第2章「雨の世界の人々」 第9話 カエル術
札幌に戻った次の日。
雨だった。
当然だった。
「東京どうだった?」
教室に入るなり、美羽が言った。
「普通」
「東京行って感想それ?」
「東京だし」
「一年半ぶりだったんでしょ?」
「うん」
莉莉は鞄を机に置いた。
窓の外では雨が降っている。
東京でも雨。
札幌でも雨。
違うと言えば、東京の方が街が高かった。
あと。
「じいじに会った」
「おじいちゃん?」
「うん」
「お金持ちのクーパーさん?」
「何その覚え方」
美羽が笑った。
「だって莉莉のおじいちゃん、すごい会社の人なんでしょ?」
「知らない」
「自分のおじいちゃんでしょ」
「会社のことは知らない」
「もったいない。将来入ればいいじゃん」
「やだ」
「即答」
莉莉は椅子に座った。
「私は別の仕事する」
「何するの?」
「知らない」
「決めてないじゃん」
「決めてないけど、じいじの会社じゃない」
「そのうち莉莉の会社になるかもしれないじゃん」
「ならないよ」
「なんで?」
「私の会社じゃないもん」
隣から紬が口を挟んだ。
「美羽、朝から人の会社継がせないの」
「だってもったいなくない?」
「知らない」
莉莉が言った。
紬が笑った。
「東京で他に何したの?」
莉莉は少し考えた。
家族でご飯を食べた。
こうたがりりかに何度も怒られていた。
じいじが、あやかに彼氏がいることを知らなかった。
かえでお姉ちゃんに髪を褒められた。
あやとお兄ちゃんは来なかった。
「……ご飯食べた」
「それだけ?」
「あと、家帰った」
「東京まで行って?」
「家あるし」
「ああ、莉莉、東京にも家あるんだっけ」
「私の部屋もあるよ」
「いいなあ」
「何が?」
「家二個」
「別に二個欲しかったわけじゃないし」
美羽はしばらく莉莉を見た。
「莉莉って、贅沢を贅沢だと思ってないところあるよね」
「そう?」
「そういうとこ」
「知ってる」
予鈴が鳴った。
紬が自分の席へ戻る。
美羽も、
「あとで東京の話聞かせて」
と言いながら離れていった。
「もう話した」
「全然話してない!」
莉莉は教科書を出した。
一時間目は英語だった。
東京より嫌だった。
~~~
昼を過ぎる頃から、雨が強くなった。
窓を叩く音が少し大きい。
莉莉は数学の問題を解きながら、ときどき外を見た。
黄色。
教室前方の表示には、黄色いカエルが出ている。
赤ではない。
先生も気にしていない。
だから莉莉も気にしなかった。
六時間目が終わる。
帰りのホームルームで担任が言った。
「第七側を通って帰る人、今日は水際通路使わないでください。上側から帰ってね」
何人かが返事をする。
「あと、雨、少し強くなってます。寄り道は――」
教室の何人かが笑った。
先生が止まる。
「何ですか」
「先生、毎回言ってる」
誰かが言った。
「毎回寄り道するから言ってるんです」
「今日はしません」
「その言葉、先週も聞きました」
また笑いが起きた。
莉莉は鞄を閉じる。
美羽が後ろから覗き込んだ。
「今日クレープ行かない?」
「今の話聞いてた?」
「中心側なら大丈夫じゃない?」
「先生に聞けば」
「莉莉が聞いて」
「なんで私」
「莉莉なら怒られなさそう」
「どういう意味」
紬が横から言った。
「やめときなよ。今日結構強いよ」
「紬まで」
「クレープ逃げないから」
「分かんないじゃん」
「逃げたら怖いよ」
莉莉が言った。
美羽が想像したらしい。
「ちょっと嫌だ」
「でしょ」
三人で教室を出た。
~~~
校舎の玄関を出る。
雨音が一気に近くなった。
「うわ」
美羽が言った。
「強」
紬も傘を開く。
莉莉も透明な傘を広げた。
「黄色の雨じゃなくない?」
美羽が空を見る。
「黄色でもこれくらい降るでしょ」
「莉莉、東京帰りだから感覚おかしくなってる」
「東京も降ってたよ」
「東京の雨って違う?」
「雨は雨」
「夢がない」
「雨に何求めてるの」
三人で歩き出す。
校門を出たところで、横風が吹いた。
美羽の傘が大きく揺れる。
「ちょっと!」
雨が横から入り、美羽のスカートに当たった。
「最悪」
「だから今日強いって言ったじゃん」
紬が言う。
「天気に怒っても仕方ないよ」
莉莉も言った。
「莉莉」
「何」
「ちょっとやって」
「何を」
美羽が傘の外を指差した。
「カエル術」
莉莉は足を止めた。
「傘あるじゃん」
「横から入ってくる」
「私のも入ってくるよ」
「莉莉なら曲げられるでしょ」
「曲げられるけど」
「ほら」
「面倒」
