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カエル天気予報  作者: 美濃 陽介
カエル天気予報 第一部 カエル天気予報編
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19/23

第3章「雨の外側」 第15話 大じじいの知り合い


横須賀から戻って、数日が経った。

札幌の雨は、少し冷たくなっていた。

関東にいたときより、外へ出たときの空気が冷たい。

朝は、上着がないと少し寒い。


昔の札幌なら、そろそろ雪を気にする季節だったらしい。

今は、もうそんなに雪は降らない。

真冬でも、たまにみぞれになるくらいだ。

莉莉にとって札幌の秋は、雪を待つ季節ではない。

雨が少しずつ冷たくなっていく季節だった。



莉莉は鏡の前で髪を整えていた。

横の髪を留めているのは、横須賀で買った小さな髪飾りだった。

かえでお姉ちゃんと店を見て、いくつか並べて、結局これにした。

別に、特別なものではない。


「りーりー」


後ろから声がした。

鏡を見る。

あやかがいた。


「何」


「それ、横須賀で買ったやつ?」


「うん」


「気に入ってるじゃん」


莉莉は髪飾りを見る。


「普通」


「それ便利だね」


「何が」


「普通って言っとけば、だいたい終わるところ」


莉莉は振り返った。


「朝からうるさい」


「はいはい」


あやかは笑って、部屋を出ていった。

莉莉はもう一度鏡を見る。

少しだけ髪を直した。

直さなくてもよかった気がする。

でも、直した。


~~~


土曜日。

ことみちゃんの車で、大じじいのところへ行った。

特に用事があったわけではない。

昨日、ことみちゃんから、


『明日、大じじいのところ行くけど、来る?』


と連絡が来たから、


『行く』


と返した。


それだけだった。

療養所に着いて車を降りると、細かな雨が頬に当たった。

横須賀で浴びた雨より、ずっと冷たい。

莉莉は少し首をすくめて、ことみちゃんのあとを追った。

建物に入る。

窓の向こうでは、今日も雨が降っている。

赤ではない。


黄色


ことみちゃんは、


「今日はそんなに強くないわね」


と言った。


莉莉には十分雨に見えた。

でも、たぶん、そういう意味ではない。


廊下を歩く。

いつものところを曲がる。

大じじいの部屋が近づいたところで、莉莉は少し足を緩めた。

声がした。

大じじいの声。

それから、もう一人。

若い、というより、子どもだった。


「誰かいる」


莉莉が言った。

ことみちゃんもドアを見る。


「いるわね」


それだけ言って、普通にドアを開けた。


「来たわよ」


部屋の中で、大じじいがこちらを見た。


「来たか」


いつもの椅子に座っている。

その隣に、知らない男の子がいた。

莉莉より少し小さい。


黒い髪

パーカー

椅子に座って、タブレットを見ていた。


男の子も莉莉を見る。

莉莉も見る。


「誰?」


「笹川昴」


大じじいが言った。


「そうじゃなくて」


男の子が少し笑った。


「ばあちゃんの付き添い」


「ふうん」


「小六」


「そこまで聞いてない」


「聞かれると思ったから」


莉莉は男の子を見る。


笹川昴

十二歳


「こっちは莉莉」


大じじいが言った。


「知ってる」


昴が答えた。

莉莉は昴を見る。


「何で?」


「聞いたことある」


「誰に?」


昴が大じじいを見る。

莉莉も見る。

大じじいはテレビを見ていた。


「何だ」


「私の話したの?」


「したかもしれん」


「何話したの」


「忘れた」


「絶対覚えてるじゃん」


「八十だぞ」


「便利だね」


「何が」


「八十って言っとけば、だいたい終わるところ」


大じじいが莉莉を見る。


「誰に似たんだ、お前」


「知らない」


ことみちゃんが笑った。


「ほんと、そっくり」


「違う」


莉莉と大じじいの声が重なった。

昴が二人を見た。

少し笑った。


