反逆する者
イリス・オルタミアによって思わぬ逆襲を受けたセロースは公爵家を訪れていた。
「このまま、終わらせてなるものか…ッ!」
僅かな財産を手に、公爵の後ろ盾を得て貴族同然だという自負を背負い、彼はつぶやく。
財を使って集めていた家財や装飾品は持って来る事が出来なかった。
追放組への説明責任すらも煩わしく、置き手紙をしてきたのが現状だ。
「失礼。アスセーナの街の財務長官、セロースと申します。公爵様は…」
「少しお待ちください」
突然の来訪。事前連絡も全く行なっていない状態で会ってもらえるか不安だった。
だが、その不安はすぐに解消されて、応接室に通された。
本来あり得ないようなその待遇に、セロースの自尊心が燃え上がる。
「ふふ、やはり私は特別なのだ…それを、あの、小娘め…!」
拳を握り、恨み節を吐き出すセロースだが、すぐに足音が聞こえて背筋を正す。
「待たせてしまいましたね」
「は。突然の来訪に関わらず対応して頂いた公爵様には感謝を…」
「前置きはいいです。始めましょうか」
セロースの前に腰を下ろして、膝に肘を置いたピエール公爵。
権謀術数の中でも若く、男でも見惚れてしまいそうな美形の男性にセロースは咳払い。
話をする姿勢を見て取ったピエール公爵は、「さて」と視線を変える。
「元王女様に、こっぴどくやられたようですね」
「なぜそれを…!?」
「貴方の顔を見れば分かりますよ」
セロースはここに来るまで寄り道をしていない。
手駒たちに連絡を取ろうとも思ったが、先に我が身の安全確保が最優先だと思ったのだ。
見透かされていたことに生唾を呑み込み、セロースに話を促す。
「実は…」
そうしてセロースはここまでの経緯を話し終えた。公爵は息をつく。
「教会への寄付金と役人の給金を低減ですか。まぁ彼女ならそれくらいは思いつくでしょうね」
「…見事に、してやられました」
まさかアスセーナの街に来るまでにセロースや周りの役人たちについて調べているとは全く思わなかった。彼女がその全てを知っていてアスセーナをもらい受けたとするなら、それはただの化け物だ。
過ぎる才は英雄にもなりうるが、時に周りに危機感を抱かせ、身を滅ぼす。
「ですが、あの街はそれだけで復興するほど生半可な荒れ方はしていない…これからどうするつもりなのでしょうね」
「彼女は…あの娘は、危険です。いずれ公爵様に牙を向くやもしれませんッ」
「ほう…?」
「優秀過ぎるのです。もしもアスセーナの街が復興し、公爵領に劣らぬ都市に成長すれば、第一王女派があの女を神輿に第一王子派に相対するやもしれません!」
「…随分、貴族社会に詳しいのですね」
「そ、それは…」
思わぬところを指摘されて、セロースは息を詰める。
賄賂や贈与を繰り返して内情を調べ、万が一の為に備えていた事が露呈した。
冷や汗を流す。何を言われるのか覚悟するセロースだが、公爵は笑んだ。
「まぁ、考えなしでここに来るよりはいいでしょう。もしも貴方が助けを求めるだけの愚物であったなら、即刻叩き出して元王女に返却していたところですよ」
「で、では…」
「知恵を貸しましょう」
自らの再起への展望が、目の前に拓けていく。
「確かに、追放と廃嫡同然の扱いを受けたとはいえ、彼女が王族に連なるものである事は変わらない。いかに第一王子の方に王位継承権があったとしても…ですが、それも担ぐ神輿があればの話」
ぞくりと、セロースの肌を悪寒が撫でる。
イリスにこっぴどくやられたとはいえ、彼は財務長官を務め上げた男。
自らの利権を追求し、危機を察知する能力だけは一流と言える。
「つ、つまり…」
「殺せばいい」
甘美な誘いが耳から染み渡り、鼓動が跳ね上がる。
「憎くはないですか?小娘の分際で貴方を追放した彼女が」
「ぁ、ぁ…っ」
いつのまにか、立ち上がった公爵はセロースの肩に手を置いていた。
「憎くはないですか?これまでの全てを奪った彼女が」
