道化は踊る
「徹底的に叩いて屈服させろ。それが貴族として生きるコツだ」
それは記憶。幼く、貴族として生まれた男の原点。
ピエール・アウナ・マエストロ公爵はその言葉を聞いて育ってきた。
敵対する者も、味方する者も、叩く時は徹底的に叩く。
もう立てないと言われるまで、自ら死を求めたくなるまで、どこまでも徹底的に。
貴族として生まれるということは、権謀術数の荒波に乗った船を漕ぐことに等しい。
誰が、いつ、どこで、どう裏切ってくるのか分からない。
だからこそ知らしめなければならない。骨の髄まで。
自分に逆らったらどうなるのかということを、染み込ませるのだ。
「もう終わりですか?」
「ゆ、許して、許してください…!」
自分を裏切った側近に対しては拷問を繰り返し、許しを請わせる。
徹底的に叩き潰し、屈服させ、むしろ相手を裏切らせた。
絶望の中で希望を見出し、自分に縋り付いてくる姿に快感を覚えたのだ。
「貴方のモノは私のモノ。私のモノに手を出す輩は排除しましょう」
支配していく。どんな時でも自分に従うくらい、徹底的に。
そうしていけば、いつの間にか父の跡を継いで公爵となっていた。
だが、公爵になったからこそ、ピエールは飢えていた。
自分が屈服させがいのある強者。絶望と恐怖を与えてなおも屈しない愚か者。
そんな者を征服する事が出来たなら、どれだけの喜びを得られるだろう。
探して、探して、探して、探し続けて、ピエール公爵は見つけた。
イリス・オルタミアと呼ばれる傑物を。
王城を散策していた時だった。
彼女は七歳の身の上で、城にいる文官達の誰よりも知識を見せしめ、言いくるめていたのだ。
残念ながらそれは第二夫人に遮られて陽の目を見る事はなかった。
だが、次々と文官たちを言いくるめていく彼女の手腕は、ピエールの目に鮮烈に焼き付いた。
仕事を手伝い、父親に褒められたくて行ったであろう行為なのは明らか。
それでも彼女が成長した暁には、どれだけ屈服させがいのある女性に育つだろうか。
考えるだけで胸が踊った。想像するだけで魂が身震いを覚えた。
女性が政務へと口を出すのを疎んだ者たち、また、第一夫人を信望していた者によって、彼女は囲われるように王城へと閉じ込められた。
建国記念舞踏会でどこか諦めるように瞳を曇らせていた彼女を見たときは残念だった。
いっそのこと絶望に落としてやろうと、衝動的に配下の者に誘拐をさせた。
結果的にそれは失敗に終わったが、事件後の彼女は、人が変わったようだった。
気高く凛々しく、堂々たる彼女の風格は、国王にすら劣らない。
そんな彼女を屈服させたらどうなるのだろう。
領地が欲しいと言った彼女にピエール公爵が手を貸すのは、当然のことではないか。
領主となり、王城から出れば好きなだけ彼女に圧力をかける事ができる。
荒れ果てたアスセーナの街を彼女がどんな風に復興させるのか楽しみでもあった。
そして復興して自信のついた彼女が絶望する様は、果たして。
「あれから三日、あちらはどうなっていることでしょうね?」
「は…」
カップを片手に優雅に紅茶を嗜む紳士が一人、つぶやきを漏らす。
場所は庭園、ピエール公爵領の中央にある公爵のお膝元だ。
ピアノの旋律を心地よく聴きつつ、彼は片眉をあげた。
「おや、揺れていますよ。もう限界ですか?」
「お、お許しを、公爵様…」
「なるほど?」
「ぐッ…!」
彼の尻の下には、大の男が四つん這いとなっていた。
ぷるぷると震えていた背中に、さらに体重をかけて笑みを深める。
「どうです。これで随分と楽になったでしょう?」
「は!公爵様の椅子になれて光栄でございます!」
「そうでしょう。ならばもっと味わいなさい」
首筋から冷や汗を流す男の姿に、ピエールはゾクゾクした快感を覚える。
ピエール・アウナ・マエストロは生粋のサディストなのだ。
彼は中庭の入り口で物欲しそうに佇む侍従へ視線を移した。
ピエールの視線に気づいた侍従は、頷きを一つ。
「森の猛獣たちがアスセーナの街に向かったという報告は受けております」
「彼女の行方は?」
「そこまでは…」
文献に伝え聞く森の主の子供を捕獲するという大業を成し遂げた人物が頭を下げる。
