第3章「雨の外側」 第14話 横須賀へ
『りーりー、来週の金曜って学校ある?』
夕食のあと。
莉莉は自分の部屋で、英語の問題集を開いていた。
開いてはいた。
まだ二問しか進んでいない。
机の上でスマートフォンが震えて、画面を見る。
あやとお兄ちゃん。
莉莉は問題集から手を離した。
『休み』
送る。
少し考えて、
『開校記念日』
と付け足した。
すぐに既読がついた。
『いいな』
『大学は?』
『ある』
『かわいそう』
『あやかちゃんみたいなこと言うな』
莉莉は少し笑った。
たぶん、お母さんも同じことを言われたら怒る。
次のメッセージが来た。
『横須賀で一般公開のイベントあるんだけど』
続けて、
『うちのゼミも出るよ』
そのあと、少し間があった。
『暇だったら遊びに来る?』
莉莉は画面を見た。
そして、
『行く』
と送った。
送ってから、もう一度見る。
少し早かった気がした。
『たぶん』
追加した。
今度は返事が来るまで少し時間があった。
『どっちだよ』
莉莉は笑った。
『行く』
『了解』
その下に、カエルが親指を立てているスタンプが届いた。
「何でカエル」
莉莉は小さく言った。
でも、画面は閉じなかった。
あやとお兄ちゃん。
この前東京へ行ったときは、会えなかった。
フィールドワークだった。
今度会えばいい。
あのときは、そう思った。
本当に今度になった。
莉莉はスマートフォンを伏せた。
英語の問題集を見る。
三問目。
分からない。
もう一度スマートフォンを手に取った。
メッセージは増えていなかった。
「……別に」
誰もいないのに言ってから、
莉莉は三問目に戻った。
~~~
「ママ、来週東京行く?」
次の日の夕食。
莉莉が訊くと、りりかが顔を上げた。
「金曜?」
「うん」
「行くよ」
「私も行く」
りりかが少しだけ眉を上げる。
「いいけど。珍しいね」
「何が?」
「自分から東京行くって言うの」
「そう?」
「この前行ったばっかりじゃない」
向かいに座っていたあやかが、莉莉を見る。
「横須賀?」
莉莉も見る。
「何で?」
「あやとくん?」
「まだ何も言ってないけど」
「当たった?」
莉莉は味噌汁を飲んだ。
「横須賀でイベントあるって」
「あやとくんの?」
「ゼミ」
「ああ」
あやかの顔が、すぐに面白そうになる。
「誘われたんだ」
「うん」
「誰に?」
莉莉は黙った。
「誰に?」
「……あやとお兄ちゃん」
「へえ」
「何」
「別に」
「絶対何かある」
「ないよ」
りりかが普通に食事を続けながら言った。
「あやとの大学、海の方だもんね」
「うん」
「一般公開なら、私も見たいな」
あやかが言った。
莉莉は見る。
「来れば?」
「大学あるの」
「じゃあ無理じゃん」
「開校記念日ずるい」
「知らないし」
「私の大学も開校記念日つくってほしい」
「あるでしょ」
「授業ない日にある」
「意味ないね」
「そうなの」
りりかが笑った。
あやかは少し考えてから、莉莉を見る。
「何着てくの?」
「普通」
「髪は?」
「普通」
「ふうん」
「何」
「別に」
莉莉は箸を止めた。
「何」
「何でもない」
「絶対何かある」
「ないって」
りりかが莉莉を見る。
それから、あやかを見る。
「親子だね」
「違う」
二人の声が重なった。
~~~
金曜日。
朝。
莉莉は鏡を見た。
もう一度見た。
髪を触った。
少しだけ直した。
そしてまた見た。
昨日決めた服でいい。
別に変ではない。
かえでお姉ちゃんに会うなら、もう少し違う服でもよかった気がする。
でも、これでもいい。
たぶん。
「りーりー、まだ?」
部屋の外からあやかの声がした。
「今行く」
「飛行機遅れるよ」
「分かってる」
バッグを持って部屋を出る。
あやかが廊下にいた。
大学へ行く格好だった。
莉莉を見る。