「に、くい…」
セロースがこの地位に、コネを作り上げるのにかけた時間は途方も無い。
それをたった五日で壊され、憎しみを覚えぬはずがあろうか。
「憎くは無いですか?貴方の輝かしい未来を奪った彼女が」
「憎いッ!」
甘美な誘いはやがて激情となり、セロースの胸に燃え上がる。
「宜しい。ならば、古き森を根城にしている手勢たちに声をかけなさい。その山賊の頭にこう言うのです。全てが終わったなら公爵付きの騎士にしてやる、と。褒賞も用意します。そして、山賊たちが領主の館を襲った時、貴方が山賊たちを撃退したように見せなさい。そうすればあの街は貴方の手に戻る」
「お、おぉっ…!」
セロースは歓喜した。顔立ちの整った公爵を直視する。
「さぁ、行きなさい。セロース。我が家臣よ」
「っは!公爵様の仰せのままに!」
敬礼し、セロースは公爵の元を後にした。
その胸には、野心にも勝るどす黒い憎悪が湧き上がっている。
「見ていろ、貴様を私のモノにしてやる…イリス・オルタミア…!」
つぶやき、セロースはすぐに山賊の元へと赴き、公爵の言う通りに交渉し、成功する。
以前に何度か交渉した事もあり、メイドに恨みもあった山賊たちの返事も良かった。
「奴は絶対に俺たちが犯る。すぐにいい声で鳴かせてやるよ…!」
「自分から腰を振るようになってから殺してやる!」
山賊たちを引き連れてアスセーナの街に戻ったのは、追放されてから十日後の事だった。
城壁に囲まれている街ではあるが、荒れ果てたこの町の壁には穴が空いている。
所々に修繕が施されてはいるが未だその穴は健在であった。
人が二人通れるような大きな穴を通り、山賊たちは領主の館へと足を進める。
「私は金品を回収してから行く。領主は任せたぞ」
「おうよ。約束、忘れるんじゃねぇぞ?」
◇
そして山賊たちは走り出す。
山賊の頭である男は自分自身の夢を捨てきれず、部下を見捨てても目的を果たす覚悟。
だが油断はしない。自分たちの仲間を無傷で制圧した傑物がいる。
しかもそれが女のメイドだと言うのだから、山賊たちのプライドはズタズタだ。
夜半、松明の明かりに照らされて巡回する衛兵たちを見て、しかし山賊は違和感を抱いた。
「少し、見回りが多いな…」
以前までのアスセーナであれば、夜中に衛兵たちが見回ることなどなかった。
昼間から酒を浴び、街を通るものには通行料を要求し、しかし仕事はほどほどに。
それがアスセーナの街の衛兵であり、程度の差はあれ、似たようなことはほかの街でもある。
「嵌められたか…?いや、」
セロースの言葉に一瞬、疑念を持つ山賊だが、それはないと首を振る。
彼が瞳に宿していたのは憎悪。少なくとも、領主に仇を為すという一点において裏切りはない。
「万が一の事も考えねぇとな…」
つぶやき、山賊は衛兵たちがいない坂道を駆け上がって領主の館に近づく。
草むらの陰に隠れるが、相変わらず領主の館だというのに門扉に警備の一人もいない。
「呑気なもんだぜ。所詮は小娘か?」
「油断してるんでしょう。元々は王城で甘い汁を吸っていた奴です」
「まぁ、確かにな…」
頷きたくなるが、愚かなだけの愚物に狡猾なセロースが果たして追放されるのか。
疑念を振り払った山賊は、門扉を飛び越えて館への侵入を試みる。
引き連れてきた部下たちの数は二十。これだけいれば、物量作戦でなんとかなる。
「目標は女とそのメイドだ。連れてきて犯し、泣き叫ばせてからーー」
「おっとぉ、こんな時間に随分物騒な客じゃねぇかぁ?」
潜めていたはずの声は、ゆったりとした声に遮られる。
殺伐とした空気の中で不釣り合いな間延びした声に、山賊たちは振り返る。
そこには、眠気まなこを擦りながら欠伸をした金髪の偉丈夫がいた。
布を重ね合わせたものを着崩し、腹をぽりぽりと掻いている。
「誰だ、お前は…」
「あぁ?人に名前を聞いた時は自分から名乗れって母ちゃんに言われなかったか?」
