第六帖 万世一継~人世の理の創造は艱難な~ 肆
『あれ? まだやってる?』
伊勢にて大元の神力の切り替えを成し終えて即、私は白山に跳んだ。
万が一を考えて、白山へ流れる神力は停波している。
だから、白山で御瑞姫の誰かが待ち伏せしていても、今までのように力尽きて、戦闘は終わっているはず、だったのに。
空を埋め尽くすかと思うほどの矢の猛射が、山頂を覆うように展開していた琉球紅型の花々をド派手に散らし尽くしていた。
『ん? これ、どういうこと?』
戦闘状況から見るに、相手は佳紅矢ちゃん。那由多さんは迎撃に忙殺されているだろうから、氷璃霞氏に現情報告を求めると、
『話が違うじゃ無いですか! 向こう、この先2年分の神力を貯留して立て籠もってますよ!?』
悲鳴のような怒りのクレームが大音量で我が魂を振るわせる。
ふむ、と言うことは。
『私が神宮をシャットアウトすることを先読みして、空海さんが持てる限りの神力を持ち出して、長期籠城の構えを取っていたと』
『やっぱり月見神の計画ほど当てにならないものはないですね!!』
もの凄く実感のこもった罵倒だ。
現に、佳紅矢ちゃんから放たれる矢の物量は一向に減ることが無く、那由多さんの無限とも言える防御壁が、モリモリと削られていく。こりゃ、防戦側はザリザリと正気を削られるに等しい恐怖だな。というか、姫子はなんで大人しくしてるんだ?
『あれが大人しくしてるように見えますか!?』
あ、狼と戯れてた……というか、ほとんど一方的に弄ばれてたわ。
『情けない。神狩を発動したら、あんなの一撃だろうに』
『こんなところで神狩暴走したら、誰が止められると思っているんですか!!』
『……いや、その場合は全力放置でいいんだよ。お腹が空けば正気に戻るから』
『犬扱い!?』
うーむ、やっぱり避けられないか、最終決戦。あわよくば、一網打尽で空海さんを降伏させられるかと期待したんだけれど。
『とにかく、これ、なんとかして下さいよ! 役目でしょ!?』
ヒステリックな氷璃霞氏というのは、何というかこれはこれでレアだから、もうちょっと堪能したくはあるけれど、絶対に後から報復されるからな。
ここは一つ、新時代の神の威厳ってやつを見せつける機会か。
『氷璃霞氏、佳紅矢ちゃんの周辺一帯、一時的に霊波遮断可能?』
『真っ先にやりましたけれど、神力の遮断は不可能でしたよ!』
『んじゃ、音波増幅、もしくは空気圧縮で、一瞬でも行動不能にすることは?』
『はっ? いや、原理的には可能ですね。やります、タイミングは?』
『即時』
『寡音、発動!』
氷璃霞氏の呼び掛けに、神宝が応じる。十種の神宝が一つ、霊笛・寡音は、その音色が届く範囲のあらゆる波を操る響器だ。射程距離に限界はあるけれど、使い方次第でピンポイントへの干渉も可能という殺傷力を発揮する。今回のように、一時的に相手を無力化させるという手段は、十八番という事だ。
直後、矢の猛射が止んだ。反対側の山頂、両耳を塞いで膝をつく佳紅矢ちゃんを確認。
『那由多さん、一番分厚い紅型で、佳紅矢ちゃんの周囲を遮断して!』
『か、しこま、りぃ!』
普段はオットリしているけれど、やるべき時の那由多さんは結構、凶悪だ。あろうことか佳紅矢ちゃんの周囲に配備されていた矢を、自分の神宝、九十九の支配下へと横取り。瞬く間に色鮮やかな鳳凰の尾羽根に概念核を置換して、ビッシリと佳紅矢ちゃんの周囲を覆い尽くしていく。
それもこれも、無限の神力があるからこその力業だ。
「ふむん」
とりあえずの無力化はなった。
さて、佳紅矢ちゃんの処遇をどうしたものか。
『というか、あっちの狼、放っておいて良いんですか?』
あ、姫子がまだ、弄ばれていたわ。
『てぃ』
と指先一つで霊圧増幅。佳紅矢ちゃんの狼の周囲に見えない牢獄を構築して拘束完了。
「出来るんなら最初っからやれ!!」
眼下、ぜぃぜぃ喘いでいる姫子から全力抗議が届くけれど、そっちこそ遊んでないで仕事しなさいよ、まったくもぅ。
さてさて、佳紅矢ちゃんの処遇をどうしたものか。
『待て、月見里野乃華佐久夜比咩命《つきみのさとのののはながさくやびめのみこと》』
うん? 眼下、姫子の前で大人しく拘束されている狼から、珍しくフルネームで呼ばれた。というか自分でも最近名乗ってないな、フルネーム。つきみのさとのののはながさくやびめのみこと。21文字って正気の名前か?
