一人じゃないから
外界を拒絶するかのように閉め切った室内は薄暗闇で満たされている。
ちく、たくと、時計の針の音だけが私と世界を繋いでいた。
自分の部屋へと帰ったはいいけれど、こんな心持ちで寝られるわけがない。
俯いた私は、部屋の端で両膝を抱えて涙を堪えていた。
「さむい…」
腹の中が凍えている。心臓が動いているのが不思議なほど体温を感じなかった。
呟いても誰も答えない。いつも隣にいてくれた彼女も、いない。
「まりぁ…」
最後に、靄がかった視界の中で見た表情が目に焼き付いて離れない。
『気持ち悪い』と言われた言葉が耳に反響して私を離さない。
それなのに、私は今でも心の何処かで彼女を求めていた。
「私は、どうしたら…」
度重なる窮地をどうにかしようにも、領地の関税はあげられ、猛獣の群れが押し寄せている。
外に頼ることも出来ず、自分たちだけで何とかしなければならない。
———だけど。
「いえ…もう、どうでもいいわ…」
私の努力は全て無駄になった。マリアに拒絶されてしまった。
生きる糧となっていた気力すらも奪われて、私は唇を噛み締める。
「私は…」
その時、視界の端で光が見えた。
扉が開いた先にある光に、私の心は否応なく彼女を想起させる。
辛い時、苦しい時、いつも助けに来てくれた女の子。
ずっと一緒に過ごしていた彼女が、私の前にと期待してーー
「よう。探したぜ」
だけどその期待は、すぐに裏切られた。
そこにはフリル付きのエプロンドレスを身に付けた女性ではなく、鎧を身に付けたリディルがいた。
浮きかけた腰をすぐに下ろし、私の心に失望が満ちていく。
「何しに、何でここに…」
リディルに失望したのではない。
あれだけ拒絶されながら、彼女から逃げ出しながら、少しでも期待した自分に失望した。
何を期待していたのだろう。彼女なら助けてくれると思ったのか。馬鹿馬鹿しい。
失意と絶望のこもる私の声を無視して、リディルは私の前に立つ。
「街なら心配ねぇ。俺が鍛え上げた騎士団が根性見せてっからな」
「貴方は、何をしてるのよ…」
本来、この街の誰よりも先に立ち上がって、剣をとるべきだろう。
見当違いの苛立ちを込めた私の言葉を受けて彼は眉間に皺を寄せた。
「言われたんだよ。お嬢サマを頼むってな…あの嬢ちゃんに」
「え?」
彼が言っている人物が誰を差しているのか、すぐに分かってしまった。
そもそも彼が覚えている女の名前など、数えるくらいしかいないだろう。
それよりも、そんなことよりも気になるのはーー
「どう、して…」
「傷つけてしまった自分じゃ、側に居られないんだとよ。お嬢サマを幸せに出来るのは、お前だけだって言ってたな…あいつ、泣いてたぜ」
「ぇ…」
彼女の言葉を伝える彼の声は呆れと怒りが混ざっていた。
眉間に皺を寄せて、立ち塞がる筋骨隆々の男がいつもよりも大きく見える。
「それでお前は、何をしてるんだよ」
「わた、しは…」
失望されてしまった。見放されてしまった。気持ち悪がられた。
彼女の言葉よりも拒絶された記憶が鮮烈すぎて、私は二の句を継げない。
そんな私を見下ろしながら溜息を吐いて、リディルは視線を寝台の方へ。
「聞いたぜ。あの絵、見られたんだってな」
力なく顎を引く。彼は、視線をきつくさせて言った。
「今更聞くけどよ。お前、自分がおかしいって思わなかったのか?」
「…」
「女が女を愛する…結構なことだけどよ。世間サマじゃ、そりゃぁ異端なんだぜ」
「そんなの…」
「女のお前が自分のメイドに恋をして、まぐわってるのを絵にまでしてたらよ。普通、引くぜ?」
「…っ」
分かっていた。自分が普通じゃないって。人とは違うことなんて、分かっていた。
彼の言葉の一つ一つが全て正論だ。正論すぎて反論が出来ない。
自然と視線が下がっていく。暗闇の中の床は助けをくれない。
不意に、満たされた沈黙を破って、彼は「けどよ」と鼻を鳴らした。
「おれぁ、そんなお前に憧れてた」
「…え?」
何を言っているのか。唖然とした私に彼は指で鼻をくすぐる。
「俺は異常なんだ。俺は誰にも理解されないってよ…腐ってた俺に、お前は示してくれた。俺は間違ってないって言ってくれたんだ。何の迷いもなく、躊躇いもなく、世界を変えると言ったお前に…俺は救われたんだ。なぁ、お前もそうだろ、おい」
「はい」
声が聞こえた。彼が首を巡らせた先には、パレアが絵を抱えながら立っている。
どこか怒っているように見える彼女はリディルの隣に並んだ。
眉を下げた彼女は、私を見下ろしながら自嘲げに笑う。
「…私もです。誰も私の趣味を理解してもらえませんでした。お前の絵は気持ち悪い。異端だ。燃やせって…誰も分かってくれなかった。誰も、許してくれませんでした…貴女以外は」
「…パレア」