~~~


「これ、札幌駅なんだって」


しばらくして、昴がタブレットを莉莉に見せた。

古い写真だった。

莉莉も知っている。

水没する前の札幌。

建物が並んでいる。

道路がある。

車が走っている。


そして、水がない。


「そうだよ」


莉莉が言った。


「駅の前、水ないけど」


「昔だから」


昴は画面を見る。


「大じじいもそう言ってた」


莉莉も画面を見た。

前に、自分も似たようなことを訊いた気がする。

地下鉄が水の下にあるとか。

駅の周りに普通に人が住んでいたとか。

低いところに大勢住んで怖くなかったのかとか。


大じじいに、昔はこんなに水が来なかったんだよ、と言われた。


「昔は、こんなに水来なかったんだって」


莉莉が言う。

昴が顔を上げた。


「知ってる」


「知ってるの?」


「大じじいに聞いた」


「私も」


二人で大じじいを見る。

大じじいはテレビを見ていた。

カエル天気予報。

黄色いカエルが傘を差している。


「何だ」


「別に」


莉莉が言った。


昴も、


「別に」


と言った。


大じじいが二人を見る。


「お前ら、何なんだ」


昴が笑った。

莉莉も少し笑った。


ことみちゃんは、大じじいの棚を勝手に開けていた。


「あなた、またこれ飲んでないでしょう」


「何を」


「これ」


「飲んでる」


「減ってないじゃない」


「増えたんじゃないか」


「増えるわけないでしょ」


莉莉は昴を見る。

昴もことみちゃんを見ていた。


「いつもこんな感じ?」


小さな声で訊かれた。


「だいたい」


「ふうん」


「大じじい、面倒くさいから」


「聞こえてるぞ」


「聞こえるように言った」


昴がまた笑った。


~~~


昼が近くなった。

雨は少し強くなっていた。

窓に当たる音が、さっきより大きい。

昴は途中から昔の写真を見るのをやめて、ゲームをしていた。

何かを横に動かしている。


莉莉が少し覗く。


「それ何?」


「ゲーム」


「それは分かる」


「魚捕るやつ」


「魚?」


「うん」


画面の中で、小さな船が動いていた。


「雨降ってないじゃん」


莉莉が言う。


「ゲームだから」


「海なのに?」


「海でも雨降らない日あるでしょ」


「ゲームの中はね」


「そういう意味」


大じじいが横から言った。


「お前ら、どうでもいいことでよく話せるな」


莉莉と昴が大じじいを見る。


「暇だから」


昴が言った。


「俺も暇だぞ」


「知ってる」


莉莉が言った。

大じじいが少し嫌そうな顔をした。

昴のスマートフォンが震えた。

画面を見る。


「ばあちゃん、もうすぐ終わるって」


昴が立ち上がった。


「じゃあ行く」


「飯は」


大じじいが訊いた。


「まだ」


「食って帰れ」


「ばあちゃんと食べる」


「そうか」


「うん」


昴はゲームを閉じた。

タブレットを大じじいの机に置く。


「これ、ここでいい?」


「棚」


「どこ」


「そこ」


「そこってどこ」


莉莉が大じじいを見る。

大じじいも莉莉を見る。


「その棚」


莉莉が言った。

昴が棚にタブレットを戻す。


「最初からそう言えばいいのに」


「俺もいつも言ってる」


ことみちゃんが言った。


「言われてるの間違いでしょ」


莉莉が言う。

大じじいは何も言わなかった。


昴がバッグを背負う。


「じゃあ」


「忘れ物ないか」


大じじいが言った。


昴は周りを見る。


「ない」


「スマホ」


「ある」


「傘」


「ある」


「ばあちゃん」


昴が大じじいを見る。


「人は忘れない」


「そうか」


「たぶん」


莉莉が少し笑った。

大じじいが言った。


「着いたら連絡しろ」


「うん」


昴は普通に答えた。

莉莉は大じじいを見る。

それから昴を見る。


「連絡?」


昴が振り返る。


「うん」


「大じじいと連絡してるの?」


「してるよ」


莉莉は少し黙った。


「大じじいからも?」


「来るよ」


また大じじいを見る。

大じじいはテレビを見ていた。


「私にはしないじゃん」


「何が」


「連絡」


「用がないからな」


前にも聞いた気がする。


「昴にはあるの?」


大じじいは少しだけ黙った。

ほんの少しだった。


「あるときはある」


「何それ」


「そういうこともある」


莉莉は納得していない顔をした。

たぶん。

自分では見えないけれど。

昴が二人を見る。


「じゃあ帰る」


「うん」


莉莉が答えた。

昴は部屋を出ていった。

廊下を歩く足音が遠ざかる。

少しして、聞こえなくなった。


~~~


部屋が静かになった。

テレビでは、午後の天気をやっていた。


黄色


夕方から少し強くなるらしい。

ことみちゃんは、


「飲み物買ってくる」


と言って部屋を出ていった。


莉莉と大じじいだけになる。

前にも、こうして二人でいたことがある。

莉莉は昴が座っていた椅子を見る。


「大じじい」


「なんだ」


「あの子、よく来るの?」


「たまに」


「いつから?」


「少し前から」


「ふうん」


それだけ。

大じじいはテレビを見ている。

莉莉もテレビを見る。


少しして、


「大じじい」


「なんだ」


「昴のこと、好きなの?」


大じじいが莉莉を見た。


「嫌いじゃない」


「私たちと同じ?」


「何が」


「好きなの」


大じじいは少し考えた。


「比べることじゃないだろ」


「そうなの?」


「そうだろ」


莉莉にはよく分からなかった。

でも、大じじいにもよく分かっていないような気がした。


たぶん。


莉莉は窓の外を見る。

冷たい雨が降っている。

昴は今頃、ばあちゃんのところへ着いただろうか。

大じじいは、家族にはほとんど連絡してこない。

莉莉の誕生日にも、お金だけ送ってくる。


呼べば来る。

必要なら来る。

でも、普段は来ない。

そういう人だった。


昴には、帰ったら連絡しろ、と言った。

少し変だった。


でも


それだけだった。


「大じじい」


「今度は何だ」


「友達いたんだね」


大じじいが眉をひそめた。


「いるぞ」


「意外」


「失礼だな」


莉莉は少し笑った。

スマートフォンが震えた。

画面を見る。

あやかだった。


『帰りプリン買ってきて』


莉莉は画面を見た。


『自分で買えば』


すぐに返事が来る。


『大学』


『知らない』


『お願い』


その下に、泣いているカエルのスタンプ。

莉莉は少し考えた。


『何味』


送る。


すぐに、


『固いやつ』


と返ってきた。


味じゃない。


「大じじい」


「なんだ」


「プリン食べる?」


「食べる」


返事は早かった。

莉莉はあやかとの画面に戻る。


『2個買う』


送ってから、自分の分は?と考えて


「じゃあ三個じゃん」


独り言をつぶやいて、莉莉はため息をついた。


窓の外では、冷たい雨が降り続いていた。


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