。
地下の熱。
水面で動いていた設備。
沖合の風。
「関係ないんじゃない?」
「そうなの?」
紬が画面を動かす。
「あ、書いてある」
美羽が覗き込む。
「何て?」
「新しいエネルギー網の運用と、降水量の変化に直接の関連は確認されていません、だって」
「じゃあ違うんだ」
「分かんないけど」
莉莉が言った。
美羽が窓を見る。
「でもさ」
「何?」
「弱い方がよくない?」
莉莉も窓を見る。
「うん」
それは、そうだった。
~~~
放課後。
三人で校舎を出た。
まだ雨は降っている。
美羽が傘を開いた。
紬も開く。
莉莉は傘を開こうとして、やめた。
「差さないの?」
美羽が訊く。
「これくらいならいいかな」
「珍し」
莉莉はフードを被った。
歩き出す。
顔に、ときどき雨が当たる。
髪にも少し。
でも、すぐにびしょびしょになるほどではない。
「これ、楽かも」
莉莉が言った。
「でしょ?」
なぜか美羽が得意そうだった。
「美羽が弱くしたわけじゃないじゃん」
「でも髪が死なない」
「そればっかり」
「重要です」
三人で歩く。
いつもなら、屋根のある通路を選ぶ。
今日は途中で、美羽が別の道を指した。
「こっち行かない?」
莉莉が見る。
「遠くない?」
「ちょっとだけ」
「何で?」
「店見たい」
「何の?」
「髪のやつ」
莉莉と紬は美羽を見る。
「何」
「結局髪じゃん」
「だから重要だって」
紬が笑った。
莉莉も少し笑う。
「いいよ」
三人で曲がった。
いつもの帰り道ではなかった。
少し遠回りだった。
でも今日は、それほど嫌ではなかった。
雨が弱いから。
それだけの理由だった。
~~~
店を出た頃にも、雨は弱いままだった。
美羽は小さな袋を持っている。
「買ったんだ」
莉莉が言う。
「買うよ。見に来たんだから」
「見るだけかと思った」
「りーりーとは違います」
「何が」
「決断力」
「いらないもの買ってるだけじゃん」
「いるから」
「何買ったの?」
紬が訊く。
美羽が袋を開ける。
二人が覗く。
莉莉は少し笑った。
「似たの持ってなかった?」
「違うから」
「同じじゃん」
「全然違う」
そんな話をしながら歩いた。
莉莉は傘を差していない。
少しして、紬も傘を閉じた。
美羽も閉じる。
三人ともフードだけになった。
「すご」
美羽が空を見上げた。
「何が?」
「傘ない」
「雨はあるよ」
「そうだけど」
確かに、少し変な感じがした。
雨の日なのに、傘を差していない。
莉莉は手を出した。
雨粒がいくつか掌に当たる。
ふと、少しだけ動かしてみたくなった。
前を見る。
意識を向ける。
自分の前に落ちてくる雨を、少しだけ横へ。
いつもの感覚で。
押す
雨が動いた。
「あ」
思ったより簡単だった。
もう一度。
少しだけ曲げる。
動く
莉莉は歩きながら、雨を見る。
軽い
そう思った。
でも
少し違う。
軽いというより。
「……薄い」
「何が?」
美羽が振り返った。
「何でもない」
「今、薄いって言ったじゃん」
「言った」
「何が?」
莉莉は雨を見る。
「雨」
「そりゃ薄いでしょ」
美羽が言った。
「今日弱いんだから」
「うん」
莉莉はそれ以上言わなかった。
たぶん、そういうことだ。
「りーりー、置いてくよ」
紬が少し先から言った。
「待って」
莉莉は二人を追った。
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家に帰ると、りりかが窓の外を見ていた。
あやかもリビングにいる。
「ただいま」
「おかえり、りーりー」
「おかえり」
莉莉は鞄を置いた。
「ママ」
「何?」
「嬉しそう」
りりかが莉莉を見る。
「分かる?」
「ちょっと」
「嬉しいよ」
「雨弱いだけじゃん」
りりかはもう一度、窓の外を見た。
「りーりーにはね」
莉莉は少し考えた。
「ママには違うの?」
「違うっていうか」
細い雨が窓を流れている。
「昔は、これくらいの日も普通にあったから」
「ふうん」
「もっと弱い日もあったし」
莉莉も窓の外を見る。
あやかが二人の後ろから言った。
「今日、傘使った?」
「朝だけ」
「ほんと?」
「帰りは使ってない」
「濡れなかった?」
「ちょっとだけ」
あやかが莉莉の髪を見る。
「ほんとだ」
「何が」
「あんまり濡れてない」
「だから言ったじゃん」
あやかが莉莉の髪を少し触る。
莉莉は頭を動かした。
「触らないで」
「何で」
「別に」
「反抗期」
「違う」
「反抗期の人はみんなそう言います」
「誰情報」
「お母さん情報」
「信用できない」
りりかが笑った。
莉莉も少し笑った。
窓の外では、まだ雨が降っていた。
~~~
夜
莉莉は自分の部屋の窓から外を見た。
街の灯りが、水面に揺れている。
人工基盤
高架
古い建物
新しい建物
いつもの札幌だった。
雨も、まだ降っている。
莉莉は窓に少し近づいた。
薄い
帰り道で感じたことを思い出す。
何が薄かったのかは、やっぱり分からない。
莉莉はしばらく雨を見た。
それから、カーテンを閉めた。
雨が弱ければ、歩きやすい。
傘もいらない。
明日も学校がある。
外では、まだ雨が降っていた。
ちゃんと降っている。
ただ
ずいぶん弱かった。
明日も、これくらいならいい。
莉莉はそう思った。




