第五話:夜明けのブレス
完徹でアルス殿下とシンシアさんと話し合いをしていたせいで、ひどく眠い。
窓から差し込む朝日が、容赦なく夜明けを告げていた。
そういえば、化粧も落としていないし、お風呂にも入っていない。
どこかで聞いた「化粧を落とさずに寝ることは、雑巾を顔に乗せて寝るのと同じ」という言葉が頭をよぎる。
この世界は中世ヨーロッパ並みの文化水準らしいし、やっぱりお風呂なんてないのだろうか。
そんな心配をよそに、疲れを隠しきれない様子のアルス殿下は、話し合いが終わると足早に自室へ戻っていった。
正直、私の部屋で力尽きられても困る。
一方、シンシアさんは疲れた様子など微塵も見せず、帰り際に侍女さんへ何やら指示を出していた。
「それでは、ホタル様。本日はごゆっくりお休みください」
優雅に一礼すると、そのまま部屋を後にする。
「ホタル様」
「は、はい!」
シンシアさんと入れ替わるように部屋へ入ってきた侍女さんが、丁寧に一礼した。
「湯浴みのご用意が整っております。お召し物も新しいものをご用意いたしました」
「えっ?」
思わず聞き返してしまう。
ありがたい話だけれど、お風呂の支度は現代の日本でも地味に手間がかかる。
私たちが話し合いをしている間も、誰かが夜通し準備をしていてくれたのだろうか。
……申し訳ないことをしてしまった。
そんな罪悪感に駆られ、思わず俯く。
「神官長様より、『ホタル様はお疲れでしょうから、身支度を整えたらごゆっくりお休みいただくように』との仰せでございます」
侍女さんは淀みなく言葉を紡ぐ。
「それと、『湯浴み番がおりますので、夜間の支度もお気になさらず』とのことでございます」
……さすがシンシアさん。
私が余計な気遣いをしそうなことまで見越して、先回りしてくれていたらしい。
「あ、ありがとうございます」
侍女さんに案内され、私は浴室へ向かった。
(……まだ、お風呂に入れるわけじゃないのか)
軽く考えていたけれど、ここは王族や有力貴族が暮らす城だ。
防犯上の理由なのか、部屋同士の距離が思っていた以上に離れている。
廊下をいくつも曲がり、ようやく浴室へたどり着いた。
その先には、小さな旅館の大浴場ほどもある脱衣所が広がっていた。
待機していた侍女さんは三人。
「ホタル様、お召し物はこちらでお預かりいたします」
「いえ、一人でできます! 本当に大丈夫です!」
必死に辞退を伝えるが、侍女さんたちは困ったように微笑むばかりで、一歩も引こうとしない。
サウナやスパにはよく行くけれど、人前で裸になることなんてほとんどない。
それに、そもそも人様に見せられるような身体でもない。
恥ずかしくてたまらなかった。
「ホタル様に断られてしまいますと、私どもは暇を出されてしまいます」
「それは、とても悲しいことですわ」
「どうか侍女は空気だとお考えくださいませ」
人の頼みを強く断るのが苦手な私は、情に訴えられてしまうと弱かった。
結局、渋々服を預けることになったものの、風呂場までついて来ようとしたので、それだけは断固として辞退させてもらった。
浴室には、大理石のような白い石で造られた浴槽が据えられていた。
見たこともない獣を模した石像の口から、絶え間なく湯が流れ落ちている。
白い湯気がゆるやかに立ち上り、その光景を目にした瞬間、張り詰めていた気持ちがふっとほどけた。
今日一日で、私の人生は一変してしまった。
異世界へ召喚されて。
王族や神官長に囲まれ。
国の命運を左右する話を朝まで続けて。
……情報量が多すぎる。
「とりあえず、お風呂に入ろう」
考えるのは、眠ってからでも遅くない。
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「では、お身体をお拭きいたします」
待機していた湯浴み番の侍女さんが、大きな布を手に一歩近づいてくる。
「あ、あの!」
思わず声が裏返った。
「自分でできますので、大丈夫です!」
「ですが、それが私どもの務めでございます」
困ったように微笑む侍女さん。
こちらが遠慮している理由そのものが理解できない、といった表情だった。
文化の違いなのだろう。
向こうにとっては当たり前のことで、恥ずかしがるようなことではない。
でも、日本で普通の会社員として暮らしてきた私には、その当たり前が刺激的すぎる。
「ほ、本当に、自分で……」
「神官長様より、ホタル様のお世話は私どもに任せるよう仰せつかっております」
……シンシアさん。
そこまで手回ししていたんですか。
逃げ道を塞がれた私は、小さく肩を落とした。
「……お願いします」
「かしこまりました」
侍女さんは慣れた手つきで髪の水気を拭き、柔らかな布で身体を包み込むように水滴を取っていく。
必要以上に触れることも、じろじろ見ることもない。
すべてが仕事として洗練された所作だった。
それでも私は終始恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
着替えを済ませ、寝室へ戻る。
ふかふかの寝台へ身を預けると、一気に全身から力が抜けた。
元の世界へ帰る方法。
英雄としての役目。
アルス殿下との約束。
シンシアさんから聞いた、この国の現状。
考えなければならないことは山ほどある。
それなのに、瞼は鉛のように重かった。
「おやすみなさいませ、ホタル様」
侍女さんが静かに部屋の灯りを落とす。
「……おやすみなさい」
返事をした直後、意識は深い眠りへと沈んでいった。
窓の外では、夜明けの風が白いレースのカーテンを静かに揺らしていた。




