愚か者の末路
玄関扉から歩き出した私にマリアは慌てた様子で駆け寄って来た。
「お嬢様、だめです。まだ敵がいるかもしれません」
「いやよ。貴方が危険な場所にいるのに、どうして安全な場所にいられますか」
「お嬢様…」
嬉しいとも、悲しそうとも取れる瞳を揺らす彼女の頭を撫でる。
愛おしさがこみ上げて来て、背中に手を回して抱きしめた。
「ぁ…」と漏れ出た声に、私は頬を緩ませ、身体を離す。
「貴方が無事で良かった。もう、置いていかないで頂戴」
「…申し訳ありません、お嬢様」
「いいのよ。全ては馬鹿みたいな音を出したリディルが悪いの」
「ぁあ、俺か!?」
驚いたように目を見開いて抗議の視線を向けてくるリディルに、私はひと睨み。
「貴方なら音もなく完全に殺せたでしょう。どうせ、屋敷に入った時点で気づいてたんでしょ?」
「まぁな…けどよぉ」
「言い訳は許さないわ。大体、もう少しで…」
言葉を紡ごうとして、私は轟音が鳴る前の出来事を思い出して頬を熱くする。
あの時、自分の身体が自分のものじゃなくなったみたいに、身体がマリアを求めていた。
…だめよ。あれは、本当にだめ。あれじゃ発情した雌みたいじゃない!
「そういえば先ほど、お嬢様はどうして私の寝室に?」
そこに、無邪気なマリアの問いかけが、投げられる。
幸い、私にしか聞こえないような距離ではあるが、それは、並みの聴覚での話。
耳ざとく聞きつけたリディルが、にやにやしながら近づいてくる。
「ほほう。そいつぁ俺も聞きてぇな。俺が侵入者とやり合ってる間に、お嬢サマは何をしてたって?」
「〜〜〜ッ、今回だけは不問よ。良くやってくれたわ!ありがとう!それよりもッ!…」
慌てて話を逸らして、全てをリディルになしつけた私は山賊達を見やる。
「どうせセロースの刺客だろうけど、あいつは近くにいるの?」
「あ、あぁ、あとでここに…」
そう、山賊が自供しようとしたその時だった。
馬の蹄と嗎きが聴こえて、マリアは反射的に私を隠す。
直後、屋敷の門扉に馬に乗ったセロースが現れた。
『あ』
互いに口を開き、存在を視認したのは数瞬の時間。
血と内臓になった肉塊や尻餅をついた山賊達を見て、彼は状況を悟ったようだ。
瞬時に馬を翻して、来た道を逆に戻り始めた!
「捕まえなさいッ!」
「おう!」
リディルに指示する。足元の地面が凹んで彼の姿が消えた。
鈍重な剣も、背負う足手まといもいない状況で、彼の足は瞬足そのもの。
背中を見送った私たちが待っていると、ほどなくしてリディルがセロースを捕まえて来た。
「貴方、『剣聖』から『猟犬』に鞍替えしてみる?」
「うるせぇ」
冗談を交わしつつ、腕を占めたセロースを私の前に引きずり出すリディル。
彼は戸惑いを隠せない様子で、私を見上げて来た。
「り、領主様ッ!これはどのような用件ですか!?」
「どうもこうも、この襲撃自体、貴方が仕組んだことでしょう」
「誤解です!私は領主様の館から不穏な音が聞こえてきて、それで…」
「…仮に音が聞こえたのが事実だとしても、それが不穏だとどうして分かるのかしら」
「〜〜〜〜ッ!」
領主の館から最寄りの屋敷まで五百メートルは離れている。
仮に大きな音が聞こえたとしても、不穏なことと結びつけるだろうか。
しかも、今、この街には『剣聖』がいるという噂が知れ渡っているのに、だ。
「さぁ、吐きなさい。貴方を影で操っていたのは誰?ピエール公爵?それとも第二夫人?」
「…っ」
彼は口を割ろうとせず、震わせた唇は真実とは程遠い罵倒を吐いた。
「この、小娘がッ!貴様のような奴が私たち男の上に立っているなど、恥を知れ!」
「黙りなさい」
「が…ッ!」
私が口を開こうとしたところを、マリアが彼の頭を踏みつけて黙らせる。
いつも温厚で、穏やかで、癒してくれる表情はそこにはなく、ぞっとするほどの冷たさがあった。
「一度見逃したお嬢様の慈悲すら分からず、また命を狙ってくることこそ、恥を知るべきです。今ここで貴方の男を踏み潰し、苦しませてから殺してやってもいいのですよ」
「侍女、風情が、このわ、たしに…!」
「やめなさい。マリア。貴女の手を汚さなくてもいいわ」
