広がる波紋
「お嬢様。気をつけてください。この男、危険な匂いがします」
がたがたと揺れる馬車の中、警戒心を孕んだマリアの声が剣聖ーーリディルを射抜く。
リディルはそれを真っ向から受け止め、鼻を鳴らして背もたれに背を預けた。
「おれぁお前らみたいな小娘にゃ興味ねぇよ」
「は?なに?うちのマリアに魅力がないって言ってるの?こんなにも美人で可愛くて愛嬌があってどこに出しても恥ずかしくない完璧な女の子に興味ないって?あんた…引っこ抜くわよ?」
ぷちんっと私は青筋を浮かべて彼を睨む。
どこの誰であろうとマリアが魅力的ではないとは言わせない。
…マリアは世界一可愛い。それはこの世界の原理原則にして絶対不可侵の真理そのものだ。
「ん、んだよ…別に、お前なら分かってんだろ」
「えぇ。分かってるわ。でも、それとマリアの魅力とは別の話よ」
「…わぁったよ。もう言わねぇ」
弁解する彼が頭を下げたのを見て私は満足して頷く。
すると、横のマリアがもじもじと腰を動かしていた。
「お、お嬢様…言い過ぎです」
「全部本当の事よ?」
私がそう言うと、マリアはますます頬を赤らめていた。
…どうしよう。可愛い。抱きしめたい。ぎゅってしたい。
その仕草に私は伸ばそうとした手を反射的に止める。だけど、心は止まらない。
胸の熱が沸騰する。頭が真っ白になって何も考えられなくなるーー
「…ごっそさん。お前ら、もう出来てんじゃねぇか?」
「お嬢様にそのような言い方は許しませんよ。私たちは女同士…馬鹿なことを言わないでください」
煩悩によって白熱した頭に冷や水がかかった。
氷を喉に詰められたような冷たさに、私は気持ちが一気に沈んでいく。
「……あぁ、悪かったよ。お嬢サマも、な」
「えぇ…いいのよ」
哀れみのような、意味ありげな目を向けてきた彼に私は顎を引く。
険悪な雰囲気が和らぎ、気まずげな空気になったところをマリアが切り込んだ。
「お嬢様に手を出せば許しませんよ。私の命を賭してでも守らせていただきます」
「だから興味ねぇって…」
力強く睨んでくるマリアに『剣聖』は辟易とした表情。
ため息を吐いた彼は「んで」と話を切り替える。
「こうして呼ばれてきたわけだが…俺は何をすりゃいいんだ?お嬢サマ」
「そうね。まずは領地直属の騎士団の設立。貴方にはその団長として衛兵たちを鍛えてもらうわ」
「へぇ、騎士団、か」
顎に手を当てた彼は直後、ニタァと笑みを浮かべた。
「そりゃ、俺の好きにしていいんだよな?」
「勿論。稽古じゃない行き過ぎた暴力や贈賄、昼間からの酒盛りは認めないけど、騎士団と領地のためになるなら好きにしていいわ。…強制はだめよ?」
「それを聞いて安心したぜ」
にやり。と私とリディルは悪い笑みを交わす。
そう言っている間にも、馬車はアスセーナの街に帰っていた。
「前に来た事はあるが…相変わらず、ひでぇなこりゃ…」
街の外観と門から見える内情を見たリディルがつぶやいた。
同時に、街の衛兵たちが最初の時のように騒ぎ出す。
「領主様の…お通りください」
「ちょっと待って」
外の声が聞こえた私は馬車を止めてもらい、扉を開いて降り立つ。
驚きに目を見開いた彼らを前にして、私はリディルを呼ぶ。
彼らの表情がさらに驚愕に満ちた。恐れ戦くように彼らは後ずさる。
「『剣聖』…リディル・アウストロス殿…!?」
どうやら彼らもまた、『剣聖』の異名と容貌を知っているらしい。
だが、偉丈夫の全身を上から下まで見た彼らは私とは別の反応をする。
「どうして、そのような汚い格好に…」
「うっせぇな。色々あんだよ」
『剣聖』の一言を聞いて、街の外壁に詰めていた者達が集まり出した。
ざわざわと囁きの波が大きくなる。三十人を超えた頃、私は息を吸った。
