亀裂
「今回は今までで一番上手く描けましたよ!」
「そ、そう?じゃぁ見せてもらおうかしら」
地下室に辿り着いた私をパレアは喜び勇みながら迎えてくれた。
待っていましたとばかりに笑顔を見せて、パレアは封筒の中から絵を取り出す。
「…っ」
差し出された絵を見て、私は息が詰まった。
そこにあったのは今までのような卑猥な事が描かれている絵ではない。
ただ互いに手を握り、街中を走りながら笑顔を見せている絵だ。
互いが互いを想っている様子が、その絵を通して伝わってくる。
これまでで一番幸せを感じる絵だった。
「これ、あの時の?」
「はい。領地の視察に付いて行かせて貰った時です」
「そう…」
貴族の婚約や領地のあれこれで疲れていた身体に、この絵は染み込むように入ってくる。
胸が熱くて、ぽかぽかする。心の痛みを溶かしてくれるような癒しに、涙が出てきた。
「あ、あの、領主様…?」
心配そうに顔を覗き込んでいるパレア。
私はお手拭きで涙を拭って、嗚咽を呑み込んだ。
「なんでもないわ。ちょっと、貴女の絵に感動しただけ」
「そ、そうですかぁ?えへへ…」
本当なら額縁に飾って眺めていたいほど。
だけど、独り占めにしたい気持ちもあるから、これは私の宝物にしよう。
「ありがとう。パレア」
「や、やだなぁ…改められると照れますってぇ」
目を丸くしたパレアはすぐに相好を崩して頭を掻く。
彼女のそんな姿に微笑ましく思いつつ、私は息を吐く。
パレアが描いているものを見て回り、いくつか話した後に背を向けた。
「じゃぁ私はいくわ。まだ執務が残ってるから」
「はぁい。いつもありがとうございます、領主様」
微笑みを交わし、私は閉まった扉を背に歩いていく。
「早く終わらせないと…ただでさえ貴族の茶会で遅れているのだし」
ここ最近、マリアと話をする時間すらも削られている気がする。これじゃだめだ。
特に貴族関係を早く終わらせて、領地を整えないと。
「けど、まずはこれを隠さないとね」
ただ同性同士で手を繋いでいるだけだから隠さなくてもいいかもしれない。
けど、何が致命傷になるのか分からないし、万全を期したほうがいいだろう。
ただでさえ、この国は同性愛を禁止されているのだ。
内心で結論を下し、私は寝室へと足を踏み入れる。
そこには、寝室を掃除している途中だったマリアがいた。
「ぁ…」
心臓が跳ねて、頬が熱くなった私は呼びかけようと口を開きかけてーー
硬直する。
マリアの手の中には、私が隠していた百合絵があった。
女と女がまぐわっている様を、私とマリアをモデルに描かれた、絵が。
「ーー気持ち悪い…」
世界が止まった。
徐々に色彩を失い、世界が色あせていく。
胃を直接引っ張られるような不快感と痛みが込み上がってきた。
震える手から力が抜けて、私の手の中から絵が落ちていく。
その音に反応したのか、マリアがハッとした様子でこちらに振り向いた。
止まっていた時間が動き出し、マリアの声が私の鼓膜を震わせる。
「お、お嬢様…」
「ま、りあ…」
彼女の顔を見る事が出来なかった。
たった今、気持ち悪いと、そう言われたところで。
どのような事を言えば分かってくれるのか、分からなかった。
「お嬢様、この絵は…」
「ぁ、そ、それは…」
絵を握ったまま、感情を感じさせない声音でマリアが問う。
私は胸をきゅっと握りしめたまま釈明しようとするけど…何も言えない。
「お嬢様、このような絵がこの下に隠されていました。何かご存知ないですか?」
「そ、それは、……しが、パレアに」
「パレア?」
眉を震わせて、マリアの顔が徐々に冷たくなっていくのを感じる。
「どういうつもりなのでしょうか…このような、お嬢様に仇を為すような事を…」
「あだを、為す?」
「このような絵が見つかれば、お嬢様に醜聞がついて回るようになります。女同士でこのような…もしほかの貴族様に渡った事を考えると、怖くて堪りません」
「ま、待って、マリア…」
「お嬢様はご存知だったのですか?これを…」
問い詰めるような声に、私は力なく頷いた。
マリアがどんな表情をしているか分からないけど、今は顔を見るのが怖かった。
「…お嬢様はお優しいので、パレアを庇ってあげたのですね」
「え?」
見当違いのことを言われて私は固まる。
ここで全てをパレアになすりつけるのは簡単だ。
簡単だけど、それをやってしまえば、私のマリアに対する思いを否定することになる。
「ち、ちが…」
「庇わなくてもいいんですよ。お嬢様…お優しいのは美徳ですけど、パレアは自覚が足りません」
「あ、ま、まって…」
歩き出したマリアを私が止めようとする。けど、その先を言う事が出来なくて。
何も言えないのが悔しくて、情けなくて。苦しくて。