すべすべで柔らかで清らかなマリアの手を汚して欲しくない。
本当は荒事の場にマリアがいることも辛いのに。
私の制止に、マリアは不承不承といった様子で足を引いていた。
「さて、教えてもらおうかしら。貴方を動かした人物は…」
「っぺッ」
問いかけようと膝を屈めれば、セロースは私の顔に唾を吐いた。
ぬるっとした生暖かい液体が頬を伝う。気持ち悪さに怖気が立った。
「お嬢様ッ、この下郎…!」
慌ててお手拭きで顔を拭いて、憤怒の形相を見せるマリア。その、瞬間。
「マリアッ!リディル!」
「…っ!?」
飛来した矢音を聞きつけた私は咄嗟にマリアを抱き寄せる。
セロースを組み伏せていたリディルは飛びのいていた。
同時に、私の方へと手を伸ばしたセロースの頭に矢が突き刺さる。
「ぁが…!」
「セロース!」
新たな矢の飛来を恐れて、我に返ったマリアが私を扉の内側に隠す。
同じくして、剣を握ったリディルが周囲を警戒するが、すぐに緊張を解いた。
リディルはセロースの肌に手を触れるが、力なく首を振る。
「だめだ。即死だな」
「そう…」
間違いなく口封じだろう。十中八九公爵の手の者…と思いたいが、証拠がない。
唯一の繋がりがあったセロースが殺されてしまったのだ。
色々と思うところはあるし考えなければならないことはあるが、さておき。
「リディル、そこの山賊達を騎士団に連れていきなさい。洗いざらい吐かせてから強制労働の刑よ。刑期は一生。食べ物は必要最低限でいいわ。伝えて頂戴」
「分かった」
「マリア、悪いんだけど、シュバルツに頼んでここの掃除をしてもらって」
「かしこまりました。お嬢様は…」
「私は、部屋に帰って休むわ」
襲撃の前の事もあり、色々と考えなければならないところがある。
念のためにマリアに部屋に連れて行ってもらいながら、私はベッドに潜り込んだ。
「おやすみなさい、マリア」
「はい。お嬢様、良い夢を…」
ベッドの仕切りが閉じられる。
暗くなって、部屋には誰も居なくなった。
寂しさがこみ上げてくるけど、先ほど情動を後悔したばかり。
あれは繰り返してはいけない。そう思った私の眠りは早かった。
◇
「そうですか。やはり失敗しましたか」
「は」
静謐な室内。朝焼けの陽気を浴びながらピエール公爵は呟いた。
背後には、灰色の外套を被った人物が膝をついている。
「まぁいいです。彼女なら気づいているでしょうが、確たる証拠はないほうがいい」
「すでに物品も駒も処分済みです」
「さすがですね」
「もったいなきお言葉」
美麗な顔立ちからの微笑みに、外套の人物は恐縮しきった様子。
振り返ったピエールは彼のところまで歩いた。
「それにしても、まさかあの『剣聖』が…本物なのですね?」
「間違いなく」
「なるほど…」
断言に、ピエールは顎に手を当てて考え込む。
「どんな褒賞にも眉ひとつ動かさなかったと言われる『剣聖』を引っ張るとは…予想外ですね」
「…如何されますか?」
「今回のことで警備は強化される事でしょう。下手な事はしない方がいいです」
王城から出たばかりのイリス・オルタミアはまだ底を見せていない。
何が彼女の弱点となりうるのか、何をちらつかせれば揺れるのか、全く分からないのだ。
『剣聖』までいるとなれば、衛兵達の強化に努める事は確実なはず。
「しばらく様子見を…いえ…ふむ。まぁ、それも一興ですが」
自分で問いかけ、自分で解決しているピエールの言葉を従者はじっと待つ。
短くない時間をかけて、ピエールは「ともあれ」と首を振った。
「あなたもお疲れでしょう。ゆっくりお休みなさい」
「公爵様…」
頭に手を置いたピエールの言葉に、従者は感激しきっている。
限界まで頭を下げて、従者は消えて、部屋にはピエール一人が残った。
「所詮は捨て駒…私もまだまだ手の内を残しているのですよ。姫様」
くくっと公爵は笑う。
脳裏に浮かぶのは幼い頃の彼女。最初に出逢った時の印象はまさしく"ばけもの"だった。
ここにいるピエール・アウナ・マエストロは、彼女の非凡さを理解しているのだ。
「貴女が膝をつく時を、楽しみにしていますね」
呟きは、誰にも聞こえない。今は、まだ。