美羽が頬を膨らませる。
「せっかく能力者なのに」
「美羽のための能力じゃないし」
「友達でしょ」
「こういう時だけ」
紬が笑った。
「美羽、諦めなよ」
「紬も濡れてるじゃん」
「少しくらい平気」
「二人とも女子力ない」
「美羽に言われたくない」
莉莉は歩き出した。
数歩。
美羽もついてくる。
「莉莉」
「何」
「お願い」
「やだ」
「莉莉ちゃん」
「気持ち悪い」
「りーりー」
莉莉が止まった。
振り返る。
「それ家族しか言わない」
「じゃあやって」
「関係ないでしょ」
美羽が笑っている。
莉莉はため息をついた。
「ちょっとだけね」
「やった」
傘を肩で支える。
空いている右手を、傘の外へ出した。
雨粒が手の甲を打つ。
冷たい。
莉莉は雨を見る。
意識を向ける。
そこにある感覚を拾う。
昔から、それはそこにあった。
説明しろと言われても、たぶんうまく説明できない。
指先を少し動かす。
つまむ。
そんな感じ。
それから、横へ引く。
雨が動いた。
ほんの少し。
三人へ斜めから吹き込んでいた雨粒が、途中で軌道を変える。
傘の横を避けるように流れていった。
「おお」
美羽が言った。
紬も傘の外を見る。
「やっぱ便利だね」
「そう?」
莉莉は手を戻した。
「便利でしょ」
「傘でいいじゃん」
「今、傘で濡れてたんだけど」
「じゃあ大きい傘買えば」
「夢がない」
「またそれ?」
歩き出す。
雨はまだ横から降っている。
ただ、三人の周りだけ少し軌道がずれていた。
美羽が手を伸ばす。
「ほんとだ」
「濡れるよ」
「こっち来ない」
「少しだけね」
「これどのくらい続くの?」
「知らない」
「知らないの?」
「やめたら戻るよ」
「じゃあ駅までやって」
「嫌」
「なんで!」
「疲れるから」
「今、全然疲れてないじゃん」
「美羽には分からないでしょ」
「疲れた?」
「まだ」
「じゃあいいじゃん」
「そういう問題じゃない」
紬が吹き出した。
「りりかさんみたい」
莉莉が見る。
「やめて」
「似てた」
「似てない」
「今の言い方、似てたよ」
美羽まで言う。
「『そういう問題じゃない』」
「二人とも濡らすよ」
「能力の悪用!」
「違うでしょ」
莉莉は手を下ろした。
途端に、美羽の傘へ雨が斜めに当たる。
「わ、ほんとに戻った!」
「だから言ったじゃん」
「もう一回」
「やだ」
「莉莉ー」
「知らない」
三人は笑いながら駅へ向かった。
~~~
途中。
屋根付きの歩廊へ入る。
三人とも傘を閉じた。
美羽が傘を振る。
「人にかけない」
莉莉が言った。
美羽が止まる。
「莉莉に言われたくない」
「なんで」
「絶対いつもやってるでしょ」
「やってない」
「やってそう」
「りりかさんに怒られてそう」
紬が言う。
莉莉は黙った。
昨日ではない。
この前。
全く同じことを言われた。
「……何」
美羽が莉莉を見る。
「別に」
「絶対何かある」
「ない」
「怒られた?」
「怒られてない」
「怒られたんだ」
「注意されただけ」
「同じじゃん」
「違う」
美羽と紬が笑う。
莉莉は少し腹が立った。
でも、すぐどうでもよくなった。
歩廊の透明な壁の向こうでは、雨が降っている。
強い雨。
さっき曲げた雨。
莉莉は何となく手を伸ばした。
透明な壁に指先を触れる。
その向こうを雨粒が流れていく。
もちろん、ガラス越しに雨を触れるわけではない。
それでも、意識を向ければ感覚は拾える。
押す。
つまむ。
引く。
いつもなら、そんな感じだった。
莉莉の指が止まった。
「……ん?」
「どうしたの?」
紬が気づいた。
「何でもない」
莉莉はもう一度、雨を見る。
同じ雨だった。
黄色。
さっきまでと変わらない。
重いわけではない。
強さのせいでもない。
なのに。
触った感じだけが、少し違った。
「何?」
今度は美羽も覗き込んでくる。
「別に」
「今、変な顔した」
「してない」
「した」
「してないって」
莉莉はガラスから指を離した。
もう一度だけ、外を見る。
雨は普通に降っている。
「……まあ、いいか」
「何が?」
「何でもない」
「怪しい」
「美羽、置いてくよ」
「待って!」
三人は歩き出した。
莉莉は一度だけ振り返った。
透明な壁の向こう。
いつもと同じ雨が降っている。
さっきの感覚が何だったのか、少しだけ気になった。
でも。
駅に着く頃には、
三人で何を食べるかの話をしていた。
この話以降、少しカエル術がこの世界でどのように捉えられているかなどがわかるエピソードが続きます。