『大人しく投稿する。佳紅矢は俺が責任を持って黙らせる。だがその前に、勢里姫に施された呪術を解いてやってくれ』
『呪術? 呪いってこと?』
詳しく話を聞くために狼の元へ降り立った。堅く凍った雪原の上に身を横たえている狼はまだ、私の檻に閉じ込められて伏せている。が、その視線は大人しく、端っから交戦の意思が薄かったようにも見える。
『勢里姫は佳紅矢と、この白山の女神を縫い止めやがった。その呪術が解けない限り、佳紅矢はあそこから動くことすら出来ず、迎撃以外の行動が許されない』
なんという人権無視。いや、空海姉御の辞書には蹂躙という単語しか載っていないけれど。
『なるほど。承った』
どっちにしろ、鎮めの星は繋ぎ直すのだから、白山比咩大神との対峙は必須だ。今までのようにスンナリと話が通ってくれれば有り難いけれど、空海姉御に買収とかされていたらどうしたものか。今でこそ白山比咩大神は菊理媛命と同一神とされ、昔話には菊の花しか食べなかった美女が伝えられているけれど、菊理媛命自体が記紀の中では台詞も無いマイナー神すぎて、どうも後付け感が拭えない。狩猟民の信仰では、山の神は女神と信じられているので、そちらの方が主なのではないか、と思えてくる。
白山は、有史以来も複数の噴火を繰り返してきた、現役の活火山だ。過去の噴火口跡に出来た火口湖の他にいくつか池が分散していて、その中でも千蛇ヶ池は開山伝説にも語られて、かつては三千匹の大蛇が白山から地上へと進撃して流域の民を苦しめていたのを、開祖が池の中に封じたが故の名前と伝えられている。そも、祭神は白山比咩大神と伝えられているのに、開祖の前に姿を表したのは九頭竜というのだから、イメージの乖離が甚だしい。単純に九頭竜と聞けば、日本人なら自動的に八岐大蛇を連想しそうなものだけれど、九頭竜信仰は黒竜信仰と並んで全国各地に水害と絡めて散らばっていて、溶岩流を連想させる描写が主である八岐大蛇とは、根本から属性が異なっている。
ま、時間が許せばその辺り、当のご本神がどう感じているのか聞いておきたいところだけれど……神力の流れを辿った先、翠ヶ池に、翡翠の六角柱、鎮めの星は沈められていた。西暦1042年の噴火で出来た火口湖である翠ヶ池は、その名の示すとおり、深い青緑色を湛えているらしい。今は雪で白く埋められているけれど、残雪期には丸い湖形に溶け始めた池の色が環状に彩りを添え、ドラゴンアイと呼ばれる絶景が見られるという。
『おぅや、新世界のカミとやら。うらを笑いに来ぃたのけ?』
で、予想に反して現れたのは、頭頂部でまとめた髪を二つの輪っかに整えた双髻が映える、まるで弁財天のような姿だった。九頭竜違うんか。
『なぁにぃ。人型だと不服け?』
お、心の声が顔に出てしまっていたようだ。慌てて居住まいを正す。
『滅相も無い。お初にお目に掛かります。ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません。月見里野乃華佐久夜比咩命、高天原からの神力の切り替えに馳せ参じました所存』
『これはこれは、ごていねにあんやと。けど、ちぃと遅かったなぁ』
何か不都合があっただろうか? 既に空海姉御が買収済みとか?
『弓姫が負けたの知って、筆姫は早々にうらとの結びを解いたで』
あ、そういう事か。けど、私は姉御に談判する皮切りにここに来たわけじゃないので、それはむしろ好都合だ。
『私は、高天原からの神力の供給と、ご挨拶に伺っただけなので』
『ほーけほーけ。そんなら、はよぅ頼むわ。根の国のカミさんたち、ウロウロし始めとるけぇの』
それは、聞き捨てのならない忠告だった。
『国津神が、反乱を企てているんですか?』
それこそ正に、氷璃霞氏が懸念していた展開だ。こちらの切り替えの隙を突かれてしまえば、場合によっては取り返しのつかない大惨事を招きかねない。
『あぁ、というか、逆かの』
逆?
『月見のさんが出てきぃた事で、民の信仰が根こそぎ持っていかれて、信心が薄くならんかオロオロしよるのよね』
そっちかぁーーーーーーーーーーーーーー????????!
「ほんっとうに、あんたって神はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
遂に氷璃霞氏が切れた。
首根っこ摑まれてグアングアンを揺らされながら、これは仲が深まったと考えて良いんだろうか、とか複雑な思いが去来する。
佳紅矢ちゃんを根の国に拉致って、今日の出来事を振り返ること5分後の出来事である。
「神力の供給システムを根本から切り替えちゃっただけならともかく、天女の帰還も同時進行して、おまけに国津神信仰の復活のためって色々強行した結果、肝心要の国津神側から信仰離れを危惧されているって本末転倒極まってるのは本当に一体全体なんなんですかぁぁぁぁぁぁ!!」
うん、まぁ、言わんとすることは至極もっともだし、論理も通っているし、私も私の逆神ぶりに呆れているわけではあるのだけれど、まぁそこはさぁ、一応の計画成功を労るくらいの優しさがあっても然るべきなんじゃ無いでしょうか。
「よりにもよって、天津神のあなたが、全世界の信仰心を集めちゃったら、地元地元で細々と祭祀を受け継いできた永年の努力が水の泡になっちゃうじゃないです?!
全世界各地の土着信仰を守りたいって言っておいて、結果がそれじゃ、詐欺ですよ詐欺!」
「まぁ、そりゃぁ、誰だって若い女の神様の方が嬉しいよね」
いつもの調子で姫子が茶々れば、ギッと氷璃霞氏の睨みが刺さる。
「実際、猿田彦大神の実感としてはどうなんです? 佐久夜様の降臨で、信仰心の目減りって、体感できるほどの影響は出ているんですか?」
お、そうそう。いまは現状分析こそが肝心なのよ、那由多さん、グッジョブ!