「お嬢様のお手を煩わせるまでもありません。私がしっかりと」
「やめてッ!」
胸の前で拳を握って決意表明するマリアに私は金切り声を上げた。
涙が溢れた視界の中で、彼女の戸惑ったような様子が胸を締め付ける。
「お嬢様…?」
「そ、その絵は…」
意を決して、本当のことを言ってしまえと、私は口を開いた。
「私が、パレアに、頼んだの、それを、描いてもらうようにって」
「お嬢様が…?」
いやだ。やめて。そんな顔しないで。
「パレアは悪くない。私が、私が悪いのッ!私がその絵を、」
「お嬢様、パレアを庇わなくても」
「庇ってないッ!」
違う、言いたい事はそうじゃない。なのに喉からそれは出てこない。
声を張り上げた私に、マリアは私の言っている事を信じたようだ。
戸惑ったように瞳を揺らして、絵と私に視線を行き交わせた。
「どう、して…?」
「ぁ、それは、その…」
たった一言。たった一言が、自分の全てなのに。
これまでの全てはそのためにやってきた事なのに、私は言葉を継げなかった。
気持ち悪いと、言われた。嫌われた。幻滅された。失望された。
今ここで想いを告げたとしても、マリアは受け入れてくれない。
今の関係が壊れるのがいやで。それでも、今の状況を変えたくて。
致命的なまでに事態が発展した今なら、どの道結果は見えているのだろうけど。
「わ、わた、しは、貴女が…」
「…お嬢様?」
顔が熱い。マリアの顔が見れない。滲んだ涙が邪魔だ。
だけどそれを拭うでもなく、さりとて、想いを告げるでもなく。
冷え切ったくせに高鳴る心臓の音が、悪夢のように耳に張り付いていた。
「……………ごめんなさいッ」
「お嬢様!?」
逃げた。
マリアの声を無視して、私は背を向けて走り出す。
部屋を出て廊下を走って進む。孤独で震えそうになる冷たい廊下を。
逃げた。
すれ違う使用人にギョッとしたような顔をされたけど走り続けた。
そもそも、涙で滲んだ視界はそれが誰かも分からなかった。
逃げた。
無我夢中で走った。全身から汗が滲み出て呼吸が荒くなる。
貴族とは程遠く、優雅さの欠片もなく、ただ走って逃げ続けた。
「ハァ、ハァ、ハァ…う"ぅ…っ」
走り続けた末に、私は道端の石につまづいて転んでいた。
石ころが裾に引っかかる。荒立つ息は落ち着こうとはしない。
ぽろぽろと、止まって欲しいのに、こぼれ出た涙は止まらなかった。
想いを告げる事すら出来ず、マリアからも、自分からも、逃げたのだ。
『ーー気持ち悪い…』
たった一言なのに、その一言は私の心を深く抉りすぎた。
ぽつ、ぽつと、雨が降ってくる。道に生えていたアウローラの花が雨露に濡れていた。
「花言葉は、『叶わない恋』……」
ぽつりと、頭に浮かび出た言葉が喉をつく。
当たり前だったのに、分かっていたはずだったのに。
同性の女の子に恋をするという事が、どういう事なのか。
こういう事になると、分かっていたはずなのに。
世界を変えると言って、逃げるように領地を貰って。
リディルやパレアに言った私の言葉は、穢れを知らないからこそ言えた甘い理想論だ。
「ばか、みたい、私…ぐすっ…う"ぅ…」
それでも諦めたくなかった。それでも彼女が好きだった。
あの子のためなら、どんなことでも頑張れると思っていたのに。
他ならぬ彼女に拒絶されて、私の心はどこまでも冷めていく。
身体に染み込む雨は、私に現実の非情さを教えるかのように降り続いている。
立ち上がった私は泥に変わりかけの土を払い、屋敷に向かって歩いていく。
マリアはもう、私のそばにいない方がいいだろう。
同性が好きで好きな人の裸を絵に描いてもらって喜ぶような変態は、近くにいない方がいい。
彼女と別れなければならない事が嫌で、嫌で嫌で嫌で堪らないけど。
だけど、拒絶されてそれでもそばに居たら、死ぬよりも辛くなるから。
覚束ない足取りで領主の館へと帰る。
扉を開ければ、どこか右往左往している使用人や役人達の姿があった。
「ーー領主様ッ!!」
役人達は私の姿を見るや否や、一目散に駆けてくる。
だだっ広い玄関ホールを駆けてきた彼らは私の前に来て息を落ち着かせた。
「領主様、その姿は…」
「…気にしないで。何があったの」
声に力がない事は自分でも分かった。虚ろな問いかけに、しかし役人は気にしない。
咳払いし、怯えの混じった様子で、それを言った。
「ぴ、ピエール公爵領からの通達です。アスセーナから輸出入される全ての商品・作物において、関税を今までの半倍まで引き上げると」
「…なんですって」
アスセーナの街は元々ピエール公爵領だった。
南にあるクォーツェルトを覗けば、アスセーナと面している他領はピエール公爵領だけだ。
南を経由していけばそれだけ運用費、人件費などがかさみ、商売どころでは無くなる。