少し黙る。
「何」
「かわいいじゃん」
「普通」
「髪もいいね」
「いつもと同じ」
「そう?」
「そう」
あやかが笑う。
「何」
「別に」
「それやめて」
玄関では、りりかが待っていた。
「遅い」
「まだ間に合うでしょ」
「間に合うけど」
りりかが莉莉を見る。
「今日かわいいね」
莉莉は黙った。
「……何で二人とも同じこと言うの」
「二人とも?」
「お母さんも言った」
「あやかと一緒にしないで」
「何で!」
後ろからあやかが言った。
莉莉は靴を履いた。
「じゃ、行ってくる」
「はい。楽しんできて」
「うん」
「かえでちゃんによろしく」
「うん」
少し間があった。
「あやとくんにも」
莉莉は振り返った。
あやかが笑っている。
「……うるさい」
「まだ何も言ってないじゃん」
「顔がうるさい」
りりかが玄関を開けた。
外では、今日も雨が降っていた。
~~~
東京へ着いてから、りりかとは途中で別れた。
「私、用事済ませてくるから」
「うん」
「夕方には横須賀行く」
「分かった」
「何かあったら連絡して」
「十三だよ」
「十三だから言ってるの」
またそれだ。
莉莉は少しだけ口を尖らせた。
「かいとおじさんのところなんだから大丈夫でしょ」
「それとこれとは別」
「分かった」
「ほんとに?」
「分かったって」
りりかは莉莉を見る。
「じゃ、楽しんでおいで」
「うん」
今度は普通に答えた。
横須賀へ向かう電車に乗る。
窓の外を雨が流れていた。
東京から離れるにつれて、景色が少しずつ変わる。
建物の間から、水が見えることが増えた。
海なのか。
昔は陸だったところなのか。
莉莉には分からない場所もある。
横須賀に着いて、駅を出た。
最初に思ったのは、
海が近い。
東京にも海はある。
札幌にも水際区画がある。
でも、少し違う。
横須賀は、街と海が最初から隣同士にいるように見えた。
高く造り直された岸壁。
雨の中を伸びる屋根付きの歩道。
水面に浮かぶ設備。
古そうな建物の向こうに、新しい構造物が重なっている。
遠くには大きな船も見えた。
何の船なのかは分からない。
「りーりー!」
声がした。
莉莉が振り返る。
「かえでお姉ちゃん」
かえでが手を振っていた。
前に会ったときより、少しだけ軽い服装だった。
髪もまとめている。
耳元には、小さな飾り。
今日も、なんとなく全部きれいだった。
「久しぶり」
「この前会ったじゃん」
「でも久しぶり」
「そう?」
「そうだよ」
かえでが莉莉を見る。
「今日の服かわいい」
莉莉は一瞬黙った。
「……ありがと」
「髪も」
「普通だよ」
「そういうところ、あやかちゃんに似てる」
「似てない」
かえでが笑った。
莉莉は、かえでの耳元を見る。
「それ」
「ん?」
「ピアス?」
「イヤリング。実習あるから、普段はあんまりつけないけど」
「かわいい」
「ほんと?」
「うん」
「りーりーもつける?」
「学校だめ」
「そっか」
「でも」
莉莉はもう一度見る。
「どこで買ったの?」
かえでが少し嬉しそうな顔をした。
「あとで教える」
「うん」
「お兄ちゃん、まだゼミのところにいるよ」
「ふうん」
莉莉は答えた。
かえでが見る。
「何」
「何でもない」
「何」
「行こっか」
「うん」
~~~
会場は、海の近くだった。
大きな施設の中と、その周囲にいくつもの展示が並んでいる。
大学
研究機関
港湾関係
海洋環境
防災
昔の横須賀と今の横須賀を比べた地図もあった。
雨に濡れないよう、屋外の展示にも大きな屋根がついている。
家族連れが多い。
子どももいる。
外国人も多い。
莉莉は歩きながら、いくつかの展示を見る。
海水の流れ。
魚
水没した沿岸部
港の模型
知らない言葉が多い。
でも、学校で美羽と紬と見たMIAの研究ページよりは、少し分かりやすかった。