『確かに、そういう危惧の声はある。が、月見里野乃華佐久夜比咩命による現世利益が伴わなければ、一過性の流行として早晩忘れ去られるだろう、と言う意見が大勢だ』
「つまり?」
『誰も月見里野乃華佐久夜比咩命に期待をしていない』
「駄・目・じゃ・な・い・で・す・か・!・!」
そんなエクスクラメーションマークの間にすら黒丸打って強調しなくても。
「逆に言えば、白山比咩が言うほどの影響力はない、て事じゃん。気にしなくても良いんじゃないの?」
姫子にとってはその程度の問題なんだけれど、ヒートアップして噴火しちゃった氷璃霞氏の興奮を鎮めるほどの力はない。
と言うかまぁ、氷璃霞氏の怒り爆発は、これまで蓄積に蓄積を重ねた結果だからまぁ、粛々と受け止めるしか無いのだけれど。
「そこまで期待されていなかったとは……」
むしろ私がショックだよ。
せっかく良かれと思って名乗りを上げたと言うのに。
「それもそうだけどさ、佳紅矢っちどーすんの?」
それよ。
空海姉御の情勢を探るために佳紅矢ちゃんとヤツフサを拉致って来たのだから、そっちの情報も付き合わせなきゃ、今後の方針を立てられない。
と言うか空海さん、何を考えて神力の貯蔵を持ち出して籠城なんか始めたんだか。
「一つ一つ片付けていった方がスッキリする気がするんですけど?!」
「氷璃霞ちんは自分がスッキリしたいだけじゃん」
こらこら姫子、余計な一言で火にガソリンを撒かないで。
ギャン! と効果音が発生しそうな勢いで氷璃霞氏の凝視が姫子を捉えるけど、まぁ、姫子は姫子だからな、その程度でたじろいだりする雌じゃない。
あれは多分、氷璃霞氏の私への当たりを緩和するためにワザとおちゃらけてくれているのだ、と思おう、思いたい……まぁ、ちょっと覚悟しておけ?
「その前にさ、サルタヒコ?」
懸念は潰しておかねばならない。
「大国主命や素戔嗚尊は、今回の騒動に関して、何か仰っているの?」
共に拝謁したことがないので、実は不安だったりする。天津神が既に天上に不在だと知ってしまえば、太古の盟約など破棄されて、根の国に留まっている理由がなくなる可能性だってゼロじゃないのだ。地上の統治権を「譲った」のだとすれば、奉還を望むのもまた、理と言えよう。
『直接鉾を交えて積年の恨みを晴らすことが不可能になったと、お嘆きであるな』
「地上侵攻のご意志は?」
『神宮が神在祭を排除しない限りは、無用の混乱は望まない、というのが一貫した想いだと確認している』
神在祭は、俗に言う神無月のことだ。全国の神様が出雲に集まって、縁結びの会議を開く事になっている。来年は私も是非招待して貰いたいところだけれど、今はそれより、
「じゃ、逆に……」
言葉を探す。
「共働を提案したら、どうお答えになるかしら?」
『……検討の余地はあるだろうが、御二柱も古いカミだ。民草の暮らしに関することであれば、現地のカミに一任して介入はなさるまい』
よし、言質は取ったぞ。
これで、国津神側の大規模反抗という線は、一応は消えたと思っておこう。サルタヒコの心の奥底で積年の恩讐が燻っている可能性は多分に残っているけれど、そこまで警戒するくらいなら、早々に袂を分かっているわけで。
ここは、性善説で突っ切るしか、ない。
「それはそうと佐久夜様、こんなん出ましたけど」
このやりとりの最中、マイペースに国際ニュースから私絡みの記事を検索していた那由多さんが差し出したのは、中々に興味深い気象ニュースだった。
「……なるほど、これは、使えそうだね」
熟考2秒、ニマリと私が相好を崩すと、露骨に懐疑を剥き出しにして、氷璃霞氏がピクピクとこめかみを引き攣らせ、までがテンプレ。
「あらかじめ言っておくが、佳紅矢には何を聞いても無駄だぞ」
言っていることは尤もらしくて格好良いが、中学生巫女に自身のお腹を枕にされて横たわっているオオカミの姿には、緊迫感が欠けている。
「いや、というか、捕虜という自覚がないのか、あんたら」
「ん? 高野空海の呪縛から解放してくれたのではないのか?」
明治期の乱獲で絶滅したとされるニホンオオカミ。各地に残る大神伝承は、太古から日本人が狼を神と崇め、今も守り神として崇拝している名残があるけれど、そんなニホンオオカミを「輸出できる鹿肉を横取る害獣」と認定し、毒殺という非人道的な方法で滅亡させたのもまた、同じ日本人だ。
うん、まぁ、国津神の恨みは正当なんだよな、本当のところ。
どう考えても身勝手なのは人間のほうなんだから。
ま、それは置いておいて。
「姉御が佳紅矢ちゃんに何も教えずに白山に送り込んだのは想定内だけれど、主人が知らない情報を、なんで使い魔のあなたが知っているのよ」
「蛇の道は蛇というだろ」
こちらを一瞥もしないで、オオカミは宣う。
「文妖とかいう式神、あれが主人に似ずお喋りでな」
……神宮のセキュリティ大丈夫かよ、本当に。
「で、姉御は一体、何を企んで籠城作戦に出たわけよ」
長々とお喋りをしていても良いけれど、グダグダしていられない事情もある。
「月見里野乃華佐久夜比咩命、国津神にも神力を配神すると言ったろ?」
「必要ならそうするって言ったけど?」
「大国主命には、神在祭という奥の手がある。国津神に配られた神力が全て出雲に集約されたら、取り返しのつかないクーデターに用いられる可能性がある、というのが、神力を持ち出した際に主張した理由だ」
うん、なるほど、趣意は分かる。お題目としても適当だろう。
「本音は、訳の分からない女に生殺与奪権を握らせたくないってところだ、どうせな」
