幕間5 こうたとりーりー
「りーりー、歩くの速くない?」
「こうたが遅いんでしょ」
「俺、普段かなり歩いてるぞ」
「知ってる」
「走ってもいる」
「知ってる」
「筋トレもしてる」
「それも知ってる」
「じゃあ何で遅いんだよ」
莉莉は少し先で振り返った。
「さっきから止まるから」
こうたは黙った。
莉莉の言う通りだった。
今日は朝から雨だった。
十月も終わりに近づいて、札幌の雨はずいぶん冷たくなった。
こうたが仕事で札幌に来ていると聞いて、莉莉がメッセージを送った。
『暇?』
しばらくして、
『暇じゃない』
と返ってきた。
『じゃあ明日』
『人の話聞いてる?』
『何時?』
結局、昼前に待ち合わせた。
あやかは大学。
ママは用事。
ことみちゃんは来ていない。
二人で街を歩いていた。
莉莉には見たい店があった。
こうたは、そこへ行く途中で三回止まった。
一回目は古い建物
二回目も古い建物
三回目も古い建物だった
「これ、いいだろ」
こうたが言った。
莉莉は建物を見上げた。
周囲には新しい建物が並んでいる。
その間に、古い石造りの建物が残っていた。
一階の一部は改修されている。
上の方は昔のままらしい。
雨に濡れた石の壁が黒っぽく見える。
「古いね」
「そこじゃないんだよ」
「じゃあどこ」
「この窓とか」
「窓?」
「あと、この壁」
「壁?」
「お前、興味ないだろ」
「うん」
「少しは隠せよ」
莉莉は建物をもう一度見た。
「大じじいも古いよ」
「建物と一緒にするな」
「ことみちゃんに言ったら怒るかな」
「俺を巻き込むなよ」
莉莉は歩き出した。
「りーりー、待て」
「店行くんでしょ」
「分かってるよ」
こうたも追いついてきた。
「十三歳にはまだ分からんか」
「何が」
「古いものの良さ」
「こうた、五十五歳だもんね」
「関係ない。俺は昔から好きなんだよ」
「札幌にいた時も?」
「いた時も」
莉莉はこうたを見る。
「何歳だっけ」
「小四から高校まで」
莉莉は少し考えた。
「じゃあ、十三歳のこうたも札幌にいたんだ」
「いたよ」
莉莉はもう一度、古い建物を見た。
十三歳のこうた。
同じ年齢で、同じ札幌にいた。
でも、今とはたぶん、ずいぶん違う札幌だった。
「想像できない」
「何でだよ」
「こうたが十三歳」
「俺にも十三歳はあったんだよ」
「見てないから知らない」
「写真あるぞ」
「いらない」
「見たら驚くぞ」
「何に」
「俺の若さに」
莉莉は少し笑った。
雨の中を、二人は歩いた。
~~~
莉莉が見たかったのは、小さな雑貨と服を扱う店だった。
髪飾りもある。
莉莉が一つずつ見ている間、こうたは最初、入口の近くに立っていた。
「こうたも見れば」
「俺が?」
「暇でしょ」
「暇じゃないって昨日から言ってる」
「でもいるじゃん」
「お前に呼ばれたからだろ」
莉莉は髪飾りを一つ手に取った。
横須賀で、かえでお姉ちゃんと買ったものとは少し違う。
鏡の前で髪に合わせる。
「どう?」
こうたが見る。
「いいんじゃない」
「ちゃんと見て」
「見てるよ」
「適当」
「じゃあ、こっち」
隣にあった別のものを指した。
莉莉は見る。
「こっち?」
「うん」
「何で?」
「そっちの方が似合う」
莉莉は二つを見比べた。
最初に持っていた方を戻す。
こうたが笑った。
「採用された」
「こっちの方がよかっただけ」
「誰が選んだ?」
莉莉は答えなかった。
そのまま店の奥へ行く。
少しして、莉莉は振り返った。
こうたがいない。
「こうた?」
返事がない。
入口を見る。
いない。
店の奥を見る。
いた。
壁に飾られた小さな絵の前に立っている。
「何してるの」
