第六話:おはよう
目を開けると、見慣れない天蓋が視界いっぱいに広がっていた。
肌触りのいいシーツに指を滑らせる。
その感触が妙にリアルで、夢ではないことを実感させられた。
……そうだった。
私は異世界へ召喚されたんだ。
はっと身を起こす。
大きなバルコニーへ続く掃き出し窓から、柔らかな陽光が差し込んでいた。
日差しの柔らかさと、窓から流れ込む空気からすると、春先に近い気候だろうか。
……いや。
この世界に四季があるとも限らない。
そもそも、一日が二十四時間である保証すらないのだ。
考え始めると、また現実逃避をしてしまいそうだ。
私は小さく首を振り、無理やり思考を切り替えた。
辺りを見回す。
けれど、天蓋付きのキングサイズの寝台が存在感を放ちすぎていて、どうにも落ち着かない。
その中央にぽつんと横たわる自分の姿は、まるで大洋に浮かぶ小島のようだった。
ベッドが広すぎる。
床に足を下ろすだけでも一苦労だ。
「よいしょ……」
なんとか端まで移動し、這いつくばるようにして床へ降りる。
昨夜というか、今朝。
湯浴みを終えて着替えた寝間着は、薄くて柔らかい。
着心地は最高なのだけれど、防御力という意味ではかなり心もとない。
思わず、寝間着の胸元を手で押さえる。
この状態で知らない男性と鉢合わせでもしたら、心臓が止まる自信がある。
淑女の部屋に乗り込んでくる殿方はいないよね……。
……いや。
そもそも、ここは王城だ。
そんなことはないと思いたい。
ともかく。
昨日まで普通の会社員だった私が、目を覚ましたら天蓋付きの巨大なベッドで寝ている。
改めて考えると、とんでもない状況だ。
「……おはよう、異世界。」
誰もいない部屋に向かって呟く。
返事の代わりに、窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえた。
その直後。
コンコン。
控えめなノックの音が響いた。
「ホタル様、お目覚めでしょうか?」
女性の声がする。
「は、はい!」
慌てて返事をすると、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、昨日何度か見かけた侍女だった。
淡い灰色の髪をきちんとまとめ、大きめの眼鏡を掛けている。
背筋はぴんと伸び、歩き方にも無駄がない。
見るからに几帳面そうな人だ。
「おはようございます、ホタル様。」
丁寧に一礼する。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私はキャスリーンと申します。王命により、本日よりホタル様の専属を拝命いたしました。」
「おはようございます……専属?」
聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。
「はい。」
キャスリーンさんは、当然のことのように微笑んだ。
「専属とは、ホタル様のお身の回りのお世話をさせていただく専属侍女のことでございます。よろしければ、この後詳しくご説明いたします。」
「はい、お願いします。」
思わず即答してしまった。
こういう時は、分からないことを分からないままにしない。
仕事で身についた習慣は、こんなところでも抜けないらしい。
「まずは朝……いえ、もう昼ですね。」
キャスリーンさんは懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。
どうやら、この世界にも時計というものはあるらしい。
少なくとも、時間を測るという概念そのものは私の世界と共通しているようだ。
……また新しい疑問が浮かんでしまった。
いけない。
また考え始めている。
「それから、神官長様がお食事をご一緒されるとのことです。」
「シンシアさんが?」
「はい。」
キャスリーンさんは、シンシアさんから預かった言葉をそのまま伝える。
「『ホタル様にオルガルドのことを知っていただくには、まずお食事をしながらお話しするのがよろしいでしょう』とのことでございます。」
……シンシアさんらしい。
昨日の今日なのに、もう私の教育計画まで立てているらしい。
仕事のできる女性には、敬意しかない。
「わかりました。すぐに準備します。」
「かしこまりました。」
キャスリーンさんが一歩下がる。
「お召し物はこちらを。昨日とは違うものをご用意しております。」
差し出された服を見る。
……また、この世界の服だ。
私はまだ、この世界で自分が何者なのかすら分かっていない。
けれど。
少なくとも今日からは、ただ説明を聞いているだけではいられない。
この世界を知らなければならない。
そして――。
元の世界へ帰る方法も見つけなければならない。
「……よし。」
私は小さく息を吐いた。
まずは昼食。
腹が減っては何も始まらない。




