第八話:さすらい
「アレの非礼があったとはいえ、押し入るような真似をして申し訳なかった」
アルス殿下は、ゆっくりと頭を下げる。
これは、どちらかというとシンシアさんへの謝罪だと思う。
約束があったとはいえ、シンシアさんの私室に無断で入ってしまったのだから。
「いえ。私の立場では、どうすることもできませんでした。お手間をおかけして申し訳ございません」
シンシアさんも申し訳なさそうに答える。
「それよりも……」
アルス殿下は、少しばつの悪そうな顔をして視線を私へ向けた。
「怖い思いをさせてしまって、申し訳なかった。ホタル様」
さっきまでルートヴィヒ殿下に向けていた厳しい表情とは、まるで違う。
たどたどしく言葉を紡ぐその姿は、まるで悪戯を見つかった子供のようだった。
……なんだか、可愛い。
思わず、そんなことを考えてしまう。
「いえ。アルス殿下が来てくださって助かりました」
そう答えると、殿下は少しだけ安心したように表情を緩めた。
「申し訳ない。そう言ってもらえると助かります」
その表情を見ていると、さっきまでの刺すような鋭い視線が嘘のように思えてくる。
同じ人とは思えない。
王太子って、大変なんだな。
あまりにかけ離れた二つの顔を見てしまったせいか、どこか他人事のような感想しか出てこなかった。
「それにしても……」
私はちらりと、嵐が去った後の扉を見る。
「第三王子殿下は、いつもあんな感じなんですか?」
「…………」
アルス殿下が黙り込む。
シンシアさんも、何とも言えない表情を浮かべた。
……これは、察するしかない。
「とりあえず、私の存在はルートヴィヒ殿下に隠す必要がありそうですね」
気まずい雰囲気を和らげるために、先ほどアルス殿下が言っていたことを話題にしてみる。
「そうですね。あまりに耳が早いので、油断していました」
苦笑いしながら、シンシアさんが答えた。
深くは触れなかったけれど、第三王子という立場がどれほどの価値を持つのか、私にはまだ分からない。
昨日の夜に聞いた限り、この国の王位継承問題は解決している。
そもそも、国王であるアルベリク陛下はまだ若く健在だ。
そのうえ、目の前にいる王太子のアルス殿下は、文武両道に優れた人物だと聞いている。
王としての適性までは分からない。
それでも、私が少し話しただけでも、冷静沈着で知性があり、異世界人である私の突拍子もない話にも耳を傾ける度量があることは分かっている。
少なくとも、今のところ。
――この人が王太子であることに、私は何の疑問も感じなかった。
「……いや、食事の邪魔をしてしまったな」
アルス殿下が、ふと食卓へ目を向ける。
「深い話は、また後にしましょう。一旦、出直します」
そういえば、食事中なのを忘れていた。
私が何か答えるより先に、アルス殿下は風のように部屋を出ていった。
「…………」
思わず苦笑してしまう。
「スープ、冷めてしまいましたね」
シンシアさんは、残念そうに用意された料理を見つめる。
「もったいないですから、いただきます」
もったいない魂を持つ日本人を舐めないでほしい。
冷めたくらいで食べられなくなるほど、繊細な舌は持ち合わせていない。
私は冷めかけたスープに手を伸ばした。
……うん。
普通に美味しい。
「…………」
シンシアさんが、少しだけ目を丸くして私を見る。
「ホタル様は、本当に逞しい方ですね」
「そうですか?」
「はい」
シンシアさんは小さく笑った。
「では、殿下をお待たせしては申し訳ないですから少し急ぎましょう」
冷めた食事を前に私たちは笑顔で食べ始めた。