ですよねぇ、そっちの方が腑に落ちる。高野空海女史の事だ。かつての部下に全権委ねて指揮権を譲るくらいなら、一国一城の主として籠城する方が心理的にマシ、と判断したのだろう。結果的に国津神の脅威を実証できればヨシ。出来なくても、私が下手を打てば、そこを突破口として主導権争いに持ち込める。
別に神宮の政治闘争に首を突っ込むつもりはないから、人間様の社会は人間様で勝手に治めてくれれば良いのだけれど、そんな風に軽めの対応したらしたで、「神宮を重んじていない」って怒られそうだしな。
「と言うわけで、我らはしばらく、ここで匿って貰うぞ」
「それは後々、姉御に責められる隙になるんじゃないの?」
「義務は果たした。義理はない」
「一宿一飯の恩くらいは返して貰うわよ」
さて、相手の本意はなんとなく察した。
力尽くで支配してもいいっちゃいいのだけれど、そんな旧態依然の方法で解決したのでは、物語的には盛り上がるのかも知れないけれど、新世紀の幕開けには相応しくはない。
と言うわけで。
「とりあえず、姉御は無視しよう」
腹は決まった。
やることもある。
決戦は真夜中だ。
そして世界は、夜空を駆け巡った人魂の目撃談で沸き立つ事となる。
「世界各地で、光の玉が降ってきたって、ネットが騒然としてますね」
高天原から天女を解放した第一陣だ。かつて天国へ召し抱えられ、しかし他星系への旅路を忌避して地球圏に残った魂の帰還事業。神樹を世界樹とし、高天原と繋げることで、全体の一割程度の天女が、第一陣として降下した。
これを継続的に行うことで、全ての魂を大地に返す。
それが、私のマニフェストだ。
「これもツキミの仕業なのかって、関連が噂されていますよ?」
「だろうね。ジワジワと信仰が高まってるもん」
実感として信心を感じられるのは、なんかちょっと、癖になるな。危ない危ない。私は教祖様なんかに興味は無いから。
「第二陣はまた、準備が整ってからにしましょ。高天原に根付いちゃった人を引き剥がすのも中々難儀するみたいだし。あんまり混乱が広がるようじゃ、ちょっとヒッソリと行わなきゃ」
「第一陣を派手にやらかしておいて、今さら自重ですか」
氷璃霞氏の苦言も、キャラとして根付いてきたなぁ。
「それより、全国一斉放送の準備は順調?」
「そっちは着実ですけど、本当にやっちゃうんですか?」
発案者というか、発見者の那由多さんが疑問する。けれども、これは好機だ。私の力と国津神の力を全国に見せつけて、かつ誰も傷つかない。奇跡のようなタイミングだよ全く。天の采配とはかくありたいものだわ。
「やらいでか。姫子、あんたにも暴れて貰うからね!」
今、根の国が蠢動している。
全国の国津神を総動員して、一夜限りの百鬼夜行が、突貫工事で始まっているのだ。
さぁ、高野空海女史、引きこもったことを後悔なさいな。
この一世一代の大勝負。
月見里野乃華佐久夜比咩命の16年の集大成、はじまりはじまりってなもんよ!
雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう。
そんな天気予報が、首都東京にも出た。
「ざむいざむいざむいざむいざむいざむいざむい」
隣で薄着でガタガタ震えているバカはまぁ、そのうち暴れて暖まるから放っておいて、
「で、どんな状況?」
防寒装備バッチリで、全国への調整を続けている氷璃霞氏に状況を確認する。
「概ね、天気予報通り。既に日本海側は山陰地方まで積雪が始まってて、ひどい所は地吹雪で視界が死んでますね。このままだと、予報通りに100センチ積もって交通麻痺するんじゃないですか」
「やっぱり、日本政府で頼れるのは気象庁だけだね」
そして我らは今、今宵最も豪雪が予報されている北陸地方へと出現していた。
陽は落ち、それでも西から横殴りに叩き付けてくる大粒の雪のため、視界が薄ぼんやりと白く霞んでいる。
『……次第に冬型の気圧配置が強まり、上空には強い寒気が……』
テレビニュースは、お決まりの台詞の後に「今夜半から積雪が急増する地方が予想されます。不要不急の外出は避け、暖かい格好でお過ごし下さい』これまた、一応警告はしたからな、という言い訳の一言を追加してお天気コーナーを続けていた。
日本列島は今、十年に一度という大寒波の到来に震えている。
気象衛星から送られてきた映像は、日本海に箒で掃いたような細かい筋をビッシリと描いた凶悪な雪雲供給戦線で、おまけに今年は上空の寒気がバカ冷たいという情報を添えていた。等圧線の間隔はビッシリと縦に並んで限界まで狭く、嵐吹き荒れる条件が整いすぎている。
そのお陰で、日本海側の広い地域で昼過ぎから降雪が始まり、早いところでは既に、数十センチ単位の積雪が報告されている。強い季節風に巻かれた大雪は、今宵は関東甲信越まで覆う予報となっていた。
豪雪地帯は元より、今夜は列車の終電切り上げが発生するなど、首都圏でも積雪に備えて混乱が始まっている。
そんな、大好機到来を、見逃す私じゃございませんよ。
「こっちも、そろそろ暖機運転始めて置くわよ」
既にサルタヒコを通じて、積雪が始まっている地方へ優先的に、神力の配給を行っていた。とは言え、私が使える手駒は実に少ない。というか、実質3人しか部下はいない。その内の2人は全体の統制に必要不可欠で、残った1人は制御不能という有様で、おまけの中学生巫女はお義理で連れてこられた犠牲者だ。
故に、
「きばってちょうだいよ、国津神の皆さま!」
前代未聞の百鬼夜行を思いついた。
人間様社会の役に立ち、国津神への信仰心にダイレクトに跳ね返り、高野空海姉御の思惑をも粉砕する、一石三鳥の大舞台。
交通も麻痺するほどの大雪ならば、なおのこと都合が良くて、大規模な妖怪投入で面的な除雪すら可能とする、空前絶後、万世不朽、千客万来、一大パレード。
名付けて、八百八神大庚申!!
