婚姻交渉
アスセーナの街が目に見えて復興の兆しが見えて着た頃。
楽しかったデートの三日後に、貴族達から茶会への紹介状が届いていた。
「『……雲に隠れた月は私の心を沈ませるばかり。貴方の光で照らしてはくれないだろうか』」
「完全に婚姻の誘いじゃない…」
長ったらしく仰々しい前置きの後の結びの言葉に私は息を吐く。
その手紙を読んでいたパレアは、頬を赤くしながら手紙をしまい込んだ。
「領主様、モテモテですね」
「全く嬉しくないわ」
アスセーナの街が目に見えて良くなっている事、また、他領に進出しているアスセーナ商会主が私ということもあって、私の婚約価値は高まってしまったらしい。
この街の復興を目ざとく見た貴族達から、競うように私に茶会の誘いが来ていた。
「ですが、明確にそう書かれていない以上、いくつかの貴族とは会っていただかないと…」
「分かってる…だから、面倒なのよ」
人と人との繋がりは生きる上で武器になりうるし、領地に繁栄をもたらすものだ。
いくら嫌だと言っても…嫌で嫌で嫌で嫌で仕方がないことだとしても、全てを断るわけにはいかない。けど、やはり男性は嫌いだ。私の身体ばかり見つめて…見栄や誇りばかり大事にする。
「私がこの領地に来た時は見向きもしなかったくせに…現金な奴らね。本当、嫌になるわ」
「お嬢様…」
首元のブローチを触りながら息を吐く私に、マリアが心配そうな顔をする。
とはいえ、無視するべきではないのも事実なので、私は幾人かと会うことにした。
仮にも私は公爵のため、領地を離れずに済んだのはよかった。
最初にコンタクトを取って来たのは、アスセーナの南に位置する領地。
クオーツェルトと呼ばれる場所だ。伯爵が治めている土地であり、カルロールとの戦争で前線に近かった為、戦争の影響が強い土地と言える。
そんなクオーツェルトが急激に成長するアスセーナと結びつきを持ちたいのは当然だろう。
王族という血を引いている領主がいるのなら、尚の事。
返事を出してから三日後、茶会の部屋に男がやって来た。
貴公子を思わせるすらりとした顔立ち、穏やか顔つきは人の良さを表しているように見えなくもない。軍服を思わせるぴっしりとした服装に身を包んだ彼は、羽付き帽子をとって胸に当て、跪く。
「イリス・オルタミア=アスセーナ様。ご尊顔を拝見する事をお許しください」
「許します」
「クオーツェルトの領主、サニエル・ウォルドと申します」
「ご機嫌よう。サニエル様。イリス・オルタミア=アスセーナですわ」
互いに挨拶を交わし、彼を席に促して私は入れてくれたお茶を口に含む。
「今回は茶会にお招き頂き感謝致します。貴女と話せる事を心待ちにしておりました」
「あら、お世辞が上手ですこと」
「お世辞ではありませんよ。貴女のお噂はかねがね聞き及んでおります」
じっとこちらを見てくるサニエルに対して私は扇子で口元を隠す。
クオーツェルトは戦争の影響もあってか、第一夫人派でも第二夫人派でもない。中立派の筆頭だ。
貴族社会から離れているからこそ、最初の情報収集として都合が良いと思ったのだけど。
「噂、ですか。以前から市井に広がっているのは聞き及んでおります」
「殆ど瓦解していたアスセーナの街を立て直し、領民を豊かにさせ、しかも、各町で薬品の大手に躍り出たアスセーナ商会の会頭。貴女は今や、時代に風を吹かせる『賢女』ともっぱらの噂ですよ」
「まぁ…」
露骨に持ち上げるでもなく、落とすでもなく、淡々と事実だけを述べたサニエル。
おだでているのか、こちらの判断に任せる彼の意図が分からない…けど。
「買いかぶりすぎですわ。私はただ、持っている知識を活用しただけ。もしも私がそのように称えられるのなら、その知識を残してくれた先人たちこそ讃えられるべきでしょう」
「知識は活用次第で薬にも毒にもなる。謙遜をなさらないでもいいのですよ」
「…ではその賞賛は受け取っておくことにしましょう」
「そうしてください。ところで、アスセーナ商会の王都進出は、いつ頃に?」
「…さぁ、それは申し上げられませんわ」
「そうですか」
ダメ元だったのだろう。肩を竦めた彼は少しだけ雰囲気を和らげる。