問いかけに、剣呑な響きをもつ声が返る。
自然、山賊たちの警戒心は極限にまで高まった。
少なくない修羅場を乗り越えた危機察知能力が、人生で最大の警報を鳴らしている。
それは彼が大柄な体躯をしているからでも、こんな夜中に現れたからでも、なかった。
「…っ」
山賊たちの視線の先に、身の丈二メートル半にも届きそうな大剣があった。
無骨な鉄の塊。それだけのはずだが、その艶めきは幾多の命を吸ってきた証。
十や二十、どころではない。千を超えて万に届きそうなほど、その剣は血を吸い慣れている。
赤い血脈のようなものが波打つ大剣の威容は、恐怖を与えるのに充分過ぎた。
「き、聞いたことが、ある…!」
山賊の一人が声を震わせながら金髪の偉丈夫を指差す。
「二十年前の戦争で、千人の敵軍を殺したという剣の申し子…『血鬼のリディル』…!」
「そいつぁ…」
「け、け、『剣聖』が何でこんなところに…!」
「…っ!」
『剣聖』『砦落とし』『百戦の英雄』その偉業と勇名は山賊たちに轟いている。
彼がいたからこそ、エルヴァン王国は滅ぼされずに済んだと目されるほどの傑物。
だが、その英雄は爵位も名誉も全てを蹴って、謎の隠棲を果たしたはずだ。
「なんで、こんなところに…!?」
「色々あってなぁ。お嬢サマに手ぇ貸す事にした。あいつと一緒にいれば、俺は俺を誇れるからよ」
「…?」
分からない。彼が言っている事が理解出来ないが、おもむろに大剣を向けてきた。
「あいつの道を阻む敵は、俺が斬りふせる。俺の愛を邪魔する奴は叩き潰す。それがあいつとの誓いだ。今、ここで洗いざらい吐くってんなら、楽に殺してやるぜ」
彼から溢れ出した剣気は、まるで城そのものを相手にしているかのような感覚を持たせる。
この時点で既に山賊たちの戦意は折られていた。
果たして彼がここから大人しく逃してくれるのか。
山賊たちは疑問に思いーーそして、すぐにそれは否だと判断。
命を賭して守るものなどないが、どうせ殺されるのならば戦って死んだ方がいい。
「『剣聖』といえど、飛び道具にゃ敵わねぇだろ!撃てぇ!」
ジャキンッと弩を構え、十人の山賊たちは矢を放つ。
剣聖との距離は十メートルも離れてはいない。見てからでは決して間に合わない領域。
もしかしたら、という希望を宿す山賊たちだが、それは儚く散った。
「おらぁッ!」
一閃。持っていた剣を両手で構え、ただ横に振り回しただけで剣風が舞う。
あろうことか矢の威力を消すほどの威力を持った風圧は樹々を揺らし、地面を抉った。
「ば、ばけもの…!?」
「飛び道具なんざで殺せるなら、『剣聖』だなんて呼び名にゃなってねぇわな」
恐怖に腰が竦んで動けない。後ろに下がった山賊たちは、足をもつれさせた。
「ふん…矢に毒なんざ塗ってやがったのか。んなもんきかねぇけどよ」
地面に落ちた矢を一瞥した剣聖は鼻で笑う。
歯を噛み締めた山賊の頭は、逃げる事も戦う事も諦めた。
「野郎どもっ!領主だ!そいつは無視して領主だけを狙え!」
「あぁ?」
「領主とそのメイドを人質にすれば奴とて手出しは出来ないっ!急げ!」
「てめぇら、何を言っているのか分かってんのか?」
呆れに満ちた声が剣聖から放たれる。
無視して、屋敷へと向かおうとする山賊たち。
「…あいつを本気で怒らせたら、死ぬより辛い目にあうぞ…たぶん」
その呟きは欲と生にしがみつこうとする山賊たちには聞こえない。
窓まであと三メートル。叩き割り、侵入して火をつければ全て終わる。
「ま、やらせるわけねぇけどな」
直後、剣の猛威が山賊たちに迫ってきた。
超重量の大剣を振り下ろし、ゴォォォオオオンッ!と衝撃が伝わる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
ぱりぃんといくつかの窓が剣圧だけで割れる。同時に、窓に入ろうとしていた山賊たちは剣が放った風によって地面に飛ばされた。