「あそこ」
かえでが言った。
莉莉が見る。
人が何人か集まっていた。
その真ん中に、あやとがいた。
莉莉は足を止めた。
白いパネルの前。
大学の名前が入った服を着ている。
小学生くらいの男の子に、何かを説明していた。
「ここが昔の海岸線。今はこっち」
パネルを指す。
男の子が質問する。
あやとが答える。
その横で、別の学生が笑う。
また別の人が質問する。
あやとがそちらを見る。
莉莉は黙って見ていた。
知っている人だった。
でも、少し知らない人みたいだった。
「お兄ちゃん」
かえでが呼んだ。
あやとが顔を上げる。
莉莉を見る。
一瞬だけ目が大きくなった。
それから笑った。
「りーりー」
その声は、知っている声だった。
莉莉は少しだけ安心した。
「久しぶり」
「この前東京いたんだけど」
「聞いた。ごめん、いなかった」
「別に」
「フィールドワークだったんだよ」
「知ってる」
「かえでから?」
「うん」
あやとが少し笑った。
「だから呼んだ」
莉莉はあやとを見る。
「……ふうん」
「何、その反応」
「普通」
「わざわざ札幌から来たのに?」
「ママも東京に用事あったから」
「そういうことにしとく」
「何」
「何でもない」
莉莉は少しだけあやとを睨んだ。
でも、
たぶん、少し笑っていた。
~~~
「これ、何?」
莉莉がパネルを指した。
少しして人が途切れ、あやとが展示を見せてくれた。
「海水の流れ」
「線いっぱいあるけど」
「流れ方が違うから」
「何で?」
「地形とか、水温とか、風とか。雨も関係する」
莉莉は見る。
昔の海岸線。
今の海岸線。
その間に、水になった場所がある。
「海って、まだ増えてるの?」
「増えたり、ほとんど変わらなかったり。場所でも違う」
「雨のせい?」
「雨だけじゃないよ」
「じゃあ何?」
あやとは少し考えた。
「それを調べてる」
莉莉は顔を上げた。
「分かんないの?」
「分からないこといっぱいあるよ」
「大学なのに?」
「大学だから調べるんだよ」
その言葉を、最近どこかで聞いた気がした。
大じじいも似たようなことを言っていた。
研究は、分からないことを調べること。
お母さんも大学で、分からないことを勉強している。
この前見たMIAのページにも、分からないことがたくさん書いてあった。
莉莉はパネルを見る。
「みんな、分かんないこと調べてるんだね」
「みんな?」
「別に」
「誰の話?」
「いろいろ」
あやとは少し不思議そうだった。
「りーりーも調べれば?」
「何を?」
「分かんないこと」
「それが分かんない」
「じゃあ、そこからだな」
「面倒」
「向いてないかも」
莉莉は少し笑った。
そのとき、
「あやとくん」
後ろから声がした。
同じ服を着た女の人だった。
大学生だと思う。
髪を後ろでまとめている。
「こっち、ちょっとお願いしていい?」
「あ、うん」
あやとが莉莉を見る。
「ごめん。ちょっと待ってて」
「うん」
あやとは女の人と一緒に隣の展示へ行った。
何か話している。
女の人が笑う。
あやとも笑った。
莉莉は見る。
「りーりー」
かえでが呼んだ。
「何?」
「ジュース飲む?」
「飲む」
「何にする?」
「リンゴ」
「分かった」
かえでが歩き出す。
莉莉もついていく。
途中でもう一度だけ振り返った。
あやとはまだ、その人と話していた。
何が気になったのか、
よく分からなかった。
~~~
午後
催しが少し落ち着いてから、三人で遅めの昼を食べた。
会場近くの店。
窓から海が見える。
雨も見える。
「何食べたい?」
あやとが訊いた。
莉莉はメニューを見る。
「プリンある」
「飯だよ」
「分かってる」
「最初に見るところそこ?」
「大事じゃん」
かえでが笑った。
「この前もプリン食べてたよね」
「うん」