けれど、直後に彼は私に対して問いかけて来た。
「ところで、公爵様は現在、ご自信のメシアになられるような方は?」
「…あら、唐突ですのね」
話題の転換に私は鼻白む。
メシア教の教えの一つに、始祖となる女を男が助けたと言う教えがある。
その女と男は結ばれ、生涯を共にしたという。つまり、伴侶はいないのかという問いだ。
まどろっこしい話しは好きではないけど、貴族である彼がこうも直裁的に言ってくるのが意外だった。
「貴女のような大輪の花を前にして、高ぶらない男などいませんよ」
眉を動かした私に彼はそう言って微笑む。
整った切れ長の眉から放たれるその笑みは、並みの女性なら胸がきゅんとするところなのだろう。
「私は公爵ですよ?」
「確かに。ですが、王位継承権を放棄して、貴女は自由を得たはずです」
「…」
確かに、実質的な廃嫡で領主となった私は好きに婚姻を結ぶ事が出来る。
伯爵である彼が私に婿入りすれば、彼の領地は影響力が強くなる。
それは分かるけど、こういった話はもっとちゃんとした場で行うべきではないのか。
「私は女性に対しては真剣に向き合いたいのです。私は一目見て貴女に心を奪われてしまった。たとえ、裏に政治的な理由があろうとも、私は女性を道具のように扱いたくはない」
私の沈黙を見て取ったのか、サニエルはそう言って肩を竦めた。
「私に貴方と婚姻を結ぶメリットはないと思いますけど」
「損得で考えるのではなく、私と向かい合ってほしいのです。貴女が隣にいてくれたなら、私はどんな困難も乗り越えられる。貴女を守れるように精進するつもりです」
「お上手だこと。けれど、私は貴方に守られるほど弱いつもりはなくてよ?」
「ですが、貴女がこれから成そうとする事を思えば、私たちの力は必要では?」
「どう言うことかしら…?」
油断なく彼を見ながら首を傾げると、彼はどこか面白がるように言った。
「どうもこうも、これから王都に切り込み、貴族社会に復権しようと思っているのでしょう?」
「はい?」
思わず、貼り付けていた笑みが抜けて素っ頓狂な声が出た。
…扇子で口を隠していてよかった。
「アスセーナの街を復興し、領地を整え、商会を立ち上げて貴族社会に切り込む。見事な手腕です。これほどの方が、このような辺境の地で終わるわけがない。何か意図があるのは分かりますよ」
からからと笑いながら、彼は私の行動をあげつらった。
…そんな風に見えてたのか。けど、私は領地を潤す事以上の意味なんてない。
「そんなつもりは…私は貴族社会に戻るつもりなどありません」
「ご謙遜を。貴女ほどの人物がこの辺境の地で終わるはずがない」
…貴方が私の何を知っているっというの?
そう思ったけど、今は領主としてこの場に座っている。
張り付けた笑みを纏いながら、私は首を振った。
「私の目的はこの領地を豊かにし、領民たちに余裕のある生活を送らせる事。それ以上の意味はありませんし、王女としての立場に未練も後悔もありません。分かってくださって?」
「…ふむ」
私の言葉の意図を掴みかねているように、彼は美麗な顎をさする。
そのまま受け取ってくれればいいんだけどね。ていうか受け取って。
「そう言う事にしておきましょう。ですが、第二夫人へ復讐したいとは思わないのですか?」
「復讐、ですか?」
ぞわりと、背筋を舐めるような悪寒が走る。
私がそれについて何かを言うよりも先に、彼は言った。
「第二夫人には第一夫人殺害の疑いがあるのはご存知でしょう?」
「…っ」
告げられた言葉に私は硬直する。
そのこと事は王城でも噂されていたから知っている。
第一夫人派がその証拠を掴もうとしているのも知っていたけど…
「あくまで噂に過ぎません。私にここでそれを言う意味を、貴方は分かっていらっしゃるの?」
「…口が過ぎましたね。ですが、火のないところに煙は立たないとは言うでしょう?」
微苦笑した彼は私を見据える。獲物を狙うようなその目に、私は思わず肩を震わせた。
「ですが、私たちが協力すればそう言うことも出来ると、それだけは知っておいてください」
「…ここまで話したのですから、腹の探り合いはやめましょう」