『剣聖』はそれだけでは飽き足らず、未だに動こうとする山賊たちの頭を剣で潰していく。
「た、たすけッぐぴゃ…」
気絶した山賊は五人、動こうとしたものはなすすべなく殺された。
生き残ったのは半数にも満たない三人、山賊の頭も生き残った。
「た、助けてくれ。俺たちは金で雇われて…」
「誰の差し金だ?」
「せ、セロースという財務長官だ!あいつに脅されたんだよ!言うことに従わないと、家族を殺すって…!だから、頼むよ…!」
「嘘だな」
ぺらぺらと、生き残りを模索する舌が動くが、剣聖のひと睨みで止まる。
血と内臓がこびりついた剣を肩に担ぐ剣聖は言った。
「嘘の臭いがする。くせぇ、くせぇ、嘘にまみれた臭いだ」
「ほ、本当だ、信じてくれ!」
「お前のほかに合流する仲間はいるか?」
「あ、あとでセロースがやってくる!奴に話せば分かる!」
「なら、それまで待つことにするか」
息を吐き、剣を地面に刺したまま『剣聖』は腰を下ろす。
あくびをして目を閉じている様は、たった今十人以上を殺した者とは思えない。
その油断、その姿勢、彼が目を閉じている隙に、山賊たちは身体を動かして、
「逃げようと思うなよ?」
彼は、逃してはくれない。
山賊たちが息を呑んで、諦めてうなだれた時だった。
バァン!と扉が開き、メイドが飛び出してくる。
「リディルさん、これは…」
「おう。起こちまったか。悪いな。もう全部終わったからよ」
現れたのは黒みがかった髪を揺らし、エメラルド色のまあるい目を見開く女性だ。
愛らしさと可愛らしさを押し出すメイドは、両手に短剣を持っている。
膝をついている山賊たちと、散らばる肉塊、気絶する者達を見渡したメイドは息を吐いた。
「終わったのですか。なら、いいのですけど…」
そこで、『剣聖』に近づこうとしたメイドは、ひたり、と止まる。
彼女の視線は、剣聖の風圧によって割れた窓に釘付けにされていた。
「リディルさん…いえ、リディル。これはどういうことでしょうか」
愛らしい容姿とは正反対に冷たい笑みを貼り付けるメイド。
その笑みに、思わずと言った様子で『剣聖』も肩を震わせる。
「い、いや、こいつらが窓を割ろうとしたんで、剣を振って止めたらよ、仕方なく…」
「貴方なら、窓に近く前に皆殺しに出来たんじゃないですか?」
「う…!」
図星を突かれた『剣聖』はメイドの言葉に息を詰まらせる。メイドは眉を釣りあげた。
「もしも油断してお嬢様に何かあれば、どうするつもりだったのですか?」
「わ、悪かったって」
「謝罪で済むなら衛兵も牢屋もいらないんですよ。大体、黒幕は殆ど分かっているのです。彼らを皆殺しにしてでもお嬢様の安全を守るのが貴方の仕事でしょう?」
「お前、お嬢サマのことになると人が変わったみてぇだな…」
「当然です。私はお嬢様のメイドですから」
胸に手を当て、誇らしく宣言するメイド。
呆れのような、どこか残念そうな目を向けた『剣聖』に、メイドはなおも言い募ろうとする。
「大体、貴方はお嬢様を…」
「そこまででいいわ。マリア」
声が、メイドを止める。
直後に現れた人物に、山賊達は息を呑んだ。
陽の光を編んだかのような神々しい黄金の髪が揺れる。
寝衣を纏って歩いている様は優雅で軽やか。その瞳は吸い込まれるような深さを内包し、理知的に輝いている。引き締まったくびれに、細くすらりとした脚が見えた。胸は言うまでもなく豊満そのもの。傷一つない肌は艶やかで、その所作の一つ一つが気品に溢れている。
その美貌に息を呑まずにいられようか。その美貌に酔い知れずにいられようか。
『捨てられた王女』『羽を奪われた白鳥』『愛を知らない婚約玩具』
数々の噂の全てを上塗りするほどの美を体現した美貌。
王城は彼女の美貌を隠すためにあったのではないかと思われるほどの美だ。
ーーだが百合である。
そうとも知らずに美貌の女性に見惚れる賊達を、『剣聖』は哀れむような目で見ていた。