「好きなんだ」
「普通に」
「普通に、って何」
結局、莉莉はオムライスを頼んだ。
デザートにプリンもつけた。
「食べすぎじゃない?」
あやとが言う。
「育つから」
「便利な言葉だな」
「十三だし」
「十三かあ」
「何」
「いや。大きくなったなと思って」
莉莉は少し嫌そうな顔をした。
「親戚のおじさんみたい」
「九歳しか違わないんだけど」
「二十二でしょ」
「そう」
「おじさんではないけど」
「よかった」
「お兄ちゃん」
「それは知ってる」
かえでが笑った。
料理が来る。
莉莉は食べながら訊いた。
「あやとお兄ちゃん、卒業したら何するの?」
「急だな」
「さっき大学の話してたから」
「ああ」
あやとは少し考えた。
「まだ決めてない」
莉莉は顔を上げた。
「四年なのに?」
「四年だから悩んでるんだよ」
「間に合う?」
「りーりー、意外と厳しいね」
「だって、もう卒業するじゃん」
「候補はいくつかあるよ」
「何?」
「海とか港に関わる仕事。行政も考えてる」
「ふうん」
「でもまだ迷ってる」
莉莉は少し考えた。
かえでを見る。
「かえでお姉ちゃんは?」
「私?」
「看護師になるの?」
「んーどうかな?」
「大学院に進学して保健師を考えている。まだ分かんないけど、保健行政とか興味あるかな」
「そうなの?」
「今のところね」
莉莉は二人を見る。
二十歳と二十二歳
自分よりずっと大人だと思っていた。
実際、大人だった。
でも、全部決まっているわけではないらしい。
「大人でも分かんないんだ」
莉莉が言った。
あやとが笑う。
「十三歳から見たら二十二は大人か」
「大人でしょ」
「まあ、大人だけど」
かえでが言った。
「三十二歳でも『分かんない』って言ってる人いるじゃん」
三人とも少し黙った。
「……お母さん」
莉莉が言った。
かえでが笑った。
「あやかちゃん」
あやとも笑った。
「確かに」
莉莉も笑った。
「じゃあ、普通なのかも」
「何が?」
「分かんないの」
「たぶんね」
大人でも、分からないことはあるらしい。
莉莉はオムライスを一口食べた。
それなら、十三歳の自分が分からなくても、まあ、普通なのかもしれない。
~~~
夕方
りりかが合流した。
少し遅れて、かいとおじさんたちもやってきた。
「父さんたちも来るって言ってたんだけど、遅かったね」
かえでが言うと、かいとは苦笑した。
「仕事が終わらなかった」
催しが終わり、帰る話になったとき、かえでが言った。
「りーりー、今日うち泊まれば?」
莉莉は顔を上げた。
「いいの?」
言ってから、少し早かったと思った。
今日は、そういうのが多い。
かえでが笑う。
「いいよ。明日土曜日でしょ」
莉莉はりりかを見る。
「ママ」
「いいんじゃない?」
返事はあっさりしていた。
「明日迎えに来る」
「ほんとにいい?」
「何が?」
「泊まって」
「かいとの家でしょ」
「うん」
「別にいいよ」
かいとも笑った。
「うちは大歓迎」
「じゃあ泊まる」
莉莉は言った。
りりかが少しだけ笑う。
「即決だね」
「何」
「何でもない」
あやかに連絡する。
『今日かいとおじさんの家泊まる』
すぐ既読になった。
『え』
続けて、
『ずるい』
『何が』
『私も行きたい』
『大学行けば』
『行ってきたよ!』
そのあと、
『楽しんでおいで』
と届いた。
少しして、
『夜更かししすぎないように』
さらに、
『歯磨いて』
さらに、
『かえでちゃんに迷惑かけない』
莉莉は画面を見た。
『うるさい』
送る。
あやかからハートが飛んできた。
莉莉はスマートフォンを閉じた。
~~~
夜
かいとの家。
風呂を終えて、莉莉はかえでの部屋にいた。
昼間見たイヤリングを、かえでが小さな箱から出している。
「これ」
「かわいい」
「色違いもあるよ」
「ほんとだ」
