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クズの魔法使い  作者: 葉月水


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第六話 狼煙


 爆炎の渦中で、アッシュは笑っていた。

 正確には、引きつっていただけだが。


(やっぱり、こうなるか)


 予想通り。期待通り。そして――最悪だ。

 だが、それでいい。

 背後には、守る義理などなくとも、死なせるには気持ち悪い足手纏いが走っている。

 ならば。


「――全部、受け切るだけだ」


 次の瞬間、展開した防御陣が悲鳴を上げた。

 耳鳴りが鼓膜を刺す。

 視界は白く爆ぜ、焼け付くような熱だけが遅れて肺を焼きに来る。煙と砂塵が路地を埋め尽くし、世界から輪郭を奪い去った。

 アッシュは瓦礫に片膝をついたまま、ゆっくりと頭を上げた。

 全身の骨の内側から、軋むような悲鳴が上がっている。とりわけ右腕が鉛を埋め込まれたように重い。防御は間に合ったが、対価は安くなかった。


(立て)


 短く、自分自身を蹴り飛ばすように命じる。膝が笑い、視界が歪に揺れる。

 それでも、立った。


「これは驚いたな」


 煙の向こうから、嘲笑を含んだ声が降ってきた。


「正面から受けてなお崩れないか……先のも、偶然じゃなかったらしい」


 砂塵の切れ間に、男の輪郭が浮かび上がる。


「まあ、流石に無傷とはいかなかったようだが。随分と腕を上げたじゃないか――アッシュ・ヴェイル」

「……お前こそ」


 アッシュは血の混じった唾を吐き捨てる。荒い呼吸の合間でも、視線だけは敵を捉え続けていた。


「滅多にいない格下相手に、随分と楽しそうじゃねえか。……流石は元落ちこぼれでも『魔法使い』だ。クズの流儀だけは一丁前に身に付いてるな」

「……相変わらず、口だけは達者だな。だが挑発には乗らん。――貴様はもう詰んでいる」


 男がさらに一歩、距離を詰める。


「右腕は死んだ。防御も限界、魔力も底が見えている。対してオレは無傷だ。間合いも、主導権も、全てこちらにある。覆す手など、どこにもない」


 淡々と、死刑宣告のような事実が並べられる。勝利を確信した男の口角が、醜く歪んだ。


「できることがあるとすれば、不細工な時間稼ぎくらいか。……しかし、それも精々、数秒といったところだな」

「……そうだな」


 アッシュは静かに応じた。否定もしなければ、反論もしない。

 相手は格上。こちらの魔力は、二度の相殺と先ほどの防御で既に涸れかけている。正面から打ち合えば、結果は火を見るより明らかだった。

 身体強化を駆使して逃げたところで、魔力量の差でいずれ追いつかれる。逃げた分だけ被害が広がり、袋小路に追い詰められるだけだ。


(勝機があるとすれば、魔法以外)


 アッシュは視線を這わせた。路地の壁、瓦礫、充満する砂塵。そして、壁に取り付けられた赤い金属の筒。


(あれだ)


 咄嗟に考えをまとめたアッシュは、左手を無造作に持ち上げ、風魔法を紡ぐ。情けないほどに微弱な風。だが、それで十分だった。路地に漂う砂塵と煙が一気に舞い上がり、視界を不透明に塗り潰す。


「大人しく殺されていればいいものを……まだ足掻くか」

「生憎、クズに殺されてやる趣味はないんでな。戦略的撤退だ」


 煙の奥へと駆け込みながら、壁から消火器を引き抜いた。左手一本で抱える重みが、今は頼もしい。右腕を殺したまま、残りの魔力を全て足に注ぎ込む。消耗が加速するのを感じながら、迷路のような路地を疾走した。


「何を企んでいるのかは知らんが、無駄なことだ」


 男の声に、焦りはない。

 アッシュが走りながら消火器のレバーを引くと、白い粉末が勢いよく噴射され、路地の炎を強引に薙ぎ払った。


「ほう」


 男が興味深げに目を細める。


「……火を消す道具か。なるほど、この世界らしい無価値な発想だ」


 緊張感はない。むしろ余裕を深めている。


「だが所詮は小細工。火力を上げれば済む話だ」


 轟音と共に、先ほどよりも巨大な火球が迫る。消しきれない規模で押し潰す。魔法使いらしい、単純で傲慢な正解。

 アッシュは紙一重で身を捩り、粉末を撒き散らしながら回避を繰り返す。身体強化を瞬発力のみに絞り、壁を蹴り、瓦礫を跳び越える。通常では不可能な機動を、魔法の後押しとスラムで培った身軽さで実現させた。