私は問いかける前にそう言って前置きする。
ここまでの話で既にぶっちゃけた話をしている気はするが、念の為だ。
それに、私だけが探られているみたいで胃の中がむかむかする。
「貴方の目的は何なのでしょう?私に見惚れたと言っていましたが…それだけではないはずです」
「…本当に貴女は賢い女性だ」
諦めたように息を吐き、彼は両肩を竦める動作をする。
すっと、私を見る目の色に暗い光が宿ったのを見て取った。
「私は気に入らないんですよ。大勢が決まった風に踏ん反り返っている人たちが」
「は?」
その冷たい声音は、まるで彼が別人になったかのようだった。
私は目を見開く。彼は重かった仮面を脱ぎ捨てるように髪をかきあげた。
「知っての通り、私の領地は戦争の影響を強く受けた土地です。それこそ、アスセーナの街の次に被害があったほど荒れ果て、領民たちは飢えを凌いでいました…父も、その時に死んでしまった」
二十年前のエルヴァン王国とカルロール王国の戦争は、アスセーナの北側にある鉱山の利権を巡っての事だった。全く手付かずの金鉱脈の発見は、国と国とを争わせるほどの戦争を起こしたのだ。その影響を最も受けたのがアスセーナ。そして、南にあるクォーツェルトだった。
「私たちの領地が一丸となり食い止めたからこそ、敗北こそすれこの国は形を保つ事が出来ています。にも関わらず、その戦争を利用して足元を固め、第二夫人と手を組んで台頭してきたのがピエール・アウナ・マエストロ公爵です。ご存知ですよね?」
「えぇ…」
「戦争が終わった直後のピエール公爵の動きはあまりに巧すぎた。私たちが体制を整える前に根回しを終わらせ、戦争の被害が少なかったこともあって、領民たちに影響もなかった。そして第一夫人…貴女のお母様が亡くなられた事によって、彼はいつのまにか貴族社会の頂点に立っていた」
美麗な顔立ちをしている彼の年齢は三十代に届かないと言ったところか。
戦争の終結が二十年前だから、彼は十代で戦争に奔走される親の姿を見て育ったのだろう。
「本当ならば、戦争の功労者である父やその他の者達にもっと褒賞があってもいいはずです。ですが、戦争は負けて保証もなく、領地をあまりに傷つき過ぎた。立て直すには時間が必要でした」
にも関わらず、戦争で全く傷の付かなかったピエール公爵が台頭している。
その事が、心の底から気に喰わないと彼は言う。
…まぁ、気持ちは分からなくはないわよね。
「もしかしたら、あの戦争そのものがピエール公爵の…」
不穏すぎる呟きを漏らし、ハッと見開いた彼は首を振る。
「いえ。とにかく…私はそう言う理由でピエール公爵とその派閥が気に入りません。時勢を見て中立派に属してはいますが、貴女が呼びかければ動くでしょう」
「そのために、私が…いえ、王家の血が必要だと言う事ね」
「恐れながら」
微苦笑しながら言った彼は首を曲げた。
その目を見つめながら、私の胸に失望が広がっていく。
口ではなんだかんだと言いつつ、男はいつもそうだ。くだらない権力争い。見栄の張り合い、蹴落としあい…貴族はそんなものだと言わればそうかもしれないが、うんざりする。
「先ほど、道具として扱うような事はしたくないと言っていたのにね」
「貴女に懸想しているのも嘘ではありません。むしろ、こうして話してみてその気持ちはますます強くなったと言っていいでしょう」
「…私は」
「よく考えて見てください。貴女なら分かるはずだ。このまま第一王子が即位すれば、我が国はピエール公爵のものとなる。そうなれば、貴女も領地を取り上げられて婚姻の道具にされるかもしれないんですよ?」
「そんな事は分かっているわ。だけど、」
「この領地を豊かにする事が目的なら、長い目で見れば後ろ盾は必要です。最悪、アスセーナ以外の全ての領地が敵に回ってもおかしくはないのですし」
「……私が貴方の気持ちをピエール公爵に漏らすとは考えなかったの?」
貴族社会の中で裏切りは何も珍しくはない。
執事や侍女、果ては護衛に至るまで自分を監視する敵だと思わなければならない。
私はそれをパーティの席で見飽きていた。