「見つかったら命が無くなることは分かってました。だけど描きたくて…貴女はそんな冷たい世間から、私を拾い上げてくれた。私に一緒に変えようって、言ってくれました」
一つ一つを噛み締めるように、彼女は胸に手を当てて口元を緩める。
「眩しかった。憧れました。この人みたいに、自分のことを誇れる自分でありたいって…」
「パレア…」
握りしめるように彼女は手を握る。直後に私を見下ろして、厳しい表情になった。
「なのに、貴女は何をしてるんですか」
「…っ」
「わたしに、わたし達に夢を見せたなら、最後まで見させてくださいよッ!」
金切り声のような調子で叫び、彼女は地団駄を踏んだ。
「はっきり言って、わたしには女の子が女の子を好きになる気持ちは分かりません。マリアさんはいい人ですけど…領主様が、どうしてそんな風に見ることが出来るのか…わからないです」
「ぁ…」
「だけどそんなの、領主様はわかってるって言ってましたよね?」
言った。確かに言った。拒絶される時の絶望を知らない純粋な時だった。
理想論だと思う。馬鹿らしいと思う。それでも、私はーー
「お前の覚悟は、そんなもんだったのかよ?」
リディルの射抜くような瞳が私をその場に縫い付ける。
やり場のない怒りをぶつけるような瞳に足が竦んだ。
「でも、私は、マリアに…」
「一度拒絶されたくらいで何ですか?それで諦めるほど、貴女の愛は軽かったんですか」
「…っ」
失望を孕んだパレアの瞳に私は息を詰めた。
「男と女の恋愛でも、同じ相手に何度も振られることなんてざらですよ。けど、諦めないのはなぜだと思いますか?」
「あい、してるから…?」
「そうです。諦めきれなくて、その人が愛おしくて。人は愛を伝えるんです。たった一度拒絶されただけでなんですか。それすらも原動力にしてしまうのが貴女でしょう?」
何が分かると、そう言うのは簡単だった。
パレアに出逢ってからまだ一年も経っていない。
「貴女はマリアさんを諦め切れるんですか?」
「ぃゃ、よ…」
なのに、パレアの言葉は私の胸に突き刺さる。身体に、熱が戻ってくる。
好きだ。愛している。伝えられなかったそれだけの言葉が、私を突き動かす。
「諦め切れるわけ、ないじゃない…!」
たった一人、この世でただ一人だけ『私』のそばにいてくれると言ってくれた女の子。
いつも助けに来てくれて、いつもそばにいてくれて、悲しみも苦しみも溶かしてくれる女の子。
笑顔が、嬉し顔が、泣き顔が、拗ねた顔が、怒った顔が、全てが愛おしくて堪らないのだ。
「なら選べよ。イリス・オルタミア」
仁王立ちのリディルが私に手を差し出してきた。
ごつごつしていて、好きにはなれないけど、暖かな手が。
「お前は一度拒絶されたくらいで心が折れるヘタレか。それとも、何度折れても諦めずに立ち向かう、俺たちが憧れた大馬鹿野郎か?」
「わたし、は…!」
どくんッと心臓の鼓動が跳ね上がり、全身に血が行き渡る。
込み上がってきた涙は悲しみのものではない。蹲っている自分が情けなかった。
「選んでください。イリス様」
優しげな顔立ちをしつつも、芯を持つパレアの手が差し出された。
「貴女はわたし達に夢を見せておいて自分は諦める口だけ女ですか。それとも、言葉と行動で世界を変えて、同性の想い人に愛を伝える百合姫ですか?」
「…っ」
何の為にここまでやってきた。何の為にここまで戦ってきた。
領地と、領民と、商会と、貴族と、戦ってきたのは何のためだ。
握っていた拳を開く、震える膝を動かし、私は顔をあげた。
ーーもう迷わない。もう泣かない。もう、諦めない。
「…私はマリアが好き。彼女を愛している。それを伝えないままに終わるのなんて嫌よ」
「そうだな。ちゃんと伝えないままに諦めるほど馬鹿らしいもんはねぇ」
「なら、貴女はどうするんですか?」
「そんなの、決まってるわ」
二人の顔を見つめる。私が口元を歪めると、二人ともがニヤりと笑った。
手を取られて引き上げられる。かつて私が、二人にそうしたように。
「私は諦めない。マリアが好き。それを伝えたい。だから…こんな逆境、乗り越えてやろうじゃない」
また拒絶されるかもしれない。失恋するかもしれない。だけどまだ、ちゃんと伝えてない。
あの子からちゃんと聞いて、ちゃんと失恋して、もう一度告白しよう。
そうすることで、私はちゃんと前に進める気がする。
「それでこそ、だぜ。お嬢サマ」
「ですね。蹲っているのなんて、らしくありませんよ」
肩を竦めた二人に私は微苦笑をこぼす。
心が再度燃えたところで、私はリディルに問いかけた。
「それで、マリアはどこ?どこで会ったの?」
「あ〜…それな」
リディルは後ろ頭を掻いてばつが悪そうにする。
歯切れの悪いその口調に私は嫌な予感が胸に過ぎり、『剣聖』は息を吐いた。
「俺の代わりに猛獣の群れを引きつけてる。今頃、戦ってるはずだ」
「はぁ!?」
彼はそう言って、私はすぐに部屋を飛び出した。