『とざい、とーざい。
夜の帳落ち、降り積もる雪の音すら響く戌の刻。
毎度お騒がせしております、貴女の隣に這い寄るこんと、じゃない、今世紀最後の天津神、おなじみ月見里野乃華佐久夜比咩命でございます。
お寒うございますか? お寒うございますねぇ。
十年に一度の大寒波の到来ともなれば、皆々様外出はお控えなさって、鍋でもつついて熱燗空けて、そろそろドラマの一つでも、とお寛ぎのお時間をお邪魔して、ひとつ、大事なお願いがございます。
なになに、ごくごく簡単なお願いです。
絶対に、ずえぇったいに、外に出ないで下さいね!
特に日本海側、豪雪予報地帯の皆様方。
既に道は隠れ、広がるは一面の銀世界。地吹雪すさまじく、とても外出できる環境ではございません。
今宵の葦原中津国、白夜を支配するは、人ならざるモノ達が、逢魔が時を経て跳梁跋扈のお時間です。
見ては成りませぬ、見ては成りませぬ。
決して窓を開けては成りませぬ。
都大路を車輪が駆け抜け、聞いたことのない無数の足音が降り積もった雪をサクサクと踏み荒らしても、決して覗いてはなりませぬ。
今宵は、カミ様達の大宴会。
雪見の宴、八百八神大庚申でございます。
重ねてお願い申し上げます。
ご無理は承知でお願いします。
決して覗いてはなりませぬ。
決して道路に出てはなりませぬ。
あぁ、夜中の雪かきなどもってのほか。
油断をしたらほら、あなたの背後、一本足の唐傘小僧が、ピョンピョンと跳ねていくかも知れません。
今宵これからこの時間。
雪舞う白き世界は全て、カミ様たちの晴れ舞台でございます。
皆々様お揃いで、おうちでヌクヌク、巣ごもりの夜を、こたつでミカンを食べながら、お外はカミ様にお任せして、ごゆるりとお過ごし下さいませ。
それでは、今宵はこの辺で。
またお耳を頂戴する日もありましょう。
その時まで、どうか皆様、健やかで。
あなたの町の天津神、月見里野乃華佐久夜比咩命でした』
さて、前口上は終わったぞ。
「どんだけ煽るんですか、外出」
私の口上を全国に拡散した氷璃霞氏が、胡乱なモノを見る目を向けてくるのも、もう慣れた。
「だって、せっかくの国津神の大活躍、目撃者がいないのは勿体ないでしょ」
「けが人が出ても知りませんよ」
「結果的に目撃情報が増えれば、土着神への信仰も復活して、結果オーライじゃない」
「……また佐久夜様の株だけが上がったりして?」
そーならないように、殊更に煽ったつもりなんだけどなぁ。
と、ここからが本番本番。
褌を締め直して、いざ、目の前の大吹雪。雪に膝下まで埋められる道路網を、今夜中になんとかするのが我らが勤め。
『やっちゃえ、サルタヒコ!』
次の瞬間、雪の夜空に屹立したダイダラボッチが、車の消えた大通りに、大量の輪入道を投げ込んでいった。
炎の奇声を上げて、アスファルトタイヤを切りつけながら、輪入道の消えない炎が、雪を蒸発させて街中を縦横無尽に爆走していく。
『くれぐれも建造物に傷つけないでよ』
『そのキズすらも、今宵の宴の証拠として、後世に語り継がれていくのではないのか?』
言うてる間にワラワラと、闇という闇から妖怪たちが現れて、人気の絶えた人界へ、雪掻きがために殺到した。
大雑把な除雪は輪入道や塗り壁が豪快に推し進め、道ばたに寄せられた雪を地道に、他の妖怪達が処理していく。そのための神力は無限に私が供給するとは言え、その労力は大した物だ。とても人海戦術なしでは成し遂げられない。そして巫女も、黙ってみているだけでは済まされない。
「那由多さんも好き放題やっちゃって」
「そんな言われても、具体的にどうしたら」
「見渡す範囲の雪景色、全部花畑に変えちゃって!」
「か、しこま、りぃ!」
バフッ! と雪原が爆ぜた。
それは雪だけを対象として、存在を一瞬で変化させたのだ。
一面の雪原を、一面の桜の花びらに。
ピンク色に染められた視界が、しかし強風に煽られて晴れていく。
残ったのは、完璧に除雪が成った一区画。
「さって、どんどん行くわよ。姫子も見とれてないで、あんたの神狩、解放しちゃって雪解けなさい!」
「ギャラリーいないといまいち盛り上がらないんだけど!!」
言いながらも、満面の笑顔で、神力の霞を囂々と焚れ流しながら、姫子が市中に放たれた。