「『剣聖』リディル・アウストロスはアスセーナ直属の騎士団長として来てもらったわ!貴方達には、これからこの男の下で身体を鍛え、街の為に頑張ってもらう!これは決定事項よ!」
『騎士団…!?』
再びざわめき。だが、今度のは驚きよりも戸惑いの方が大きかった。
「平民の俺たちが騎士団だって…?」
「貴族も平民も関係ない!この街を思うのなら誰もが騎士になれる。給金も少しずつ増やすわ。国境に隣接された街の騎士団に貴方達は必要不可欠!国家の要といっても過言じゃないのよ!」
「おれたち、が…?」
戦争は終わった。カロールはアスセーナの隣にある鉱山を奪い、利権を手にしている。
だが、人の欲望には際限がない。いつ、カルロールが再び戦争を仕掛けてきてもおかしくはないのだ。
ピエール公爵は荒れ果てたこの街を捨てたようだけど、次の戦争があったときに一番に被害のかかるのはこの場所。そんな場所の兵力が小さくていいはずがない。
「騎士団の詰所は別に作り、また、詳細な連絡事項は追ってします。今日は紹介だけよ」
唖然としている彼らを見送って、私は再び馬車に乗り込んだ。
◇
領主の館へと去って行く馬車を見送った男たちは、しばらくの間動けなかった。
「なぁ、俺たち、夢でも見てるのか…?」
「なんでだ?」
「だってよぉ…おれたちが騎士団って…」
自然と涙を流している男に衛兵長は溜息を吐く。
「お貴族様の言っていることだ。すぐに変わるかもしれねぇぞ」
「けど、そうじゃないって兵長も思っているんでしょう?」
「…あぁ。まぁな」
僅か五日。たった五日で、ピエール公爵の息がかかった財務長官を追放したという事実。
それは、この街に住まう住民達に希望の火となって広がっていた。
暴利を貪っていた彼らの追放の影響は大きく、商業ギルド、職人ギルドにも手が行っているという。
役人たちが貪っていた財はすでに平民達に還元されており、変化は目覚しい。
それだけではなく、新しい領主となった彼女はあの『剣聖』を連れてきた。
「国王直々の誘いも蹴ったって話だったのに…」
「何人の貴族が彼を誘い、断られたか知ってるのかね」
知っていたとして、果たして本当に行くのか。どのような言葉をかけたのか。
彼らの興味は尽きない。根掘り葉掘り聞きたいことが山ほどある。だけど、
「おれ、とんでもない人にとんでもないこと言っちまった…」
「あの人なら許してくださるんじゃねぇか」
涙を流している者は、初日、領主に怒鳴った男だった。
顔を青ざめさせている彼の肩を兵長はぽんと叩く。
「おれ、この仕事をやっててよかった…」
お前達が必要だと言われた。お前達こそが『要』だと言われた。
ありふれた言葉だと分かっている。何が分かると叫びたいものもいるだろう。
だけど、何の飾り気もないあの言葉は、自然と胸に突き刺さっていた。
消えたと思っていた胸の熱が沸き立ってくる。なにかをしなければと、衝動に駆られる。
…そうだ。自分たちは家族を守りたいと思って衛兵になったのではなかったのか。
忘れていた最初の熱が、思いが、衛兵たちを突き動かす。
「久し振りに街の見回りでもするか。真面目にな」
「俺も行きます」
新しい領主が吹かせている風は吹き始めたばかり。
なのに、衛兵達は新たな時代の始まりのような、漠然とした予感に胸を躍らせていた。
◇
リディルを連れ帰った私に役人たちは大層驚いている様子だった。
…これで少しは領主らしいところを見せられたでしょう。
執務室に戻り、リディルにまともな格好をさせるようにシュバルツに案内させる。
剣聖と呼ばれた男はシュバルツの尻あたりをじっと見つめながら肩を叩く。
「頼むぜ。なぁ、おい」
「え、えぇ、承知しております」
…シュバルツ、頑張って!
