第2章「雨の世界の人々」 第11話 能力者
土曜日。
朝から雨だった。
莉莉は電車の窓に額をつけた。
「眠い」
「寝れば?」
隣であやかが言った。
「もう着くでしょ」
「あと三駅」
「じゃあ寝ない」
「どっちでもいいけど」
莉莉は窓の外を見る。
ビル。
高架。
雨。
川みたいになった道路脇の排水路。
いつもの札幌だった。
「採血ある?」
「あるんじゃない?」
「やだ」
「昨日、英語の方が嫌って言ってなかった?」
莉莉があやかを見る。
「なんで知ってるの」
「美羽ちゃんから聞いた」
「なんで連絡取ってるの」
「たまに来るよ」
「何が」
「りーりー情報」
「やめさせて」
あやかが笑った。
「嫌」
「親が友達とつながるの禁止」
「そんな法律ない」
「作って」
「国会に言って」
莉莉はまた窓を見た。
今日は定期検査の日だった。
年に何回かある。
小さい頃から受けているので、特別な感じはない。
身長を測って。
血を取られて。
変な機械をつけられて。
雨を動かす。
だいたいそれだけだった。
~~~
施設は病院にも研究所にも見えた。
白い壁。
大きな窓。
入口には緑色のカエルのマーク。
莉莉はそれを見るたびに思う。
少しかわいすぎる。
受付でカードを出す。
「美濃莉莉さんですね」
「はい」
「今日はお母さまもご一緒で」
「はい」
あやかが答える。
受付の人が画面を見る。
「研究利用について、前回と同じ条件でよろしいですか?」
あやかが莉莉を見る。
「どうする?」
「何が?」
「検査データ」
「ああ」
莉莉は受付の人を見る。
「名前出ないやつ?」
「はい。個人が分からない形にして、能力の発達や健康状態の研究に使います。嫌なら断って大丈夫ですよ」
「いいです」
「分かりました」
受付の人が確認ボタンを押す。
「途中で気が変わったら言ってくださいね」
「はい」
莉莉は番号札を受け取った。
あやかが小さな声で言う。
「ちゃんとしてるね」
「毎回言ってるよ」
「そうだっけ」
「お母さん、聞いてないでしょ」
「聞いてるよ」
「絶対聞いてない」
「半分くらいは」
「聞いてないじゃん」
待合室には何人かいた。
小学生くらいの男の子。
高校生くらいの女の子。
大人も一人いる。
誰が能力者で、誰が付き添いなのかは分からない。
莉莉はスマホを出した。
美羽からメッセージが来ている。
――採血がんばれ。
その下に、血を抜かれて干からびたカエルのスタンプ。
莉莉は無言で画面を閉じた。
「何?」
あやかが聞く。
「美羽嫌い」
「仲いいね」
「今は嫌い」
~~~
採血はやっぱり痛かった。
「終わりましたよ」
「ほんと?」
「ほんと」
莉莉は針の跡に貼られた小さなテープを見る。
「三本も取った」
「前も三本です」
検査技師が笑う。
「減ってない」
「必要だからね」
「あやかは刺されないからいいよね」
「私は動物から採る練習する方だからね」
「そっちの方が難しそう」
「難しいよ。動いてくれるし」
「じゃあ私の方が偉い」
「なんでそうなるの」
次は身長と体重。
視力。
血圧。
心電図。
簡単な問診。
いつもの順番。
最後に能力測定室へ移動した。
そこだけ少し広い。
床には排水溝。
壁と天井の一部が透明になっている。
人工的に雨を降らせられる設備がついていた。
担当は前にも会ったことのある女性だった。
四十代くらい。
白衣ではなく、濃い色のシャツに名札をつけている。
「莉莉ちゃん、久しぶり」
「こんにちは」
「元気だった?」
「普通」
「学校は?」
「普通」
「何か困ったことある?」
「英語」
担当者が笑った。
「能力の方で」
「あ」
莉莉は考えた。
「ないです」
「使ったあと、頭痛とか吐き気とか」
「ない」
「手が震えるとか」
「ない」
「強く使ったあと、しばらく使いたくなくなる感じは?」
「それはある」
「どのくらい?」
「強くやった時だけ」
「前と同じくらい?」
「たぶん」
担当者は画面に入力した。
「じゃあ、いつものやろうか」
「はい」
あやかは見学用の椅子に座る。
莉莉は決められた位置に立った。
最初は簡単なものだった。
一定量の雨を降らせる。
莉莉は右手を出す。
「まず偏向から。いつもくらいでいいよ」
雨が落ちる。
莉莉は意識を向けた。
つまむ。
引く。
雨が横へ曲がる。
計測用の線を越えて、別の排水溝へ落ちた。
担当者が数字を見る。
「はい、そのまま」