そうなれば、これまで調子の上がっていたアスセーナの経済は再び地に堕ちる事になる。
茫然自失とした今の私にも、その事態の重さが理解出来た。
目を丸くて言葉を失っていた私は、嘆く役人に問いかける。
「……理由は?」
「なんでも、メシア教会への寄付金を下げて領地を潤している事が、国を侮蔑しているとかで」
「は?」
国教にもなっていない宗教でその理由をあげる意味が分からない。
いや、おそらく理由はなんでもいいのだろう。ピエール公爵が私を潰そうとしているだけだ。
「至急抗議文を。寄付金は下げただけであって無くしているわけじゃないと。アスセーナの街を立て直すためにやっているだけだと言いなさい」
「しかし、それで…」
「気休めなのは分かっている。ひとまずそれしかないから、やりなさい」
「わ、分かりました」
はっきり言って今は領地のことなど考えられない。
ここまで歩いてきた責任感だけが、私を動かしていた。
その直後、だんッ!と激しい音が響き、扉が開かれる。
「も、申し上げます!」
「今度は何なの」
扉を開けて入ってきたのは雨で鎧を濡らした騎士だった。
荒立てた息は役人よりも荒く、肩で息をしていた男性騎士は敬礼する。
「《古き森》から、猛獣の群れがアスセーナに向かって来ています!」
「な…っ!?」
その場にいた全員の視線が、一点に集められ、張り詰めた静寂が満ちていく。
驚愕で二の句が継げなかった私は騎士のところへと歩み寄った。
「り、理由は?原因は分かっているの?」
「分かりません。ただ、騎士三人で一匹を対処する猛獣の数は二百を超えていますッ!」
「〜〜〜〜〜っ」
どよめきが広がっていく。
アスセーナの街にある騎士団は精強になって来たとはいえ、未だ数は多くない。
せいぜいが百人いればいい方だと思う。リディルがいれば、それでも足りる?分からない。
衝撃の連続に頭がふらついて倒れそうだったけど、私は何とか堪える。
「すぐに騎士団に通達。アスセーナの住民の避難が最優先事項よ。半数を割り当てて。それから、もう半分で猛獣の群れからアスセーナを守ります。騎士団長に連絡は?」
「既に。ですが、その…」
「はっきり言いなさい」
歯切れの悪い騎士への苛立ちを抑えながら私は続きを促す。
すると、彼は悔しげに歯噛みしながら言った。
「ひ、非常時のため領地の食糧庫が荒らされています。恐らく、避難民全員の食糧は…」
「な、なんで」
「侵入された後がありました。警備の騎士は既に亡く、犯人は分かっていません…」
「立て続けに…っ」
悪いことは続くというが、続きすぎではないか。
ドミノ倒しのように崩れていく現実に目眩を覚えるが、マリアに拒絶された悲しみの方はそれよりも大きかった。私は冷淡とも言える声音で騎士に指示を出す。
「子供と大人達を優先に。私や役人は最低限でいいわ。街の一番奥にあるこの屋敷に避難させなさい。当たり前だけど屋敷の食糧も全て放出。騎士団は死守よ。門が破られれば、この街は終わりだから」
「はっ!」
「貴方達も避難誘導を手伝いなさい。執務室や私の部屋以外を解放とします」
「わ、分かりました。領主様は…」
「私は、抗議と救援の手紙を…」
部屋へ向かおうとして、私はふらついた。
倒れかけた身体を、役人の一人が抱きとめてくれる。
「りょ、領主様…すごい熱です!」
「ぇ…?」
聞き慣れた声が耳に届いて、よく見れば、リチャーズが焦った様子で私の額を触っていた。
その言葉に顔色を変えた役人達は、手早く私を引き渡す。
「シュバルツさん、お願いします」
「受けたまりました。お嬢様、こちらへ」
「で、でも、まだ…」
「貴女がいなくなればこの街は終わりです。これまで一番領民のために心身を削られた事は皆が知っています。ご無理をなさらないでください」
「わたし、は…」
周りを見渡すと、使用人や執事、役人達は信頼の篭った眼差しで見ていた。
「ーーっ」
その期待に、信頼に、私は息を詰まらせる。
彼ら彼女らにそんな目をさせてしまったのは自分だ。
けど、私は彼らが期待しているような、知っているような人間じゃない。
好きな女の子に振り向いてもらいたくて。ただ、彼女とずっと一緒にいたかっただけだ。
なのにその子に拒絶されて、体調を崩しているような愚か者。それが私ーー。
「じゃぁ、そうさせてもらうわ。少しの間…頼んだわよ」
「はい!」
今も、彼らの信頼に甘えて、逃げようとしている。
拒絶された悲しみに、絶望に、明日を迎える恐怖に、身体が竦んでいた。
「ごめんね…」
「お嬢様はよく頑張っておられます。亡きお母様も見ていらっしゃいますよ」
「…」
シュバルツが拾ってくれた言葉に、私は何も言えなかった。