全国各地、雪舞う地域全体で、同様の雪かきが一斉に始まっている。
無論人命最優先。人工物への接触は極力避けるも、猛吹雪で立ち往生の車があれば、例外的に物理救助を認めていた。お役所との連携は一切無いから、行政側から苦情があっても知ったこっちゃない。これはカミガミのボランティア。むしろ気まぐれな大暴れ。毎回の出動を期待されても迷惑だし、かといって、たまには神頼みの御利益があってもいい。
「ネットにちらほら、動画や画像がアップされ始めちゃってますけど?」
氷璃霞氏の報告にも、
「計算通り!」
と言っても夜中で吹雪で遠距離で動体だ。どの写真も動画も、言われれば何か得体の知れないモノが写っているけれど、ハッキリ断言できるほどじゃない、という低質のモノばかりだ。このまま噂レベルで盛り上がって、国津神の活躍と、その実在が知れ渡れば安いもの。結局人は、自分が見たモノしか信じないのだから。
「これなんか鮮明に写ってますけど、どうするんです?」
どれどれ、と覗き込んだら、筋肉系妖怪たちが大玉転がし大運動会で作成した大量の大雪玉が、空き地に山積みになっている写真だった。
なるほど、これなら写真映えするな。
「良いんじゃない? むしろ伝説化して、信仰に繋がるだろうし」
うむ、夜中に大玉転がし大運動会か。なかなか彼らも、粋なことをするもんだ。
サルタヒコには「とにかく除雪して、人的被害ゼロで」としか指示していなかったので、具体的にどうなるのかは出たとこ勝負だったのだけれど、今のところは順調に推移していそうだ。怖い物見たさで外出しちゃった人々によるネット投稿が盛んになると、目撃者との接触事故が予測されるので、より一層の周囲確認の徹底を要請する。
「雪、やみませんね」
「都心はどう? もう降ってる?」
「ボチボチですかね、まだ積もるほどじゃ。山梨県がその分、立ち往生も出ていますけど」
積雪情報をニュースとネットで追いつつ、サルタヒコと連携して現場からの声も拾っていく。
「野次馬があんまり酷いなら、雪ぶつけて追い払っちゃって!」
「やり過ぎると、妖怪の評判、悪くなりません?」
「危ないから外出すんなって警告出してあるんだから無問題!」
とは言え、噂が噂を呼んで、ゾロゾロと観客が増え始めてはいるようだ。
『姫子! 拳圧で雪を吹っ飛ばすのもいいけど、見物客まで巻き込まないでよ!』
言った瞬間に、姫子が吹き飛ばした雪の壁に巻き込まれた若者を、泥田坊が掻き出したという報告が上がってきた。
巫女が傷付けて妖怪に助けられるって、あべこべじゃん。
『月見里野乃華佐久夜比咩命、少し問題が発生した』
固い声音でサルタヒコが語りかけてくる。そろそろ人的被害が発生したか?
『東北地方で、除雪中の国津神が、巫女の妨害を受けている』
空海姉御め、そっち方面で来ましたか。
『了解。私が直接現地に向かうわ!』
反射的に佳紅矢ちゃんの襟首を引っ掴んで、いつもの様に同意も求めず、私は瞬時に、現地へと、跳んだ。
「のぉぉぉぉのぉぉぉぉぉかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「あぁぁぁぁねぇぇぇぇぇごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ニョキっと現地に飛び出した瞬間、
安倍 晴の双銃がマズルフラッシュを炊き、
安倍 明が茶吉尼の左手の大砲をぶん回し、
高野空海の描き出した呪符が四方八方を埋め尽くし、
私が咄嗟に佳紅矢ちゃんを眼前に突き出してありったけの神力を放出し、
襲い来る殺意の圧に佳紅矢ちゃんが絶叫して神寄り、
現地も当然猛吹雪で、
一切合切が白く埋め尽くされた空間が絶えきれない情報量に、爆ぜた。
「人質とは卑怯ではないか神のくせに!」
「待ち伏せは卑怯じゃないんですかね、巫女のくせに!」
防衛本能が極限に発揮された佳紅矢ちゃんの覚醒で、潤沢な神力を贅沢に投入して形成された無数の光矢があらゆる障害を撃ち砕いてくれたお陰で、奇跡的に双方無傷となったものの、一触即発の空気は張り裂けっぱなしで取り付く島もない。
そして何より、いない!