 一気に二階建ての建物の縁に指をかけ、屋根の上へと這い上がる。


「ドブネズミのような逃げ足だな。…だが、屋根に上がったところで袋のネズミだぞ」


 見上げた男の手から、次々と炎が放たれる。アッシュは瓦を蹴り飛ばしながら屋根から屋根へ跳び、背後で建物が焼かれる音を聞いた。

 一気に飛び降り、着地の衝撃を魔力で殺して、倉庫街の深部へと誘い込む。建物が密集し、入り組んだ袋小路。

 アッシュは走り抜けざま、開け放たれた資材倉庫の陰へと一瞬だけ視線を走らせた。


(手札は揃った……だが、まだだ。場所を選べ)


 アッシュは自分の状態を確認した。出血が酷い。魔力はもう底を突き、意識の端からじりじりと崩れていく感覚がある。


(……潮時だな)


 壁に背を預け、逃走の足を止めた。荒い息を殺し、じっと闇に溶け込む。


「自慢の足も、そろそろ限界か」


 男の声が反響する。

 探知の魔法がある以上、隠れることに意味はない。

 アッシュは静かに息をつき、観念したように壁の陰から姿を現した。片手には、空に近い消火器を握り締めて。

 男の目に、決定的な勝利の色が宿った。

 それを血の滲む口元を歪め、アッシュは鼻で笑った。


「限界? ……これが、か?」


 軽く肩を竦める仕草。だが、その視線だけは鋭利な刃となって男を射抜いている。


「冗談きついな。どう見ても、まだピンピンしてるだろうが。――むしろ限界なのは、お前のほうじゃねえのか?」

「……何だと?」

「簡単な話だ。魔力に余裕があるなら、こんなちまちました撃ち合いなんざしねえだろ。この一帯ごと、俺もろとも吹き飛ばせば済む話だ」


 アッシュは血を吐き捨てながら続ける。


「転移直後の魔力回路は安定しない。無理に高出力を流せば、自滅するだけだ」


 静かな、だが確信に満ちた声だった。


「お前もそうなんだろ。だから火力を絞ってる。……違うか?」


 男は沈黙した。

 数瞬の後、わずかに肩をすくめる。


「……なるほど。そこまで見抜くか」


 男は否定しなかった。だが、その瞳に浮かぶ冷徹な余裕は微塵も揺らいでいない。


「だが、それがどうした。回路が不安定だろうと、お前一人を焼き殺す程度なら問題にもならん。先に壊れるのは、どう考えても貴様の方だ」

「だろうな」


 アッシュは笑った。 


「だが、んなことは、最初から分かってんだよ。格上相手にバカ正直に魔法で張り合う気なんざねえ」

「ならば、どうする。ここで大人しく焼かれるか? それとも異世界の神にでも祈るか?」

「それも悪くねえな。少なくとも、『傍観決め込む神』に祈るよりは、まだ見込みがありそうだ」

「ならば——」

「——とはいえ、願いが届くまで悠長に拝んでる余裕はなさそうなんでな」


 アッシュは右腕から滴る血を横目に、口元を歪める。


「今回ばかりは別の手段で行かせてもらう」


 アッシュは消火器を強く握り直した。残り少ない魔力を、全て足と腕に叩き込む。燃え尽きる直前の残り火のような身体強化が、軋む肉体を無理やり駆動させた。


「——っ、何を!?」

「決まってんだろ。魔法でダメなら、物理でやるだけだ」


 踏み込んだ。魔力を振り絞った一歩は、舗装された地面を砕くほどの重圧を産む。消火器を振りかぶり、男の側頭部を目がけて叩きつけた。

 男が咄嗟に腕を交差させる。金属が骨を打つ、不快な鈍い音が響いた。


「くっ……!」


 男の体がよろめいた。

 魔法使いが徒手空拳で、しかも鉄塊を武器に殴りかかってくるなど、学院の常識ではあり得ない愚行。その「常識」こそが、アッシュの狙った隙だった。

 アッシュは引かない。消火器を構え直し、二撃、三撃と肉を砕く衝撃を叩き込む。


「……正気か、貴様! 魔法使いが、こんな無作法な真似を……!」

「知ったことか。使えるもんは全部使う、それが俺の魔法使いとしての在り方だ」


 男が距離を取ろうと炎を纏った右手を構える。