「仮に貴女がそれを公爵に言ったとして、行動に移していない私を断罪する事はいくらピエール公爵でも無理でしょう。証拠もないわけですし」
すっと目を細めた彼の言葉に私は内心で溜息を吐いた。
予防線を張っているというか、安全だと判断してから足を踏み出すタイプか。
だからこそ中立派として慎重に時勢を見極めているのだろうけど…
私は張り付けた表情をますます深めて、にっこりと笑う。
「私、貴方が嫌いみたいだわ」
「それは残念。ですが、これからの事は誰にも分かりませんので」
正直に心境を吐露した私にもめげずに彼はそう言ってくる。
これ以上話したくない気分だった私は、カップを置きながら言った。
「今日の茶会は終わりとしましょう」
「そうですね。私の話、熟考して頂ければ幸いです」
「考えておくわ」
彼の表情をまともに見ないまま、私は挨拶を交わす。
立ち上がり、彼が去った後の茶会の部屋で、私は拳で机を叩いた。
◇
その後も、茶会の名目で私に求婚を迫った貴族たちは数知れなかった。
社会の為、貴女の為、家柄の為、領地の為、彼らが言っている言葉は本質は同じだ。
私を求めているように見えて、私のことは何も考えずに自分の欲望だけを満たそうとしている。
『私』が好きなものを聞いた人は、一人としていなかった。
…正直に心境を吐露したサニエルが一番マシだったと言えるほどだ。
「はぁ、男なんて、どいつもこいつも同じよ」
「何言ってんだ。男も女もねぇ。貴族なんてあんなもんだろ」
あんたが変わっているだけだ、お嬢サマと、突きつけるリディルに私は微苦笑。
「そうかも知れないわ」
「しかし、お嬢様の本当の魅力が分からない方々ばかりで困りますね」
マリアのそんな言葉に、机にぐったりと頬をつけていた私は首を向ける。
「…マリアは、私が結婚した方がいいの?」
「私はお嬢様に素敵な殿方と幸せになって欲しいと思っています」
茶を運んで来たお盆を胸に抱きながらマリアは眉を下げる。
若干リディルの方を気にしてるようなそぶりを見せているが、なんだろう。
分からないけど、私にとってその言葉は聞きたいものではなかった。
「もう…邪魔ばかりするわよね。貴族って」
「それを承知の上で領主なんてのをやってるんだろ。諦めろ」
「むう」
ソファに座りながらカップに口をつけるリディルに私は唇を尖らせる。
霧がかかったように胸がもやもやする私は深く溜息を吐いた。
「今日はもう終わりにするわ。明日、仕切り直しましょう」
私はそう言ってみんなを解散させて部屋に戻り、扉に鍵をかける。
マリアはお風呂に行っており、私の楽しみを邪魔する者はいない。
「なかなか、現実は思い通りにならないわ…」
自分と好きな人が描かれた絵をゆっくりとなぞる私は側から見れば気持ち悪いかも知れない。
けど、こんな風に自分を慰める事でしか、私は自分を抑える事が出来なかった———。
◇
「そうですか。確保出来たのですね?」
「えぇ。こちらもかなりの死傷者を出しましたが、無事に」
「宜しい。根回しと下準備の方は?」
「全て滞りなく」
「宜しい。なら、十日後に実行に移しなさい」
「本当にやるのですか?下手をすれば…」
「それで潰れるのならそれはそれで一興。逃げ道は用意してある。彼女が自分を殺して領地を守るのか、自分の矜持を保ったまま領地を道連れにするのか…興味深いではありませんか」
密室の中で交わされる二人の人間の会話。
愉悦に満ちた声は怖気が走るほど無邪気で残酷だ。
しかし、もう一人がそれに抗うはずもなく、迷いを捨てて頷いた。
「仰せの通りに。我が君」
「そういえば、あなたには前回と同様無茶をさせましたね」
「いえ、この程度は…」
「我が国が建国される前より古くからある森の神域に立ち入ってこの程度はないでしょう」
「…は」
「ご褒美をあげなければなりませんね」
優しく甘美な声にかけられた声の主は震えた。
待ち望んだ時を噛み締めるように唇を結び、顎を引く。
「こちらへ来なさい」
「はい…」
顎に手を当てられた人物は陶酔した声を上げて立ち上がる。
言葉を交わしてた二人は、声もなく奥のベッドへと消えて行った。