「これ見てる」
莉莉も横に立った。
雨の降っていない街の絵だった。
外国らしい。
古い建物が並び、その間を人が歩いている。
空が青い。
「どこ?」
「たぶんヨーロッパ」
「たぶん?」
「説明ないから」
「外国好きだよね」
「好きだな」
「行きたい?」
「行きたい」
「どこ」
「いっぱいある」
「雑」
「一個に決めなくていいだろ」
莉莉は絵を見る。
「晴れてるね」
「そうだな」
青い空が描かれていた。
建物の壁には、明るい光が当たっている。
莉莉はそれを見た。
こうたも見ていた。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
別に、何かを話さなくてもよかった。
莉莉はもう少しだけ絵を見てから、
「髪飾り買ってくる」
と言った。
「決めた?」
「うん」
会計を済ませる。
店を出ると、こうたが言った。
「つけないの?」
「今?」
「買ったんだから」
「明日つける」
「今でいいじゃん」
「こうた、そういうの気にするんだ」
「何が」
「意外」
「俺を何だと思ってんの」
莉莉は少し考えた。
「こうた」
「答えになってない」
莉莉には、それで答えになっていた。
~~~
昼は、近くの店に入った。
莉莉はオムライス。
こうたは魚の定食。
「それだけ?」
莉莉が聞いた。
「何が」
「もっと食べそう」
「健康に気をつけてるんだよ」
「パチンコするのに?」
こうたが箸を止めた。
「それとこれは関係ないだろ」
「最近行った?」
「……何で取り調べされてるんだよ」
「負けた?」
「少し」
「いくら?」
「言わない」
莉莉はオムライスを食べた。
「だからお金ないんだ」
「あるよ」
莉莉がデザートのメニューを開く。
「プリン食べていい?」
「食えば」
「こうたのお金で」
「そこまで決まってんの?」
「うん」
こうたはため息をついた。
「分かったよ」
「やった」
「十三歳にたかられた」
「五十五歳なんだからいいでしょ」
「どういう理屈だよ」
プリンが来るまで、莉莉はこうたを見る。
今日は髪が少し下りている。
眼鏡もかけている。
「こうた」
「何」
「眼鏡外して」
「何で」
「いいから」
こうたが怪訝そうな顔をする。
それでも眼鏡を外した。
莉莉は見る。
「やっぱり」
「何」
「ない方がいいじゃん」
「知ってる」
「じゃあ何でしてるの」
「落ち着くから」
「目、悪くないんでしょ」
「悪くない」
「意味分かんない」
「ファッションだよ」
莉莉は眼鏡を見る。
黒っぽい細いフレーム。
もう一度こうたを見る。
「髪もちゃんとすればいいのに」
「面倒くさい」
「モテないよ」
「余計なお世話だ」
「彼女いる?」
「いない」
返事が少し早かった。
莉莉はこうたを見る。
「いる?」
「いない」
「今、早かった」
「普通だろ」
莉莉はじっと見る。
こうたも見る。
「何だよ」
「怪しい」
「十三歳が五十五歳の恋愛事情を気にするな」
「別に気にしてない」
「じゃあ聞くなよ」
こうたは眼鏡をかけ直した。
ちょうどプリンが来た。
莉莉はそちらを向いた。
「おい」
「何」
「興味なくなるの早すぎない?」
「プリン来たから」
「俺、プリン以下?」
莉莉は少し考えた。
「今は」
「今は、なんだ」
莉莉はプリンを一口食べた。
「おいしい」
「よかったな」
「こうたも食べる?」
「いいよ」
「一口だけ」
「いらないって」
「おいしいよ」
莉莉はスプーンを少し差し出した。
こうたは一瞬迷ってから食べた。
「どう?」
「普通」
莉莉は笑った。
「真似した」
「便利だな、これ」
~~~
店を出た頃には、雨が少し強くなっていた。