瞬後、背後を確認するまでもなく、私は佳紅矢ちゃんを全力で投擲した。
「万敵斬か……いぃぃぃぃぃぃぃ!?」
超速ですっ飛ぶ佳紅矢ちゃんの先に、予測通り、七星剣を振り上げて必殺技発動直前、月見里野乃華の驚愕の顔がある。
2人は、悲鳴を上げる暇もなく空中で猛突し、雪団子になりながら仲良く地上へと落下していった。
「背後から不意打ちとは、卑怯じゃないんですかね?」
「神殺しに卑怯も堂々もあるか、本邦で」
なるほど、古来よりこの国の英雄は、だまし討ちが勝利の鍵である。ゆえに、
「つまり、私を殺せる巫女はもういない、という事ですな」
その点については、空海さんは肩をすくめて認めてくれた。
適当な距離を置いて対峙する。
「そもそも、どうして国津神の妨害なんて事を」
「お前こそ、詰めの甘さが生前のままだ。あれだけの妖怪を動員しておいて、跳ねっ返りが一匹もいないと想定していたのか? 人的被害が出る前に食い止めた謝礼を要求する」
まさか。サルタヒコからそんな報告は……。
「なんでもかんでも猿田彦大神が掌握していると思うなよ、バカめ。地祇も含めてカミガミは、そもそも統率を受けていない、という前提を忘れるから、今回のような無茶をする。暴れられればお題目なんてどうでもいい、という見本がお前の所にもいるだろうが」
「あぁ、それは、なんとも説得力に満ちた喩えで……お手数おかけしました」
ここは素直に頭を下げておいた。なるほど、空海さんはこのために、地下に潜って待機していたのだな。
「……で、本当に居なかったのか、高天原には」
「え、あぁ、はい。ものの見事にスッカラカンでした。残されていたのは、天国に召された人間ばかりで、あまりに可哀想だったので、地球帰還作戦を発動させたところで」
一瞬たじろぐほどの深刻な声音で問われたと思ったら、続いて深々とため息を吐かれた。煙草臭い。
「やはりか……私はそれを、自分の目で確かめたかったんだ!」
「予想されていたんです?」
「高天原の娘、なんてのが現れなければ、もっと早くに確信していたよ」
なるほど。私の存在が、空海さんの想定を乱してしまったのか。
「で、お前はこの先、全世界を引っかき回して、いったい何をどうするつもりなんだ?」
紫煙を顔にかけられる。が、それは不快な温かさではない。
「人類は神に祈りすぎたんです。少しぐらい、見返りがあってもいいのでは?」
「お前はそれで、何を得るよ?」
「そうですね……」
言葉を探す。
「空海さんは、報われない幸せって、知っています?」
「なんだそりゃ。骨折り損のくたびれ儲けか」
「ま、そんなもんです」
「だったら、神力だけこっちに寄越せ。お前の指示には従わんが、仕事だけはやってやる」
「メチャクチャなこと言いますね?」
「報われないのが幸せ、なんだろ?」
が、私が見落としがちな分野を、先達が勝手に補完してくれるのだ。これほど有り難い事もない。
「なんにせよ、これでこっちも堂々と、人前で人助けが出来るわけだ」
空海さんは既に、部下の戦乙女に必要な指示を飛ばし始めていた。
私も慌てて、なるべく高配合の神力を、こちらに回すように配神を組み直す。
「そうそう、晴が礼を言っていたぞ」
「お礼参りの間違いでなく?」
「大事な妹を殺さずに済んだ、そうだ」
あぁ、なるほど。そもそも、それもあって私は、舞闘神事そのものを、ぶっ壊したのだ。
「ま、当の妹は、邪悪な姉を大っぴらに排除する大義名分を失ったって舌打ちしていたがな」
まぁそれも、命あっての物種で。
「今夜いっぱいは臨戦態勢だ。お前も持ち場に戻れ。こっちは好きにやる。妖怪共に多少の被害が出ても目を瞑れ」
「文句があったら、直接殴り込みますよ。あと、佳紅矢ちゃんに代わりに謝っておいて下さい」
「野乃華には一言も無しかい?」
その、からかうような声音に、
「大事の前の些事ですよ、そんなの」
沸き上がりかけていたこそばゆい感情を、あえて殺して、私は私の戦場へと帰っていく。
そして、その年の冬将軍の息の根を、私たちは全神全霊で、止めた。
それは、人とカミが一つの目標を共有して自然の脅威に立ち向かった奇跡であり、この先の時代が切り拓かれる象徴たる最初の一歩として、全世界に、新時代の問題解決手法を見せつけたのである。
あれから、もう500年が過ぎたのか。
「あれ、ののしん、どうしたんです?」
「いや、ちょっと思い出していただけよ」
月面、南極のクレーター底に位置する月見里神社から見上げるは、一面の星の海。
「あんたの中の姫子とも、もう500年の腐れ縁かってね」
視線を投げればそこには、宇宙巫女服を着込んだ、神代美姫尼がいる。かつての爆乳は隔世遺伝を果たせず、今時おかっぱ眼鏡で頭脳派という、御先祖様もビックリの豹変だ。
「ちょ! 止めて下さいよ、姫子神を刺激するの。あの神、ちょっと油断するとすぐ、肉体乗っ取ってピザ食ってコーラ飲んで24時間耐久アニメ視聴始めるんですから!!」
言いながら、まるで言霊を払い落とすかのように、宇宙巫女服に積もる埃を払い落とした。
そう、姫子はまだ、子孫の中で「生きている」。
あのバカ、「のののんだけ不老不死とか不公平だ」とか言いだしたかと思ったら、天津甕星と一体化したのみならず、自身が存命の内から現人神として実家で崇拝の対象に担ぎ上げさせて、今では神代家の祖霊神として、信者1万人を下らない中堅宗教と化し、地元で名を馳せているのだ。お陰で神代家を継いだ巫女は代々、月見里野乃華佐久夜比咩命を前にしたときには姫子に意識を乗っ取られるバグが発動し、あのバカ、500年経っても往年のノリのままに接してくる。
とは言えもう、私が「月見里野乃華」だった事を知るモノは少ない。
せいぜいが姫子とサルタヒコ、そして神樹くらいなものだ。
思い起こせば長かった気もするし、思い出すのは一瞬なのだから、あっという間というのも頷ける。