莉莉は少し範囲を広げる。
雨の流れが左右へ分かれた。
「もういいよ」
手を下ろす。
雨が元に戻った。
担当者が画面を見る。
「偏向は前回とほぼ同じかな。操作精度は少し上がってる」
「ふうん」
「最近、何か細かいことやった?」
「細かいこと?」
「雨粒を狭い範囲で動かすとか」
莉莉は小野寺のことを思い出した。
「渦作った」
担当者が顔を上げる。
「渦?」
「手の上で」
「どのくらい?」
莉莉が手で小さな円を作る。
「これくらい」
「何秒くらい?」
「知らない」
「今できる?」
「できると思う」
人工雨がもう一度降る。
莉莉は手のひらを上に向けた。
つまむ。
引く。
回す。
雨粒が集まる。
掌の上で、小さな輪になって回り始める。
担当者が黙って計測画面を見る。
あやかが遠くから、
「かわいい」
と言った。
「何が」
「ちっちゃい台風みたい」
「台風じゃないし」
担当者が笑う。
「はい、十分。ありがとう」
莉莉が手を下ろす。
水がぱらぱらと床へ落ちた。
「こういう操作、前からできた?」
「たぶん」
「たぶん?」
「やろうと思わなかったから」
「なるほど」
また入力する。
次は降水の強さを弱める検査だった。
一定範囲の雨。
莉莉は意識を向ける。
今度は曲げない。
落ちてくる勢いを弱くする。
雨音が少し小さくなった。
「そのまま」
担当者が数字を見る。
「前より少し上がってるね」
「何が?」
「減衰」
「へえ」
「十三歳だから、まだ伸びる可能性あるよ」
「いつまで?」
「個人差あるけど、二十歳前後までは伸びる人が多いかな。二十二くらいまで変化する人もいる」
「長い」
「成長期だからね」
最後は少し設備が変わった。
人工雨だけではない。
天井の装置から、湿気を含んだ空気が流れる。
外の気象条件に近づけるための装置だと、前に説明されたことがある。
莉莉には、詳しいことはよく分からない。
この検査はあまり好きではなかった。
空気が重くなるから。
担当者が言う。
「無理しなくていいからね。いつもと同じところまで」
「はい」
莉莉は上を見る。
意識を向ける。
雨。
湿った空気。
その向こう。
少しだけ押す。
変化は小さい。
でも、測定器の数字が動く。
担当者が確認する。
「はい、終了」
装置が止まった。
莉莉は息を吐いた。
「疲れた?」
「ちょっと」
「今日はここまで」
莉莉は椅子に座った。
あやかが水を渡す。
「ありがと」
「珍しく素直」
「返すよ」
「ごめんなさい」
莉莉は水を飲んだ。
~~~
結果説明は短かった。
担当者が画面をこちらへ向ける。
いくつかのグラフ。
数字。
莉莉にはよく分からない。
「今回も分類は変わりません」
あやかが頷く。
担当者が続ける。
「偏向、減衰、それから気象干渉。三つとも確認されています」
画面に文字が並んでいる。
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
莉莉はそれを見る。
「前と同じ?」
「同じ」
「じゃあいい」
「そこ大事なんだけどな」
担当者が笑った。
「評価もカテゴリーAのままです」
あやかが聞く。
「上がったり下がったりするんですか?」
「成長期はあります。ただ、カテゴリーだけで全部決まるわけではないです。能力タイプとか範囲とか精度とか持続時間とか、疲労の出方も見ます」
「莉莉は?」
「同年代としてはかなり高い方です。でも、最大出力だけで見る能力ではないですね」
担当者が莉莉を見る。
「細かく動かすの、得意だね」
「そうなんですか?」
「今日の渦を見るとね」
「遊んでただけだけど」
「遊びでもできるなら、それも能力だから」
莉莉は少し考えた。
小野寺ができないと言っていた。
やっぱり、少し違うらしい。
「ただ」
担当者が画面を閉じる。
「前と同じで、最大まで使うのは必要な時だけね」
「はい」
「できるからって、試しに限界までやるのはなし」
「しないよ」
「そう言ってくれる子で助かります」
「面倒だし」
「理由は何でもいいです」
あやかが笑った。
「この子、面倒が一番効くんで」
「お母さん」
「はい」
担当者が資料を一枚出した。
「それと、海外に行く予定ってあります?」
莉莉とあやかが顔を見合わせる。
「今のところないです」
あやかが答える。
「旅行も?」
「まだ何も」
「決まったら、一度ここか窓口に確認してください」