二人で傘を差して歩く。
こうたはまた古い建物を見つけた。
今度は莉莉が先に言った。
「止まらないで」
「まだ何も言ってないだろ」
「見てた」
「見るくらいいいだろ」
「帰れなくなる」
「今度ちゃんと見に来よう」
「一人で来れば」
「付き合えよ」
「考えとく」
「お」
「何」
「前進した」
「うるさい」
信号が赤になった。
二人で止まる。
前に、杖をついた年配の女性がいた。
傘を差しながら、手に袋を二つ持っている。
一つが傾いた。
中から小さな箱が落ちた。
こうたが拾った。
「落ちましたよ」
「あら、ごめんなさい」
「これも持ちましょうか」
「大丈夫です」
「信号渡るまで」
女性は少し迷ってから、
「じゃあ、お願いします」
と言った。
信号が青になる。
こうたは女性の歩く速さに合わせて渡った。
莉莉はその横を歩いた。
反対側まで行って、袋を返す。
「ありがとうね」
「いえ」
女性は頭を下げて、そのまま歩いていった。
こうたも歩き出す。
莉莉は隣を歩く。
「何」
こうたが言った。
「何も言ってない」
「見てたじゃん」
「見てただけ」
少し歩いてから、莉莉が言った。
「こうた」
「何」
「警察っぽかった」
「警察だからな」
「普段はあんまり見えない」
「それでいいんだよ」
莉莉はこうたを見る。
「何が?」
「何でもない」
「変なの」
こうたは何も言わなかった。
莉莉も、それ以上は聞かなかった。
二人はそのまま歩いた。
~~~
駅が見えてきた。
「りーりー」
「何」
「何かあったら連絡しろよ」
「何かって?」
「何でも」
「数学でも?」
「それはあやかに聞け」
「あやかもレポートの添削とか聞いてくるんだけど」
「じゃあ駄目だな」
莉莉は少し笑った。
こうたも笑った。
それから、
「でも、何でもいいから」
と言った。
莉莉はこうたを見る。
いつもと同じ顔だった。
「いつもしてるじゃん」
「くだらないのばっかりな」
「こうたも送ってくるでしょ」
「俺はいいんだよ」
「何それ」
「大人だから」
莉莉は少し考えた。
「じゃあ、こうたも何かあったら連絡して」
こうたが莉莉を見る。
「俺も?」
「うん」
「りーりーに?」
「うん」
「何を相談すんだよ」
「知らない」
「役に立たなそうだな」
「じゃあしなくていい」
「怒るなよ」
「怒ってない」
「じゃあする」
「何を」
「連絡」
「ふうん」
それで話は終わった。
駅の入口で、こうたが言った。
「家着いたら連絡」
「分かった」
「知らないやつについていくなよ」
「十三歳だよ」
「十三歳だから言ってんだよ」
「こうた、たまにおじさんになるね」
「ずっとおじさんだよ」
莉莉は笑った。
「じゃあね、こうた」
「おう。またな、りーりー」
莉莉は改札へ向かった。
途中で一度振り返る。
こうたはまだいた。
莉莉が手を上げる。
こうたも上げた。
それから莉莉は前を向いた。
スマートフォンが震えた。
こうたからだった。
もう?
莉莉は開く。
さっきの古い石造りの建物の写真。
『これ絶対いい建物だからな』
莉莉は少し笑った。
『古いだけじゃん』
送る。
すぐに返ってきた。
『分かってない』
莉莉は歩きながら打った。
『パチンコ負けたくせに』
少し間が空いた。
『それは関係ない』
莉莉は笑った。
電車が来た。
スマートフォンをしまって、乗り込む。
窓の外には、冷たい雨が降っていた。
次にこうたが札幌へ来たら、今度はどこへ行こう。
古い建物じゃないところがいい。
でも。
十三歳のこうたが知っていた場所なら、一つくらい見てもいい。
莉莉はそう思った。
こうたはりりかの弟
莉莉はこうたにとって又姪です。