 アッシュはじりじりと間合いを詰め、放たれる炎を消火器の粉末で強引に受け流し、致命傷だけを逸らす。必死の防戦に見えるその動きの中で、アッシュは最後の準備を終えた。

 消火器のレバーを全開にする。

 白い粉末が噴射され、周囲の視界を一瞬で塗り潰した。その刹那、アッシュは傍らに置いておいた、倉庫から掠めてきた小麦粉の袋を引き裂いた。

 空気中に向けて一気に散らす。白い霧が、消火器の粉末に紛れて不気味に漂い始めた。


「……追い詰められて、また同じ手か。いい加減学習しろ」


 男が嘲り、その掌に熾烈なまでの炎を凝縮させた。

 路地を埋め尽くす白い粉末。それ自体に殺傷力がないと見切った男にとって、今の状況はただの「視界不良」に過ぎない。


「終わりだ、灰被り。塵も残さず焼き尽くしてやる」

「ああ」


 アッシュは口元を歪めた。

 爆ぜる寸前の火球を前にしてもなお、その瞳には凍てつくような冷静さが宿っている。


「――その言葉、そっくりそのままお前に返してやるよ」


 男の眉が、怪訝そうに跳ね上がる。

 勝利を確信していた三白眼が、わずかな空白に揺れた。


「いい加減、学習しろ」


 その言葉の意味を男が咀嚼するよりも、アッシュが地を蹴るよりも速く。

 空気中に散布された小麦粉――「燃料」が、男の放った「炎」によって臨界点を超える。

 アッシュはその刹那、瓦礫の陰へと身を投げ出した。

 直後、世界が爆ぜた。


***


 熱い。

 それだけが、脳に届いた最初の信号だった。

 地面に這いつくばったまま、男――ルドラ・コールは、屈辱に震えながら顔を上げた。

 視界が歪み、耳鳴りが脳を揺さぶる。粉塵爆発。あの至近距離で、あろうことか「格下」の仕掛けた爆発を正面から浴びたのだ。

 膝を震わせ、煮え繰り返るような怒りだけで立ち上がる。

 先ほどまでの尊大な余裕も、中途半端な選民意識も、すべては爆炎の中に霧散した。

 あのアッシュに。自分と同じく「不用品」として放り出されたはずの、あの「灰被り」の出来損ないに、泥を塗られた。


「……殺す。奴だけは……絶対に、細切れにして焼き殺してやる……!」


 絞り出すような呪詛と共に、探知魔法を強制展開する。視界を覆う粉塵など、今の彼には関係ない。ただ、自分より下であるはずの、あの忌々しい魔力の波長だけを追えばいい。

 ――あった。

 正面、一直線。

 速い。迷いのない速度で、最短距離を突っ込んでくる。


「……正面から来るか。死に急いだな!」


 迎撃の炎を掌に凝縮させる。二度は読み違えない。

 所詮、小細工を弄さなければ魔法使いとも呼べぬ欠陥品だ。この火力で、存在ごと蒸発させてやる。

 だが――接近してくる反応は、あまりにも重い。

 地響きのような駆動音が、粉塵の奥から響いてくる。

 粉塵の向こうから、巨大な影が姿を現した。

 それは、人の形ですらなかった。

 魔法という矮小な力に縋り、狭い世界で生きてきた男の認識が、初めて現実に追いつかなかった。


「先輩として、最後にいいことを教えてやるよ――被験体二号」


 巨大な鉄の塊――大型トラックの運転席から、あの灰色の髪が、冷徹な双眸を覗かせていた。


「この世界の物語じゃ、トラックに轢かれるのが異世界行きの合図らしいぜ」

「……っ!?」


 ルドラは咄嗟に、ありったけの魔力を絞り出して防御陣を張り直した。

 だが、削り取られ、枯れ果てた末に編まれた脆弱な障壁が、猛進する数トンの質量を支えられるはずもない。


「――せいぜい、ヘリオスの野郎によろしくな」

「この、クズがぁぁ!!!」


 断末魔のような叫びに、アッシュは鼻で笑って応えた。


「はっ、今更なんだよ。……魔法使いなんてのは、どいつもこいつもクズだって決まってんだろ」


 絶叫は、鈍い金属音と肉を潰す衝撃の中へ、無慈悲に飲み込まれていった。

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