「りーりーなら、こっちも似合いそう」
「学校つけられないし」
「休みの日」
「買おうかな」
「今度一緒に見に行く?」
莉莉はかえでを見る。
「行く」
また、少し早かった。
かえでが笑う。
「今日、返事早いね」
「普通」
「そう?」
「そう」
「じゃあ普通ってことにしとく」
莉莉はベッドの端に座る。
壁には大学の予定表。
本
看護の教科書
化粧品
小さなアクセサリー
莉莉の部屋とは違う。
あやかの部屋とも違う。
「かえでお姉ちゃん」
「ん?」
「大学、楽しい?」
「楽しいよ」
「大変?」
「大変」
「お母さんと同じ」
「たぶん大学生みんなそんな感じじゃない?」
「そうなんだ」
かえでが莉莉を見る。
「りーりーは?」
「何?」
「中学校」
莉莉は少し考えた。
「普通」
「出た」
「でも」
かえでが待つ。
「楽しいよ」
「そっか」
それだけだった。
聞き返さない。
やっぱり、かえでお姉ちゃんは、お母さんとは少し違う。
莉莉はその方が話しやすいこともある。
部屋の外から声がした。
「かえでー」
あやとだった。
「何?」
「充電器知らない?」
「自分の部屋」
「ない」
「知らない」
「りーりー、知らない?」
「何で私が知ってるの」
「今日来たばっかりの子に聞かないでよ」
かえでが言う。
「だよな」
足音が遠ざかる。
莉莉は少し笑った。
昼間、知らない人みたいに見えたあやとお兄ちゃんは、家に帰ると、充電器をなくしていた。
「どうしたの?」
かえでが訊いた。
「別に」
「笑ってたじゃん」
「充電器」
「ああ。お兄ちゃん、よく物なくすよ」
「大学ではちゃんとしてた」
「外ではね」
「ふうん」
莉莉は少しだけ安心した。
何に安心したのかは、
よく分からなかった。
~~~
寝る前。
布団の中で、莉莉はスマートフォンを見た。
今日撮った写真がある。
海
展示
大きな船
かえでお姉ちゃん
あやとお兄ちゃん
三人で撮った写真もあった。
かえではきれいに笑っている。
あやとも笑っている。
真ん中にいる莉莉も、笑っていた。
思っていたより、ずっと楽しそうだった。
莉莉は写真を少し拡大した。
自分の顔を見る。
「……変なの」
でも消さなかった。
あやとからメッセージが来た。
同じ家にいるのに。
『今日は来てくれてありがと』
莉莉は天井を見る。
壁の向こうか、その向こうか。
たぶん、そんなに遠くないところに本人がいる。
『いるじゃん』
送る。
『何が』
『家に』
『メッセージの方が楽だから』
『意味分かんない』
少しして、
『また来れば?』
と来た。
莉莉は画面を見る。
今度は、すぐには返さなかった。
今日見た海を思い出す。
知らない横須賀。
知らない大学。
知らない研究。
知らない人たちと話していた、自分の知らないあやとお兄ちゃん。
かえでお姉ちゃんにも、自分の知らない毎日がある。
お母さんにも。
ママにも。
こうたにも。
たぶん、みんなに。
知っている人なのに、知らないことがたくさんある。
それは少し変だった。
でも、嫌ではなかった。
莉莉は文字を打った。
『うん』
送る。
少し考える。
『暇だったら』
すぐに返事が来た。
『はいはい』
莉莉は笑った。
スマートフォンを置く。
窓の向こうから、雨の音が聞こえていた。
札幌とは少し違う、海の近くの雨の音。
今日一日で、何かが大きく変わったわけではない。
莉莉は十三歳のままだった。
分からないことも、
昨日と同じくらいたくさんある。
たぶん、少し増えた。
莉莉は目を閉じた。
明日は、かえでお姉ちゃんと店を見に行く。
今は、そっちの方が楽しみだった。
りりか、こうた、かいとは姉弟なので、「あやと」と「かえで」は「あやか」の従妹にあたります。
莉莉にとっては、従叔父、従叔母(いとこおじ、いとこおば)です。