「で、感じます?」
「うん、来てるね。真っ直ぐ、一直線。明日にはご対面よ」
あれから500年。私は地球の支配神として、ありとあらゆる介入をやらかしまくって人類を陰に日向に引っかき回してきた。
その間、人類は月に進出し、月面の氷とヘリウムを利用して火星探査に乗り出した後、火星と木星の間の小惑星帯を新天地と定め、着実に生活圏を広げていった。
その結果、宇宙空間に進出した「新人類」こそが地球人最先端であるという優生学が台頭し、人類が汚染しまくって回復途上にあった地球を「完治」するために隕石を落とす、といったお約束な展開をガチでやらかしてくれて、まぁコチラも、全力全開で武力介入して隕石を重力圏から押し出したりしたけれど、それも今となっては思い出だ。
「ののしんは、行かなくて良かったんですか? 外宇宙」
「私はあくまで、地球の神、だからね」
そう、なんやかんやで500年が経過して、冷凍睡眠技術を完成させた地球人は、昨年から太陽系外への有人探査ミッションを開始させていた。
400年前に建造された、当時の最先端技術の塊であった月見里神社ももう、今では知る人ぞ知る秘境と化して、宇宙空間で活躍する巫女達にとって、最古参の神力供給基地であり原殿として、辛うじて存在が許されている状態だ。すでに最新の神社は土星にまで到達しており、神樹は太陽系全体に神力ネットワークを張り巡らせるインフラ神と成り果ててしまっているけれど、それでもこの神社こそを、私は自身の拠点と定めて拘った。
それもこれも、今日という日が念頭にあったればこそだ。
『次なるカミ』の到来。
肉体に囚われない魂思考体である『カミ』が宇宙を漂っているのであれば、次の1000年の内に、地球にニアミスする可能性は、計算上導き出されていた。
故に私は、全世界あらゆる民族で「巫女」を育成し、今では総勢1億人の戦乙女と、八百八人の御瑞姫を擁する大勢力に纏め上げた。
宇宙空間から「神力」を抽出し、物理力へと変換する巫女は、現代において欠かせないインフラの要であり、「太陽光発電、燃料電池、巫女」は、宇宙時代の三種の神器として、太陽系全土に行き渡っている。
それもこれも、今日という瞬間を予知していればこそ、だ。
相手が友好的であればヨシ。
もし敵対の意思あらば、全力で抗うだけの力を示す、だけだ。
『いや、敵対行動だけはして貰う!』
また七面倒臭い事を言い出す奴が目覚めた。
隣に目を向ければ、先ほど言霊を払ったはずの美姫尼が、白目を剥いて腕組み仁王立ちしている。うんざりするほど繰り返してきた、姫子神の降臨だ。
そしてその意図は、分かり易すぎるほどに手に取るように分かっている。
「あんたはただ、茶吉尼X輝夜に乗りたいだけだろ、姫子」
茶吉尼X輝夜。それは安倍家が技術の粋を結集して作り上げた、人類初の、「天津神憑依合体型」空間戦闘対応超巨大舞闘絡繰に与えられた識別コードであり、今現在ここ、月見里神社の境内にて、腕組みして仁王立ちしている全高100メートルの無限神力駆動式スーパーロボットの事である。
ちなみに輝夜の前身である、茶吉尼Xジュピターは、全高2メートル強の空間機動対応無線操縦型多目的作業人型重機として、太陽系全土で10億台が稼働している超ベストセラー開拓機械であり、それはつまり、巫女抜きでは宇宙生活もままならないという時代の象徴であり、輝夜は、その余剰利益と溢れる技術愛と長年脈々と受け継がれてきた呪詛にも等しい巨大ロボット執念が凝り固まって具現化した、全人類の怨念の結石なのである。
『人類の危機とあれば致し方なく!』
「まず要請しないしそもそもお前、天元突破して1000メートル級のダイダラボッチ、ビキニアーマー姫子、に成れるはずじゃろ」
『それこそ最後の手段じゃん。まずは人類最新鋭の決戦兵器で挑むも、相手の圧倒的戦力の前にズタボロにされ、機体の片手片足が弾け飛んで首がもげて初めて、美姫尼が内なる真の力に覚醒する! というシナリオだけは譲れない!!』
いや、多分それ、美姫尼ちゃんは正気に戻ったら自殺したくなる奴じゃん。
「ま、あんたの筋書き通りにだけはならんから安心せぇ」
『そー言ってこの500年、のののんの楽観的シナリオ、全部最悪方向に修正入ったよね。良かれと思って割った隕石の重い方が重力引かれて地球衝突必至になった時は、地球全土からクレーム入って大炎上して、人類の意識を一つに集約させたもんね!』
綺麗な思い出に昇華させた過去を抉るな、バカ!
結果的にはオーライなんだから良いんだよ!!
『ま、その時ゃまた、私を呼ぶが良いよ、姉妹』
「あんたが出張る時は大抵最低最悪の状況だかんね、御免被るわ、腐れ縁」
そんなわけで世の中なんとか、天気晴朗なれども浪高し。人間万事塞翁が馬ってね。
太陽系という広場に出ても、人間はまだまだ縄張り意識が強くて争いが絶えないし、地球環境は完全に修復するにはまだまだ時間が掛かりそうだし、核爆発やらかした放射能汚染区域が未だに手つけずで残っているし、食糧問題も経済格差も、何より宇宙病という新たな頭痛のタネがトレンドで、ネットは毎日阿鼻叫喚が垂れ流れ、それでもカミ様たちはマイペースで、なんくるないさー、ケセラセラ。
「次なるカミが来るったって、本気で心配しているのは私一人ぐらいのもんだよね~」
「失礼なことを言わないで下さいよ、月見里野乃華佐久夜比咩命。
あなたがやらかした見落とし不備漏れ欠陥品、そっくりそのまま1億人の戦乙女が尻拭いやらされるんですから、私たちの方が真剣に心配しているに決まってるじゃないですか!」
ま、そんなわけでさ。
気が付けば500年、こんな体たらくだけれど何とかカミ様やってこれたって訳でね。
これまでもなるようになったんだから、明日からだってまぁ、なんとかするでしょ!
地球人類の、栄光的未来は、まだまだこれからだっ!!
第一部 完