冷や汗を流す彼に心の中でエールを送った私は、早速役人たちを集めた。
「騎士団の詰所はセロースの屋敷を使いなさい。無駄に豪華な場所だから、ついでに治療院も兼ねて仕舞いましょう。医療従事者にも連絡を」
「かしこまりました」
私に追放されてから、セロース率いる一派はどこかへ消えてしまった。
おそらくはピエール公爵の所へと向かったのだろう。彼が受け入れるかどうかは知らないが。
騎士団の設立の書類を手早く終えた私はリチャーズを見やる。
「それと、井戸の整備よ。資料を見た回っただけだけど、街に三つしかないじゃない。最低でも二十は欲しいわ」
「すぐには無理です。人手の問題もありますし…」
「なら職人ギルドに通達を。製紙業で使っている紙の買取を今回だけ今までの倍で行う代わりに、人手を半分寄越すようにと、本当に厳しいなら別に構わないともね」
「ば、倍ですか…!?」
「そうよ。役人たちの給金と教会の寄付金はそれほど大きい金額だったのよ。分かるでしょう」
「た、確かに…」
役人の給金と教会の寄付金だけで領地の二割の予算を食っていたくらいだ。
私がこの街に来たからには、メシア教なんてものは衰退させてやる。
と、書類に敵意を送っていると、役人の一人から声がかかる。
「領主様、寄付金を減らすのはいいのですが、教会から反発が…」
「…民たちに食わせるお金もないのに教会に寄付は出来ないと言っておきなさい。寄付金は減らすけど無くすわけじゃないわ。寄付をすることは義務じゃないし。それと、これはまだ先の話だけど」
言葉を切り、私は役人たちの顔を見回して行く。
「これからアスセーナの街はメシア教に取って代わられる前の宗教に鞍替えしていきます。以前に普及していた宗教…アスタロス教会だったかしら。そちらを支持していくわ。エルヴァンの古き良き宗教を復興させるとでも言っておけばいいでしょう…これはまだ先だし、内密にね」
「…かしこまりました」
はっきり言ってアスタロス教もメシア教も本質的には変わらないんだけど、アスタロス教は同性愛を禁止していない。私にとってはそれだけで充分である。
それに、戦火の影響を一番受けたアスセーナの街はメシア教に反発している。
私がアスセーナの街を受け入れた理由の一つだ。
だからこそ役人たちも私の無茶振りに驚いてはいるが反対していない。
宗教の問題は根深いが、ひとまずは領地を豊かにする所から始めねば。
そうこうしていると、ノックの音が響いた。
「入りなさい」
「邪魔するぜ」
そうして入っていたのは話題の人物であるリディル・アウストロスだ。
先ほどのみすぼらしい格好は鳴りを潜め、無精髭は整えられている。
金髪の偉丈夫。今の彼なら、『剣聖』と呼ばれるのも納得できる風貌だ。
「随分立派になったわね」
「んだよ。惚れたか?」
…口を開かなければの話ね。
「死んでもありえないわ。私は…」
隣にマリアがいる事を思い出して口を噤む。
熱くなった頬を見られたくなくて俯くが、彼がにまにまとしているのは分かる。
「その気持ちの悪い笑みをやめなさい。不愉快よ」
「へいへい。悪かったよ。んで、俺の部屋は何処だ?」
「あぁ、そうね…あなた、敵が来たらどこまで分かるの?」
「屋敷の中から外なら、大体分かるぜ」
「まるで獣ね…」
呆れの息を吐くが、目の前の男には応えた様子が全くない。まぁいいけど。
「とりあえず見当たらないから、この屋敷の離れを使いなさい。家具とか一式はあったはずよ。足りないものはマ…いえ、シュバルツに言うように。それから、街の衛兵を一気に訓練するのは無理だから、半分だけあなたが指導し、二週間交代で鍛えてちょうだい。絶対に街の見回りも怠らないように」
「分かった」
「リチャーズ。五日後、商人ギルドと職人ギルドの長二人を連れてきて頂戴。話がしたいわ。それと、いくつか集めておいて貰いたいものがあるの」
私はさっと手元の髪にメモを書いて、リチャーズに渡す。
「…こ、これは」
「手順はそこに書いてあるから、お願いね?」
「…はひ」
冷や汗を流しながらも頷いた彼を見て、一仕事を終えた私は窓の外を見た。
…とりあえずはこんなものかしら。もう陽が暮れそうだし、今日は終わりね。
「少し疲れたわ。マリア、食事にしましょう。貴方達もいかが?」
「いえ。さすがに領主様と一緒にというのは…」
「俺は行くぜ。腹減ったからな」
リディルはそう言うと思ったわ。