アスセーナの街が疲弊し、壊滅寸前で子狼を解放するという手はずだ。
食糧を燃やし、退路を断ち、関税をあげて、彼女が最後に頼れるのはピエールだけ。
自分の手が行き届く全ての派閥には、手回しは済んである。
そうして想像を巡らせていると、それが呼び水となったのかーー
「公爵様。イリス・オルタミア様が来訪されました」
「おや、早いですね?」
待ちわびていた人物がやってくる。
猛獣たちがアスセーナの街に向かったと報告を受けたのが三日前。
往復の時間を考えると、まだ五日間しか経っていない事になる。
聡い彼女ならばもう少し粘るのではないかと考えたが。
「いえ。まぁいいでしょう。会います」
森の主を怒らせたのだ。いくら彼女とて純粋な暴力の前には無力。
いち早く領民を助けるために、助けを求めに来たのかもしれない。
中庭から足を運び、来客用の服に着替えてからピエール公爵は応接室へと向かう。
扉を開けると、疲弊した様子で瞑目する女性の姿があった。
太陽のごとき艶めきを持つ髪は汗と泥で汚れ、貴族服はあちこちが破れている。
目の下に現れている隈は、眠れていない事がありありと分かるひどい有様だ。
王国一の美女といっても過言ではない彼女の憔悴しきった様子に、しかしピエールは笑みを絶やさない。
「これはこれは、イリス様。遠いところからようこそおいで下さいました」
胸に手を当てて、大仰に一礼をしながらピエールはイリスを観察する。
じっとこちらを見てくる彼女は頷いただけで、挨拶の一つもない。
屈辱と怒りに呑まれながらも、それをぶつけられないでいる者の表情。
彼女の横にいる『剣聖』もまた、悔しげに唇を噛み締めていた。堪らない。
「さて……一体、どうされたのですか?なにやら、ただならぬ様子ですが」
「知っているのでしょう?」
対面へと座り、渦中の話題を投げかけたピエールにイリスは視線を強めた。
責めるような視線。おどけたピエールは取り合わない。
「卑小なる私には何が起こったのやら…イリス様が大変な状態である事は分かりますが」
「…っ」
彼女は堪え切れないとばかりに表情を歪める。
当然、古き森の侵攻はピエール公爵の仕業だが、証拠を残すようなヘマはしていない。
雇った者たちの大半はすでに始末し、残るは侍従一人と何も知らない『運び屋』だけだ。
「アスセーナの街に古き森の猛獣たちが攻め寄せて来たのよ。おかげで街はひどい有様だわ」
「それはそれは…よくご無事でしたね」
「えぇ。幸い、私には守ってくれる人がいたから。けど、同時に貴方が関税をあげたりするから、余計に大変な目に合っているのだけどね。抗議文には目を通してくれたのかしら?」
「勿論目を通しましたが、これは仕方のない事だと思いますよ。戦争に負けた我が国にメシア教が広められ、それを軽視するという事はカルロールとの関係を悪化させる事に繋がる。それが分からない貴女ではないでしょう?」
本当のところを言えばピエールにとってメシア教などどうでもいい。
ただ彼女を追い込む要素として利用されてもらっただけのこと。
彼女もまた、それを分かっている。分かっていて、さらに問いかけて来る。
「関税の件は、変える気はないのよね?」
「えぇ。ありません」
「元々貴方の領地だったアスセーナの街を見捨てると?」
「今は貴女の領地です。それに、アスセーナの街が無くなった所で、国が揺らぐわけではありませんし」
助けを求める正当性を並べ立てようとするイリスを一蹴する。
ここまでピエールは一切嘘を言っていない。
急上昇して来たアスセーナの街が無くなるのは確かに惜しい。
だが、元々なかったものがなかったようになるだけで、差し引きはゼロ。
さらに言えば、彼女が生きているだけでアスセーナは再興可能だと言える。
ーー今いる領民の全てを見捨てれば、の話だが。
一つ一つ、丁寧に理由を説明して、最後の背中を押した上で、手を差し伸べる。
気高くも美しい彼女の絶望を想像するだけで、胸が高鳴った。
「アスセーナの街は壊滅的。猛獣の被害は大きくて、かといって輸出入もままならない。どうです?この際、領地を返上して貴族に返り咲くというのは?」