莉莉が聞く。
「なんで?」
「国によって、能力者の登録とか、能力を使っていい場所とかが違うの」
「旅行でも?」
「旅行でも」
「面倒」
「でしょ」
担当者が少し笑った。
「日本と同じように考えない方がいい国もあるから」
莉莉は資料を見る。
小さな字がたくさん並んでいる。
読まなかった。
たぶん、あやかが読む。
~~~
「他に何か、最近気になったことある?」
説明が終わりかけたところで、担当者が聞いた。
莉莉は首を振りかけた。
「ない」
そこで少し止まる。
雨。
学校の帰り道。
透明な壁。
指先。
「……あ」
「何?」
「この前」
「うん」
「雨がちょっと変だった」
担当者の手が止まった。
でも、驚いた顔はしなかった。
「どう変だった?」
「分かんない」
「重かった?」
莉莉は少し考えた。
前にも、雨を重いと感じたことはあった。
でも、あの時とは違う。
「重いのとは違う」
「前に感じた重さとは?」
「うん」
担当者が画面を確認する。
「それは記録にあるね。今回は?」
「重くない」
「動かしにくかった?」
「違う」
「力が入りにくいとか?」
「それも違う」
「じゃあ、どんな感じ?」
莉莉は指先を見る。
どう説明すればいいのか分からない。
「……いつもの雨と、ちょっと違った」
「違った」
「うん」
「触った感じ?」
「たぶん」
担当者はしばらく黙ってから、画面へ何か入力した。
「その時、頭痛とか耳鳴りは?」
「ない」
「雨の強さは?」
「黄色」
「能力使ったあと?」
「その前も使ってたけど、違うって思ったのはあと」
「どのくらい続いた?」
「分かんない。すぐ帰ったから」
「その後は?」
「普通」
「分かった」
それだけだった。
莉莉は少し気になった。
「何かあるの?」
「今のところは分からない」
「そうなんだ」
「能力が強い人の中には、似たようなことを言う人もいるよ」
「いるんだ」
「うん。でも全員じゃないし、感じ方も人それぞれ。雨そのものが違うのか、能力を使う側の感覚なのかも、まだ分かってない」
莉莉は少し安心した。
自分だけではないらしい。
「じゃあ普通?」
担当者が少し笑う。
「普通かどうかは、まだ分からないかな」
「どっち」
「研究ってそういうものです」
あやかが横から言う。
「大じじいも言いそう」
莉莉が見る。
「言いそう」
少しだけ、笑った。
担当者は続けた。
「また同じ感じがあったら、覚えてたら教えて」
「覚えてたら」
「そこ大事」
「努力します」
「その言い方、覚えない人の言い方だね」
~~~
帰り。
施設を出ると、やっぱり雨だった。
あやかが傘を開く。
莉莉も自分の傘を広げた。
「カテゴリーAだって」
あやかが言う。
「前からじゃん」
「三つ使えるって、やっぱりすごいね」
「前からじゃん」
「親としては毎回思うの」
「そう」
「もう少し喜んで」
「なんであやかが」
「私が産んだから」
「関係ある?」
「ある」
「能力はあやかのじゃないよ」
「それはそう」
二人で駅へ向かう。
雨が傘を叩く。
莉莉は手を少しだけ外へ出した。
雨粒が指に当たる。
冷たい。
いつもの感じだった。
つまめる。
引ける。
曲げられる。
普通の雨。
「使わないの?」
あやかが聞いた。
「何を?」
「カエル術。濡れないようにできるんでしょ」
「傘あるし」
「せっかくAなのに」
莉莉はあやかを見る。
「それ、小野寺くんにも言われた」
「誰?」
「学校の能力者」
「男の子?」
「そこ?」
「大事」
「全然大事じゃない」
「どんな子?」
「普通」
「かっこいい?」
「知らない」
「仲いいの?」
「昨日初めてちゃんと話した」
「ふうん」
「その顔やめて」
「何も言ってないよ」
莉莉は歩く速度を少し上げた。
あやかが後ろからついてくる。
「りーりー、待って」
「知らない」
能力のことより、
今はそっちの方が面倒だった。
カエル術のタイプは、Ⅰ型偏向・Ⅱ型減衰・Ⅲ型気象干渉になり、莉莉はⅠ・Ⅱ・Ⅲの混合タイプです。
Ⅰ型 偏向:降下する雨滴等の軌道を変化させる。
Ⅱ型 減衰:降水強度そのものを低下させ、単なる方向変更とは異なる。
Ⅲ型 気象干渉:雷・降水形成に関連する気象状態への直接干渉。
カテゴリー分類はA~D、正式カテゴリーには存在しませんが、カテゴリーAの測定上限を明確に超える能力者は「S」と呼ばれたりしています。