「…それが出来ないことは、貴方がよく知っているでしょう」
知っている。そもそも廃嫡同然の扱いを受けて追放された元王女が貴族社会に復帰した所で、権力もなければ王位継承権もない。ただただ血を欲する婚姻道具にされるのがオチだ。
ピエール公爵とて、そんなことは百も承知。顎に手を当てながら薄い笑みを浮かべ、彼は言う。
「よく知っています。ですから、私のところへと助けを求めに来たのでしょう?」
「…助けてくれるというの?」
「勿論ですとも」
驚きの表情を浮べるイリスにピエールは頷きを返す。
雰囲気が弛緩していく中、「但し」と指を立てて、口元を歪めた。
「貴女が第一王子である弟君と婚約されるなら、ですが」
「…っ」
イリスの表情が変わる。
縋り付くような安堵から、堪え難い屈辱と怒りを噛み締めた表情に。
「王家の血は強化され、王位継承争いは無くなり、国は豊かになる。どうです?貴女にとっても悪い話ではないと思いますが」
第一王子と結ばれれば将来は皇太后になれることは確実だ。
貴族社会に復帰が出来て、社会的信用とピエールたちの大派閥に所属する事も出来る。
アスセーナの街を良くしようとするなら陰で操ることも可能だし、商会も運営出来る。
第二夫人やピエール公爵の管理下に置かれる事は間違いないが、破格の扱いだろう。
だがーー
「弟と、結婚、ね…」
イリス・オルタミアは、即答しなかった。
ひきつった笑みを浮かべているイリスの内心が、対面するピエールには手に取るように伝わる。
王女として育ち、婚約の道具として使われることを諦めた唯一折れないモノ。
以前対面した時、彼女が求めているものをピエール公爵は悟った。
愛。
彼女のそれを奪って初めて、ピエールはイリスを屈服させる事が出来る。
視線がちらりと横に向かうのを見たピエールは、さらに追い討ちをかけた。
「それと、『剣聖』殿には、王都の騎士団長なって頂く」
「…んだと?」
「アスセーナの街がなくなり、騎士団は壊滅したのでしょう?なら、二人には別れて貰わねばね」
王女の眉がこれ以上ないほどに引き攣っている。
弱みを見せまいとしつつも、拳を強く握って感情を殺している表情だ。最高に気持ちが良い。
誰にも靡かず、誰にも付かなかった『剣聖』が彼女について行った理由は分からない。
だが、彼にとっても彼女にとっても、互いが特別な関係であることは明らかだ。
文のイリス・オルタミア。武のリディル・アウストロス。
二人を屈服させ、支配出来る喜びを、ピエールは押し隠す。
「…貴方の要求は、それだけかしら」
「えぇ。欲を言えば、貴方には私の派閥に入って活躍して頂きたいですが」
存分に虐めて存分に可愛がって存分に叩き伏せて屈服させよう。
イリス・オルタミア。領民を想うその気高き心を、支配される喜びに落としてやる。
「そう…」
「貴方が望むのなら、アスセーナの街の領民を救出し、食料を配給させ、復興させることもやぶさかではありません。全ては貴女が私の要求を呑んでくれたら、の話ですが」
領民を想う彼女の心は本物だ。慈しみに溢れ、他者の痛みを悲しむことの出来る強さ。
彼女にはそれがある、故に、アスセーナの街が文字通り壊滅する事を選ぼうとはしないはず。
領民全ての命と自分の儚い願い。彼女が選ぶのはどちらか、自明の理だ。
「私も忙しい身の上でして。出来れば早急に決めていただきたいのです」
「…っ」
選択と決断を迫る。
人を追い詰めるときは考える余裕を与えてはならない。
焦燥と不安こそが、判断を鈍らせ、人を墜としていくための最高のスパイスだから。
俯いたイリス・オルタミアの表情は分からないが、ぷるぷると肩が震えている。
「ーー分かったわ」
「…では」
逸る気持ちを抑えきれない。心臓は外に聞こえるほど高鳴っている。
思わず椅子から立ちあがって身体を乗り出すほど、待ちわびた時は近い。
さぁ、見せろ。絶望を、恐怖を、屈服した表情を。
堕ちろ、従え。この私に支配される喜びを与えてやる。
そして満足させろ。これまでの根回しを帳消しにするほどの表情を、今。この時に。
——さぁ!
「なら、やっぱり貴方は潰すわね」
顔をあげたイリスは、にっこりと笑った。




